第20話 きみの笑顔


 エリンスは右手に握った剣を眺めながら、かつて修行の最中、師匠に教えられたことを思い出していた。


――迷いなき一刀、想いの乗った一撃は何者にも勝る強さとなる。


 アグルエに託された剣からは、もう光は失われている。

 あの光が何だったのかはわからない。

 だけど師匠に一歩近づけた気がして、嬉しく思えた。


「ふぅ」と一息。

 そこでようやく改めて冷静になって、後ろを振り返る余裕ができた。


「倒したんだよな……」


 そこに先ほどまでいた魔族は跡形もなく消えている。

 紛れもなくエリンスが止めを刺したのだ。


 落ちている折れた剣が目に入った。

 静かに近づいてそれを拾い上げると、剣身はそのまま地面に突き立てて、グリップ部分を背負った革袋へとしまう。

 転がったままになった鞘にも気づき、アグルエから受け取った想いを鞘へと納め、その場を去った。



 バレーズへと来た道を戻る途中、先ほどの戦いがあった広場から少し森を進んだところ。

 エリンスは座り込んで動けなくなっていたアグルエの後姿を見つけた。

 目に入るや否や、自然と駆け足になる。


「アグルエ! 大丈夫か!」


 振り返ったアグルエは辛そうな顔をしたままぎこちなく笑ってくれた。

 こうして、追いついた――それだけで察してくれたのだろう。


「……勝ったのね」

「あぁ……勝った」


 アグルエはエリンスの返事を聞くと目を瞑って、両手を胸の前に合わせ、魔法の詠唱をはじめた。


魔素マナの輝きよ、我に癒しの力を授けたまえ、ヒール」


 両手の間に集まった空気中の魔素マナが白い輝きを放つと、アグルエの両腕を伝って背中へと光が流れるよう移動していく。


 ある程度の力量を持つ魔導士ならば扱える一般的な治癒魔法だ。

 アグルエの背中に集まった光は、一際強い輝きを放って――見る見るうちにその傷を癒していく。


 そうして、アグルエは息を整えた。

 傷の痛みは引いたようだ。

 治癒魔法を使ったからといって傷が完全に治ったわけではないだろう。

 ただアグルエは柔らかい表情で微笑んで、立ち上がった。


 自力で立ち上がることはできたようだったが、まだふらふらとしている。

 エリンスは右肩を貸して、アグルエの左腕を首に掛け、倒れないように支えた。


「ありがと、エリンス」

「ごめん……もっと早く駆けつけていられれば……」


 エリンスの気持ちをアグルエは察したのだろう。

 優しい声音のままアグルエは言葉を続けた。


「これは、わたしの覚悟だから」


 アグルエの覚悟の灯った眼差しが、エリンスを見つめる。

 その台詞を聞いてしまえばエリンスはそれ以上、何も言うことができなかった。


 悪戯に吹いたそよ風が、二人の間をなでるように通り過ぎた。

 ペロン、とその拍子で、アグルエの右肩から服が滑り落ちる。


「あ、押さえてないと脱げちゃう」


 アグルエはエリンスから離れると、両手で両肩を押さえ、自身を抱きかかえるようにする。

 あわや一歩遅ければ、そのまま服がずり落ちて裸を晒すところであった。

 エリンスは思わず顔を逸らしてしまったが、それもそうだろう、とアグルエの服をチラッと見て納得してしまう。


 背後から一閃、ズバッと切り裂かれてしまった服は、今やただの布同然。

 辛うじてアグルエの肩に引っ掛かっているから服の形をしているに過ぎない。


 真剣な顔をしたアグルエだったが、「ぷっ」とそこで噴き出して笑うのだった。


「こんな、ボロボロになったの、はじめて」


 怪我をしたことなどさほどない。

 服が破けた経験など当然ない。

 だから逆に新鮮な体験であった、とアグルエは面白くなってしまったのだ。


 そのアグルエにつられて、エリンスもまた笑ってしまう。


 いろいろな気持ちを抱えていたのは間違いない。

 だけどその全てを忘れて、エリンスは笑った。

 アグルエの笑顔を見ていたら、全てがどうでもよくなってしまった。


――やっと俺は一つ、守りたいと思ったものを失わずに済んだ。


 エリンスの胸の内を温かく広がったのは、強い安心感。

 同時に決意も固める。

 この笑顔は、守り抜く――と。


 そう安心して、エリンスは忘れてはならない約束のことを思い出す。

 真剣な面持ちと声色で『二人で帰ってきなさい』と語った、おじいさんとの約束。


「そうだ。あのじいさんにちゃんと二人で帰って来いって言われたんだ」


 アグルエのことを追ってきたエムレエイとの決着をつけることはできたものの、エリンスたちがこの森に入ってから抱えた数々の違和感が解決したわけではない。

 それに――あの大樹を覆っていた魔素マナの正体も気になった。


「エムレエイは何かを知っているようだった」


 アグルエが言う通りだ。

 この森には、まだ何か秘密がある。


「アグルエ、帰ろう」


 そのエリンスの言葉に、「えぇ」と頷くアグルエ。

