第2章、旅立ち編2――星の谷に刻まれし運命の下で

第13話 勇者候補生と魔王候補生


『エリンス!』


 そう名を呼んだ男の子の声は懐かしいものだった。

 エリンスにとっては忘れるはずもない存在。

 小さい頃より同じ村にて育った幼馴染とも呼べる大親友のあいつ・・・、『ツキト』の声だ。


『こいつはやばいかもしれない!』


 ツキトが緊迫した様子で叫んだのをきっかけに、エリンスの中で瞬時に悪夢が呼び起こされ――光景は巡る。


 鬱蒼とした森の中――立ち並ぶ木々の隙間から、それは現れた。

 5年前、12歳だったエリンスとツキトは住んでいた村の近くの森に立ち入り、人語を理解する魔物のような異形――魔族と出会ってしまった。

 魔族はエリンスとツキトを見るなりいきなり襲い掛かってきたのだった。


『なんて力の強さだ――今のぼくたちじゃ敵わない――』


 エリンスは口から火を吹く魔族と、剣を手に対峙するツキトの姿を思い出す。


――光景は巡る。


『エリンス! このままでは二人共倒れだ、分かれて逃げよう!』


 魔族から剣を引き、ツキトは逃げながら提案した。

 そう言ってエリンスとツキトは二手に分かれて村を目指したのだが、魔族はエリンスのことには目もくれずツキトを追いかけて森の奥に消えて行く。


「ダメだ、そっちへ行かないでくれ!」


 エリンスは叫んだ。

 しかしその声は思い出の中のツキトには届かない。


――光景は巡る。


 幼馴染のツキトは、ついに帰ってくることがなかった。

『不運なことじゃ……遺体も見つからないとは……』

 炎上し黒焦げた森の一角、涙流すエリンスの横で長老がそう呟いた。


 そのときの喪失感がフラッシュバックする。


――光景は巡る。


『おまえの幸運は人を不幸にしたんだ』

 それは5年前ジャカスから言われた言葉。

 エリンスの心をえぐったトラウマの言葉。


 ひどく胸が痛い。


 炎上し黒焦げた森の一角――嘆く大人たち――別れ際にみた親友の横顔――。

 全てがエリンスにとっての悪夢だ。


 耐えきれぬ衝動は自然と口から飛び出す悲鳴となるが、しかし誰の耳にも届かない――と思われた。


「エリンス、きみにはまだやるべきことがあるだろ!」


 悲鳴に返事をするようにしてエリンスに聞こえた声は、やはり懐かしい雰囲気を残したままのツキトの声だった。

 不思議と耳に溶け込んで心全体にも広がるようなその声でエリンスは落ち着きを取り戻す。


「そうだ、俺にはまだやることがあるんだ」


 無意識に返事をしてやるべきことを思い出した瞬間――さっきまであった喪失感も何もかもが不思議なことにスッと消えている。

 そしてエリンスは次第に身体が浮遊していくような感覚を味わう。

 それが目覚めの感覚だと気づくのに時間はいらなかった。


 思い出の中のツキトとの別れ際――ツキトはエリンスの思わぬことを口にする。


「だったら寝ている暇はないだろ? それに彼女・・はきみの目覚めを待ってるよ」


 どうしてツキトはその声で――アグルエのことを話すんだ――?


