第12話 旅立ちの日に ――アグルエの決意――


 人々が魔界と呼ぶ世界、人界の裏側の世界『リューテラウ』はいつ破裂するかもわからない緊迫感を抱えていた。

 今より200年前、人界リューテモアへの侵攻を率いた魔王アルバラストの力も今や衰退し、その権威も失われつつあるからだ。

 人間よりも魔素マナの影響を強く受けるため寿命が人間の数倍はある魔族であっても、老化は免れず、力が衰えていくのは自然の摂理として当然のことではあった。


 現魔王アルバラストの権威が失われつつある世界を待っていたのは、次期魔王を決めるための混沌とした世界だった。


 今から5年前にはじまった『魔王会談』――

 リューテラウ各国の主要人物が集まって話し合われた次期魔王を決めるための話し合いは、いつまで経ってもまとまることがなかった。

 その中で、アルバラストの息子を推す現魔王派と、それに反対する反アルバラスト派らの論争は、小さな戦争にまで発展してしまった。

 それを収束し話し合いをまとめるための手段として選ばれたのが、人界の勇者候補生という制度を真似て作られた『魔王候補生』という制度だった。


『より世界のために貢献したものに魔王の座を譲る』


 簡単な文言ではじまった魔王候補生制度は、魔界各地で起こりえた小競り合いを止めることはできたものの、未だ次期魔王は決まっておらず、魔界全体で緊張状態は続いている。


 現魔王アルバラスト・イラの末娘であるアグルエ・イラがその争いに巻き込まれるのは必然とも言えた。

 アグルエが次期魔王を決めるための道具にされることを恐れた魔王アルバラストは、アグルエを争いから遠ざけるために、アグルエの力を示した上で城へと大切に囲ったのだった。



