第11話 襲来


 勇者候補生の旅路において、特に決められた道のりがあるというわけではない。

 世界に五つある勇者の軌跡を辿るという目的は一緒だが、どこの軌跡から目指すか、というのは勇者候補生それぞれ異なるからだ。

 しかし一般的に、サークリア大聖堂から旅立った多くの勇者候補生はまずミースクリアの街に立ち寄るし、そのままサミスクリア大陸から出るために、大陸の玄関口である港町ルスプンテルを目指すものだ。

 港町ルスプンテルの近くには、勇者の軌跡の一つである『白の軌跡』が存在する。

 エリンスとアグルエもまた白の軌跡を目指して、港町ルスプンテルを目指すことにした。


 ミースクリアからルスプンテルまでは人の足で5日ほど掛かる。

 平坦で安全な道を行くのならば、サミスクリア大陸の中央にそびえ立つデムミスア山脈を避け、アルケーリア大平原を大きく迂回する必要があるからだ。


 ただ道が一つではないということを、エリンスは知っていた。


 本来ならば避けて大きく迂回する必要のあるデムミスア山脈だが、それを突き抜けることでルスプンテルまでの旅路は大きな短縮になるのだ。

 山脈を突き抜けるともなれば道中は崖や森が続き険しいものとなるだろう。

 しかし、早ければ人の足で2日にて山脈を抜ける裏道があるらしい。

 最近ではそのルートを選ぶ勇者候補生も少なくない、とエリンス独自の調査ではわかっていた。


 凶暴な魔物も住まうと聞く山脈だ。

 一人であるならば使おうとは思わなかった道であったが、同盟パーティーに心強い仲間として魔導士のアグルエを迎えることができた今、通り抜けることができるだろうと確信していた。