 歩き出したエリンスに、いつも通りしっかりとした足取りで、アグルエはついていく。



◇◇◇



 バレーズへと帰ってきたエリンスたちは、二人並んで大樹の家を訪ねた。

 レミィとおじいさんは家の前で、先ほどまでの魔物騒ぎの後片付けをしているようだった。

 二人並んで帰ってきたところを見るや、おじいさんが口を開いた。


「帰ってきおったか」


 ボロボロになったアグルエの姿と、服や腕に血の跡が残ったエリンスの姿を見て、察してくれたのだろう。


「決着はついたか……」

「二人で帰ってくるのが約束だったから」

「そうじゃな」


 エリンスの言葉に頷いたおじいさんは、レミィに何やら言伝ことづてをして家の扉を開けた。

 レミィが一足早く家の中へと入っていく。


「とりあえず、話は後じゃ。風呂と水場を貸してやるから、その姿をどうにかせい」


 粗暴な物言いではあったが、おじいさんが心配してくれていることが二人ともに伝わった。

 エリンスたちはその言葉に甘えることにした。



 大樹の家は思ったよりも中が広かった。

 吹き抜けとなっている中央の部屋はリビング兼ダイニングルームのようで、見上げてみれば、壁沿いに備えつけられた螺旋階段が1階から3階までを一繋ぎにしている。

 壁についたドアの数は多く、見える範囲で他にもたくさん部屋があることがうかがえる。

 ここに二人で暮らしているともなれば、逆に広すぎるのではないだろうか、とエリンスは考える。


 1階リビング横のドアの先は、シャワールームのようだった。

 そちらはアグルエが使うほうがいいだろうと考えたエリンスは、もう一つのドアを潜った先、キッチンに備えられた水場を借りて、汚れた服や剣を洗って磨き直した。

 洗って濡れた服は、風通りの良い場所――風の魔素マナを利用した空調の下に干して渇くのを待つことにした。


 代わりのシャツを借りたエリンスは、おじいさんの待つリビングへと戻る。

 おじいさんはリビングのテーブルの席について、エリンスとアグルエのことを待っているようだった。

 エリンスもその向かいにある椅子へと腰掛けた。


「ありがとうございます」

「お互い様じゃ、わしらもお主らには助けられた。孫娘なんか2回もな」


 勇者候補生として当然のことをしたのだが、そう口にするとおじいさんの癪に障りそうだ。

 エリンスは、「いえ」とただ一言返事をした。

 聞きたいことはたくさんあった。

 しかしおじいさんは未だに気難しそうな表情をしたままだった。


「……話は二人揃ってからじゃ」


 おじいさんは念を押すように口を開いてそう言った。


 考えが止みそうもない。

 ただ、エリンスは言われた通り、アグルエの支度が終わるのを待つことにした。

 アグルエはエリンスが服を洗っている間に、シャワールームを借りて汚れてしまった髪などを洗って、疲れを取ることにしたようだ。

 アグルエをボロボロのままでいさせるのは、エリンスとしても歯痒い思いだった。シャワールームを貸してもらえたことはとても助かった。


 エリンスとおじいさんが気まずい空気を共有したまま、アグルエを待った。

 数十分後――風の魔素マナを使った空調のおかげもあって、エリンスの服はすぐに乾いた。

 そうしてエリンスが着替えを済ませたのと同タイミングで、奥の扉が開き、装い新たにしたアグルエが戻って来た。


「助かりました。洋服もありがとうございます。レミィちゃんもありがとう」


 おじいさんに向かってペコリとお辞儀をし、横についていたレミィにも礼を言うアグルエ。

 アグルエは先ほどまで身につけていたボロ布となってしまった服ではなく、薄い桃色のワンピース型の服を着ていた。

 腕には脱いだコートを掛けたまま、すねのところまであるスカートの裾を摘まんで、その場でクルッと回って見せた。


 元から着ていた高級な生地をあしらったものとは変わって、少し庶民的なもののようにエリンスからも見えた。

 しかし、アグルエはそれすらもしっかりと着こなしている。

 女性の服について詳しいわけではないエリンスであったが、アグルエに似合うかわいらしいものだな、と素直に思った。


「娘のお下がりじゃがな」


 そう言うおじいさんも、どこか少し嬉しそうで満足そうだ。

 アグルエはエリンスと目が合うなり、ニコッと笑って見せてくれる。

 その様子を見る限り、傷のほうもすっかり平気なようだ。


 エリンスは一息吐くのと同時に、さていよいよか、とも身構える。

 二人が揃ったことで、おじいさんも意を決したように杖を突いて立ち上がって、話はじめるのだった。


「わしはバレスロン・デミンスター。この地を守っている一族の末裔じゃ」


 そこでようやくエリンスは、おじいさんの名前を知ることができた。

 そうしたまま神妙な面持ちで、バレスロンは続けた。


「お主らには見せたいものがある」

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