 エリンスは疑問に思い――ガバっと飛び起きた。

 だけど目覚めたエリンスはすぐにその夢を忘れてしまった。



◇◇◇



 エリンスの視界にまず入ったのは、自身を包む薄く光る黒い炎の膜だった。


「あの後、どうなったんだ……?」


 一息ついてから思い返す。

 冷静さを忘れてエムレエイと名乗った魔族へ飛び掛かったところで、手痛い反撃をもらいそうになり、アグルエが背後から助けてくれたのだ。


「そのままあいつから逃げるために崖底の川へと飛び込んだ……よな?」


 しかし身体や服に全く濡れた形跡がないことに驚く。

 冷たさや寒さも感じない。

 むしろ眠っていたエリンスを包んでいたのは、布団の中にいるような温もりだった。


「アグルエは?」


 そこでエリンスにようやく辺りを見渡す余裕ができた。

 湿ったような岩肌が見えるゴツゴツとした自然を感じる壁、洞穴ほらあなの中。

 浅いもののようで、入口から差し込んだ外の光が薄っすらと洞穴内を照らしている。

 人の気配はない。もちろんアグルエの姿も見えない。

 近くから川の流れる音が聞こえることを考えると、飛び込んだ川沿いではあるのだろう。


 ようやく今の状況を全て思い出すことができた。


「魔王、候補生……」


 エリンスは包んでいる黒い炎の膜を見つめて思い返していた。

 アグルエが助けてくれたことに変わりはない。

 そこにどんな意味合いがあろうとも向き合わなくてはならない、と考えていた。

 エリンスは自身に大した怪我がないことに驚きつつ立ち上がり、洞穴ほらあなを出た。



 立ち並ぶ木々と大きな石や岩が転がった河原が目に飛び込んできた。

 近くを流れる川は未だ激流といった雰囲気で、まだまだ上流に近いことがうかがえる。

 そうして見渡した河原で、座り込んだアグルエの後姿を見つける。

 それと同時に、何やら辺りに香ばしい匂いが漂っていることにも気づく。


 匂いの正体もアグルエに近づいたことですぐに判明した。

 大き目の石を囲炉裏のようにきれいに並べて、そこで木の枝を串にして、魚が10匹ほど炎に炙られていた。

 アグルエは焼き魚の串を両手にし、もぐもぐと自然の恵みを味わっているようだった。


――何やってるんだこの子は、と一瞬考えもして、どう声を掛けようかエリンスは迷った。


 アグルエは背後に近づいたエリンスにも気づかないのか、食べることに必死だった。


「アグルエ……魚、獲ったのか?」

「んっ! やっと起きた!」


 エリンスが声を掛けたことで、アグルエはようやく気づいたように振り返った。


「おはよう、エリンス」


 魚を刺した串を手にしたままアグルエが右腕を振ると、エリンスを包んでいた黒い炎の膜が消える。


「……おはよう」


 若干の気まずさを覚えたまま、エリンスは返事をした。


「雷の魔法でちょちょいーっとやってね、この川、食べられそうな魚がいっぱいいたよ」


 アグルエは嬉しそうに語っている。

 エリンスは魔法で魚を獲っているその姿を思い描きながら、思わず笑ってしまった。


「わたし、昔から魔法を使うとすぐにお腹が空いちゃって……あはは」


 照れ笑いをする顔を見て、エリンスはどこか一安心する。

 いろいろな表情を見せてくれたアグルエだ、と。


 エリンスはアグルエとはじめて会ったときのことを思い出していた。

 暗い路地裏で倒れかけていたアグルエの姿――あのときも随分とお腹を空かしていたようだった。

 そのエリンスの考えていることが伝わったのだろう。


「あのときもそうだったの」と、再びアグルエは照れ笑いをしながら口を開いた。


 そして両手に持った串を置き、囲炉裏につけた炎の魔法も消すと、アグルエは静かに続けた。


「隠し続けるつもりはなかったの。信じてほしい」


 胸に手を当て涙すら浮かべるような表情で話すアグルエに、エリンスは真剣にこたえる。


「事情がどういうわけだかわからなかったけど、アグルエは俺のことを助けてくれたんだろ。

 俺は、俺のために戦ってくれたアグルエのことを信じるよ」


 エリンスは元よりアグルエのことを非難するつもりなどなかった。

 きっとはじめて会ったところで、その事情を話されていても理解できた気がしない。

 エムレエイという追手の存在が明らかとなったことで、アグルエの事情も垣間見えたというものだ。



「エリンス、きっかけがこうなってしまったことだけど、改めてわたしの話を聞いてほしい――」


 そうして、アグルエは自身の出自――『お父様のこと』を除いて、わかっていることをエリンスに話した。



 現魔王の力が衰退し、次期魔王を決めるための勢力争いが活発となり、魔界が非常に不安定なこと。

 魔王候補生という次期魔王候補の者たちが、勇者候補生同様に集められて存在していること。

 アグルエ自身がその魔王候補生であり、歴代最強と謳われたランク1位であったこと。

 そして、不安定な魔界を救うためには、『そこにどういう意味があるのかはアグルエ自身にもわかっていない』が、勇者の力が必要だと知り、勇者を探すために魔界を一人抜け出してきたこと。