 ここで3日短縮できるというのは出遅れてしまったエリンスにとって、この先の旅路に置いてアドバンテージとなる。

 だがエリンスはこの旅立ちにおいて、近道と面倒事がセットだったということを忘れていた。


 デムミスア山脈道中、二人は歩きやすそうな道を選びつつ、山道の森の中を進んでいた。

 右を見れば深い緑色の森とその先に天まで届くのではと思うほどに高い断崖絶壁の壁。

 左を見れば奈落へと繋がるのではと思われるほどの谷間、底には激流唸る川がある。


 エリンスはその道を通ったことを少し後悔していた。

 後ろをついてきていたアグルエにも疲労の様子がうかがえる。

 エリンスはアグルエとメルトシスの決闘を見て、アグルエを心強い仲間として考えてしまったが、アグルエはいいところの育ちらしき雰囲気のある、ただの女の子だ。

 険しい山道ともなれば、ただでさえ冒険慣れのしていない女性を連れて歩く道ではなかったな、と思った。


「アグルエ、今からでも引き返すか?」


 エリンスは後ろ振り返りつつ、ついて歩くアグルエに向けて声を掛けた。

 まだ数時間歩いたくらいのところだ。

 引き返したところで、そう大したロスにはならないだろう。


「ううん、大丈夫。こっちが近道なんでしょ」


 アグルエは心配掛けまいと元気に返事をして見せた。

 とはいえエリンスもやや引き返すべきなのでは、というほうに考えが傾いている。

 幸いまだ魔物に襲われてはいないが、思ったよりも険しい道にそう考えざるを得ない。


「ほんとにこんな道通るやつがいるのかよ」


 エリンスが文句の一つでも言いたくなるほどだった。

 だから「やっぱり引き返そうか」とエリンスがアグルエのほうを振り返った、そのときだった。


 空より何かとてつもなく、不気味な気配がした。

 アグルエもすぐにソレに気づいたようで、エリンスとアグルエは同じ方向へと飛び退いてソレから距離を取った。


「アグルエぇ、『魔封まふう』を、外したなぁ?」


 アグルエのことを呼んだその声に、エリンスは背筋が凍るような身震いをする。

 声だけでわかるほどの不気味さで、人の口から発せられたとは思えない異質さだった。

 先ほどまでエリンスとアグルエが立っていた場所には大きな爪痕が残されており、そこには異様な魔物のような姿をした人影が見えた。


 額より生えた一本の大きな角。

 肩まで伸びた髪に、目が切れ長で鋭く尖っていて、まるで悪魔のような印象。

 体格は人間とそう変わりはしないが、その肌の色は紫に近いくすんだ濃色。

 口は避けるような大きいもので、右手の先の爪は鋭く尖り、剣にも劣らない切れ味を持っていそうなものだった。

 先ほど立っていた場所につけられた大きな爪痕が、その爪によってつけられたものだということは容易に想像がつく。


「そういうリスクがあることはわかっていたけど……。

 それにしても、あの短時間で感知したやつがいたっていうの……」


 驚いたような表情をしたアグルエではあったが、何か予感があったらしい。


「ズハハハ」と不気味な笑いをして見せるソレ。


 エリンスは混乱していた。

 ソレがアグルエの名を呼び会話をしているということ以上に、ソレ自体に。


『人語を喋る魔物の存在』はこの世界の歴史には特例として記録されている。

 人はそれを『魔王』と恐れ、それに属するものを『魔族』と呼ぶ。

 本来あまり人前に姿を見せることのない魔族を、しかしエリンスは過去一度目にしたことがあった。



 エリンスの中で――悪夢が呼び覚まされる。


『ダメだ、逃げよう』

『エリンス、二手に分かれよう!』


 まだ幼さが残る男の子の姿――あいつ・・・の声で思い返されるその台詞。

 悪魔に追われた、エリンスと幼馴染――。

 そして幼馴染と悪魔の姿が、森の奥へと消えていく光景――。


 心臓がドクンッと強く跳ね上がる。



「びびっちまったか、人間」


 ソレがエリンスに語り掛けてきた。

 エリンスは返事ができない。


「ぼくは借乗しゃくじょうの魔王候補生、エムレエイ・ガム。

 まあ今日の目的はきみら勇者候補生じゃないからねぇ」


 エムレエイと名乗った魔族は続けて語り出す。


「ぼくはラッキーだよぉ、たまたま近くにいたからねぇ。

 あの一時ひとときできみを見つけられるのは、魔力感知に敏感なぼくくらいのもんだ。

 でも本当だったんだねぇ。きみが魔界から逃げたと聞いたときは、嘘かとも思ったのに。

 まさか本当に裏切って、勇者候補生とお遊び同盟パーティーとは、ねぇ?」


 エムレエイはアグルエのことを知っているようだった。


「それとも寝首を掻いて一人抹殺するつもりだったのかなぁ? アグルエぇ」


 汚らしい言葉でアグルエを呼ぶエムレエイ。


「ぼくにも思いつかないような卑怯なことを考えるもんだねぇ、最強と謳われたきみが」


 エムレエイが、何を言っているのか――エリンスには理解ができない。


「そんなことするわけないでしょ!」


 アグルエは強い言葉で否定した。

 そのアグルエの顔をエリンスはうかがった。


 このエムレエイと名乗った魔族が話したことの意味はわからない。

 ただ、アグルエがエムレエイと会話をしているという事実からわかるのは、あながちエムレエイが話していることが全て嘘ではないから、ということだ。


「ズハハハハ、こいつ、きみのこと、何も知らなかったみたいだぁ」


 エムレエイはエリンスの表情を見て大きく笑った。


「ぼくが教えてやるよぉ。

 ここにおられますは最強と謳われた魔王候補生、アグルエ・イラ。滅尽めつじんのアグルエさ」


 魔王候補生というものが何なのかエリンスにはわからない。

 だけど先ほどから耳にしていたその言葉一つから、意味合いは推測できてしまう。