◇◇◇



 俗に魔王城と呼ばれた魔界の中心都市、イルミネセントラルに存在するイルミネセントラル城のその一室。

 わたしは薄手のカジュアルなドレスを身に纏い、本を片手に窓際の椅子に座り頬杖をついていた。

 読んでいた本の内容など頭に入ってこなく、毎日見ていても何の代わり映えもしない窓の外の世界に、退屈を持て余す。


「この世界は、どこへ向かっているのかしら」


 ふいにこぼれた独り言は、誰かにこたえを求めたものではない。

 今やその行方を知るものなど、誰もいないのだろう。

 わたしが魔王候補生として力を振るい、魔王の座につけば――その行方も知ることができたのかもしれないけれど。


 ただ、わたしは形だけの魔王候補生だ。

 魔界では『最強の魔王候補生』と言われる成績を残しはしたが、お父様はわたしのことを魔王にするつもりはないらしい。


 今や軟禁状態、自室待機を求められ仕方がなくそれに従う毎日。


 言われるがまま魔王候補生となり、言われるがまま最強と謳われ、言われるがまま自室待機。

 わたしの今までの人生は、全てお父様――魔王アルバラストの引いたレールを辿っただけのもの。

 わたしは別にそれが不満だったわけではない。

 幼い頃より武術や魔術だけに限らず、礼儀作法や人界の知識などあらゆることを叩き込まれた。

 そういう環境を作ってくれたこと、そのおかげで今何不自由なく暮らせていることに感謝しているくらいだ。


 お父様がわたしに『滅尽めつじん』と呼ばれる力を授けてくれた、それが意味するいつか来るであろうわたしの役目――それを待つのが単に退屈だと思っていただけのことだ。


「はぁーあ」


 読み飽きてしまった子供の頃より大好きだった本――人界の勇者の物語の本のページをめくりながら、ため息が漏れた。

 この物語は200年前に勇者が現れるよりさらに前に、人界で流行った勇者が主題となった架空のお話だ。

 それが作り話だとはわかっていても、ワクワクドキドキして読みふけったものである。

 いつからだろう、物心ついたときにはこういった勇者の物語に憧れ、よく好んで読んだものだ。

 魔王の娘が勇者の話に憧れる。

 今の時代となっては、他人が聞けば変人扱いもされるものだが、わたしはお父様にねだって人界のこういう読み物をよく集めた。


 子供の頃、実在する勇者と対峙したというお父様を羨んで、『いつかわたしも勇者に会ってみたい』と話したことがある。

 それに対しお父様は穏やかな笑顔で『そうだな、時が来たらな』と当時はよく意味もわからない返事をしてくれたものだ。


 しかし、今となっては――その意味もわかる。


 わたしの退屈な日常を打ち破ったのは突然部屋に鳴り響いたドアのノック音だった。

 お父様の使いからの伝言であり、わたしはお父様から呼ばれたらしく、すぐさまお父様のいる王座の間へと向かった。


 そこにいたのはお父様一人で、いつもはたくさん並ぶ家臣の一人もおらず、ただならぬ緊張感があった。

 三メートルはあるかという王座に腰掛けた大きなお父様。

 その表情は照明の陰に落ちて、うかがい見ることはできなかった。


「時が来た。我が娘アグルエよ。どうして今まで待機を命じたか、わかっておるな?」

「はい。『頼みたいことができるまで待て』とのことだったので」


 わたしはわかっていることだけを汲んで返事をした。


「これから頼むことはアグルエ、おまえにとって茨の道となるやもしれん。

 だが、この世界の未来を守るならば、そうするしかもう……道はないのだ」


 わたしはただ言葉の続きを待った。


 お父様が何を頼もうとしているのか――退屈な日常の理由。

 わたしがどうして人間と同じような姿で生まれたか。

 わたしにどうして滅尽めつじんと呼ばれる万能に近い力・・・・・・を残したのか。

 だいたい、おおよその予想はついていた。


「世界を救うために、人界にて勇者を探してきてほしい」

「わかりましたわ、お父様」


 わたしは『世界を救うために最後まで残された切り札』だったのだ。


 お父様より『漆黒の魔封』と呼ばれる魔素マナを吸い込んで魔族としての痕跡を消失してくれるペンダントを預かる。

 そのまま部屋に戻ったわたしは外出用の洋服へと着替えコートを被り、人界への転移を考えできるだけ身軽に、持ち物を減らして旅立ちの準備をした。


 ここから先の旅路は真っ直ぐなレールではない、先の見えない果てなき道となるだろう。

 きっとわたしは魔族にとっての敵と見なされるかもしれない。追われる身となることも承知済みだ。

 お父様もそれをわかった上でわたしに内密に頼んだのだ――『勇者を探す』なんてことを。


 わたしにはその真意がわからない。

 お父様にもどうやら、詳しく説明することができない理由がありそうだった。

 ただそうすることでしか今の魔界を――世界を変えることができないのだろう。


 わたしには長年の疑問がある。

 どうして、人界の歴史では『勇者が正義で魔王が悪』となっているのかがわからないのだ。


 お父様は誰よりも『世界の救済』を考えて魔王の座についたはずであったのに――。

 お父様がその口で『勇者』のことを語るとき、決まってその表情は穏やかで好敵手ライバルを語るような、口ぶりだったのに――。


 それについてもお父様は『自分の目で確かめてこい』と言ったきり、詳しくは教えてくれなかった。


 ここ200年で魔族の考え方も変わってしまった。

 人間の敵が魔王であるならば、魔族にとっての敵は勇者であり、その力を持つ勇者候補生である――と考えるものも、今はもう少なくはない。


 わたしは何かそこに、掛け違えたボタンがそのままになってしまっているような違和感を、ずっと覚えていた。


 きっかけはお父様の頼みであったかもしれないが、お父様はわたしに無理強いしたわけでもない。

 ただわたしは、ずっとこの世界の間違いを知りたかったのだ。

 だから今――わたしは自分の手で世界を切り開く。

 そうすることでわたしの世界が救われると信じて――。


 人界と魔界とは、一定の地点にある転移魔法――ゲートを通ることで行き来することはできる。

 だが、ゲートは厳重に管理されているものだ。

 内密で他の魔族から隠れて人界へと移動しなければならない、となると自身でゲートを開くしかない。

 人一人があちら側へ飛ぶための転移魔法を、一人で準備しなければならないとなると大掛かりなものとなる。


 わたしは誰にも別れの挨拶もせず、すぐに自室でその準備を進めた。

 ありったけの魔素マナを練り上げ、ゲートと呼ばれる魔力の渦を造り出す。


 不安がないと言えば嘘になるがそれでも今まで17年間、このときを待つためにわたしは生まれたのだと思うと、次第に不安よりも興奮が上回った。

 退屈な日常と変わって、その旅立ちには昔大好きな本を読んでいたときに感じたような、ワクワクドキドキとした高揚感があった。


 転移先がどことなるかはわからない――きっとわたしは、この転移だけで体内の魔素マナを吐き切るだろう。

 でもそれも魔素マナを探知して追われることがなくなると考えれば好都合――お腹はとっても空くんだろうけれど。


「さて――っと、いってきます!」


 ゲートを造ったことでわたしの魔素マナが周囲の魔素マナを乱しているだろう。

 誰かに察知され面倒なことになる前に、わたしはゲートに飛び込んだ。


 身体がグネグネとかき混ぜられるような、気持ち悪い奇妙な感覚に襲われて――視界が暗転した。



 次に目を覚ましたアグルエはどこかの街、どこかの薄暗い民家の裏手――路地裏に存在していた。

 無事人界へと転移することに成功したアグルエは、ただ自身を襲う空腹感に耐え切れずフラフラと立ち上がり、何か・・を求めて歩き出した。


 思考も何もかもができず、突然目の前に現れたものがなんなのか、アグルエにはわからなかった。

 しかし、アグルエはそれこそが、自分にとっての救いなのだと信じて――

 目の前に現れたに吸い寄せられるよう手を伸ばしたのだった。




        ――その日青年は最強と謳われた魔王候補生を拾った fin,

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