 エリンスはアグルエの話全てをただ静かに聞いた。

 魔王側――魔界の事情など一切聞いたことがないエリンスにとって、にわかには信じがたいことも多く含まれた話であった。

 だがエリンスは、その真剣な表情から全てを察して、アグルエを信じることにした。

 そのような大げさな嘘をつく意味などアグルエにはないだろう、と。


「わたしの姿は人間と瓜二つ、そんな魔族他にはいない。

 きっとわたしは、勇者が魔界に求められることを予期してこういう姿で生まれたんだと思う」


 話の最後にアグルエはそう続けた。

 アグルエの話が作り話だとは思わない。

 だが、エリンスには一つ大きな疑問があった。


「勇者はこの世界にはもういないはず」


 人間は魔族と違って200年も生きることはできない。

 200年前の勇者はその力を残して消えたと伝承には残っているし、この200年、力を引き継いで勇者となったものは未だ生まれていない。


「そうなんだよね。そうなんだろうと思ったよ」


 アグルエの持つ人界の知識には、人間の寿命やこの200年間でできた勇者候補生制度の話も含まれている。

 だから魔王アルバラストがどういう意味をもって『勇者を探してきてほしい』と頼んだのかが、ずっとわからないことだった。


「だから、エリンス。一つお願いがあるの。

 わたしにもその意味はまだわかっていない。

 だけど、一緒に勇者を探して、魔界を救ってほしい――」


 そこでアグルエは言葉を区切って続けた。


「エリンス、わたしの勇者になって」


 アグルエの言葉は、エリンスの心を強く打つ。

 何やら大きな期待と一緒に、大きな使命までをも課せられたかのようなものだった。

 その意味合いが言葉通りの意味であり、簡単に返事ができるものではなかった。

 しかし、5年前――その悲劇を糧に決意し、勇者を目指すために落ちこぼれや最下位と呼ばれようと勇者候補生となったエリンスにとっては、無視のできない言葉であった。


 エリンスの心の中でずっと灯っている、大きな志の炎。


『ぼくらは勇者になって、世界に真の救済をもたらすんだよ、エリンス!』


 そう語っていたのは、親友のツキトであった。


「俺にも勇者や世界の救済なんてものが、わかっていないことなのかもしれない。

 魔界の事情を聞くと、討つべきだと教えられていた魔王の存在、それすらもあやふやだ。

 けど、俺は勇者候補生。だから勇者になれたらいいなって思ってる」


 アグルエはエリンスの返事を嬉しそうに受け取って、言葉を続けた。


「エリンスなら絶対になれるわ!

 わたしはそのために同盟パーティーを組んだんだもの!」


 胸を張って言うアグルエの気持ちは、エリンスにとっても頼もしい返事だった。


 結局のところ、『勇者を探す』という意味は、エリンスにもアグルエにもわからない。

 だけどその答えは、勇者候補生の旅を続ける先にあるのだろう。


「そうと決まれば、目的地ルスプンテル、白の軌跡を目指すしかないな――」


 しかしそのためにも、忘れてはならない脅威が未だ近くにいることをエリンスは思い出す。

 エムレエイ・ガムと名乗ったアグルエと同じ魔王候補生の存在だ。

 きっとやつは今も、エリンスとアグルエのことを追ってきているだろう。



◇◇◇



 話も終わりアグルエが焼き魚を食べ終わるのを待って、エリンスとアグルエは河原より出発することにした。

 道を大きく外れてしまい、今どこにいるのかもわからない状況ではあった。

 ただ、川を下ってきたのならば、近くに村の一つくらいあってもおかしくないのでは、と二人は考えた。


 目的地不明のやや不安な旅立ちの最中。

 アグルエは自分のことは話せたが、エリンスのことは何も聞けなかったな、と思い口を開いた。


「ねぇ、エリンス。一つ聞いてもいい?」

「なんだ?」

「エリンスはどうして勇者候補生になったの?」


 だけどアグルエはその質問のこたえを聞いて「聞かないほうがよかったことだったのかも」と少し後悔することになり、それ以上話を聞くことができなかった。


「それが、亡くなった親友の夢だったから」

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