 魔王・・という単語から。


 アグルエはその言葉を否定しようとはしなかった。


「本当なのか……?」


 思わずエリンスの口から漏れ出た疑問。

 アグルエはただ静かに首を横に振ってからこたえた。


「その話は、本当よ」


 返事を聞いてエリンスは体から力が抜けてしまい、呆然としてしまう。



 アグルエは考えていた。

 エリンスに対して嘘はつきたくない――と。

 同盟パーティーを組むことになった今、アグルエは近いうちに自身のことを明かして話そうと思っていた。

 アグルエ自身の目的――そのためにも、それは避けては通れないことだったから。


 アグルエは突如としてそのときが来てしまったこと――その起因となったエムレエイに矛先を向ける。


「エムレエイ、あなたには関係ないの。

 嫌味を言うために来たのなら、帰ってくれるかしら」


 それに対してもエムレエイは面白そうに「ズハハハ」と笑う。


「そんなわけはないだろう。裏切り者のきみを消せば、ぼくはそれだけで魔王の座に一歩近づけるんだよ?」


 アグルエは薄々そのようなことなのだろうと勘づいていた。

 くだらないことを続ける魔界の者たち・・・・・・の考えそうなことだ。


 エムレエイがそのつもりなら、アグルエにもエムレエイと対峙する気概があった。

 しかし今この場でエムレエイと対峙するのは――エムレエイの『借乗しゃくじょう』の力のことを考えると非常にまずいことだ。

 まだ時間が必要となる。

 どうすればこの状況を打破できるのか――



 その間もエリンスは混乱していた。

『勇者を探している』と語ったアグルエが、魔王候補生であるなんて――

 それに加えて、悪夢の元凶である魔族と同種のソレが、目の前にいるということに――


――迷いは命取りだ。


 エリンスは心の中で師匠に言われたことを思い返し呟き、困ったような顔をしているアグルエの表情を一目見て決断する。


 何がどうなっているのか、アグルエやエムレエイの事情というやつはわからない。

 だけど一つだけハッキリとしていることがある。

 エリンスにとっても、アグルエにとっても、エムレエイの存在が敵だということだ。

 ならば今、信じるべきことがなんなのかは――決まっている。


 エリンスは覚悟を決めて、腰に携えた剣を抜き、一歩を踏み出す。

 エムレエイは未だアグルエに嫌味を言うことに夢中なようで、エリンスの行動に対しての反応が一歩遅れた。

 その隙をエリンスは見逃さない。


 一気に距離を詰めてきたエリンスに驚いたような表情を見せたエムレエイではあった。

 が、しかしそれも一瞬――エムレエイはニヤリ、と背筋のゾクッとするような笑みを浮かべる。


「ダメ! エリンス!」


 そう叫んだのはアグルエであった。


「今この場には『魔封まふう』の影響のないアグルエの魔素マナがまだ残っているんだなぁ。

 それをただ、ぼくは借りるだけなんだぁ」


 飛び掛かるエリンスに対し左手を掲げ、そこから黒い炎を出すエムレエイ。

 黒い炎は決闘のときにアグルエが見せた翼のように広がり、エムレエイの盾として機能する。

 至近距離まで寄ってしまったエリンスにはその炎を避ける術がない。



 滅尽めつじんと呼ばれる力にはどんなものであろうと粉々にし、消失させてしまうほどの強さがあることをエムレエイは知っていた。

 エムレエイはそのまま黒い炎でエリンスを飲み込み、滅尽アグルエの力にてその存在を消してやろうと考えた。



 しかしその刹那――アグルエは胸にかけたペンダントを強く握りしめながら、エリンスに飛び寄った。

 エムレエイの黒い炎がエリンスを覆い包もうとしたのと同時に――アグルエの黒い炎がエリンスを守ろうと膜のように広がり、エムレエイの黒い炎の内側よりエリンスを包んだ。

 そしてそのままアグルエは背後からエリンスを抱きしめると、地面を蹴って方向転換して谷のほうへと飛んだ。


「どうして! アグルエ!」


 急に背後に感じたアグルエの温もりに対し、エリンスは混乱し叫ぶ。

 だがアグルエは必死であったために、返事をすることができなかった。

 そのまま自身をも黒い炎の膜で包んだアグルエは、エリンスを抱えたまま深い谷底へと落ちていく。


 二人は激しく唸る川の流れへと姿をくらました。



 その様子を見ていることしかできなかったエムレエイは苦虫を噛み潰したような顔をして「ちっ」と舌打ちした。


「下がこれじゃ、魔素マナから追跡するにしても時間が掛かるなぁもう……」


 エムレエイは、せっかく巡ってきたラッキーチャンスだったのに心底面倒くさいことになってしまった、と考える。

 それもこれも、あの人間の邪魔のせいだ。

 アグルエが予想にしないような行動をとったせいだ。

 エムレエイは全ての責任がエリンスにあるかのように考え続けるのであった。



 激流へと飲み込まれたエリンスの意識は、次第に失われていく。

 過去のトラウマ、悪夢を思い返してしまったこと。

 少し信じて、そしてこれから先、勇者を目指して世界を救おうと思っていた同盟パーティー相手が、魔王候補生と呼ばれるものだったこと。

 ただ単に昨日あまり眠れていないから――ということもある。


 薄くなっていく意識と視界の中、最後に目にしたのは何か先を見ているような眼をした凛としたアグルエの横顔。


 激しい川のうねりは1月の寒さを伴って、とても冷たいものであるはずだった。

 だけど不思議とエリンスはその冷たさを感じることはなかった。

 エリンスの意識が途絶える間際――エリンスが思い出したのはどこか遠い日、抱きかかえてくれた母親から感じた温もりのようなものだった。

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