第7話 静かなる決闘前夜


 決闘は明朝行われる運びとなった。

 エリンスは今からでも取り消してもらおうとアグルエに言い寄った。

 しかし、アグルエはどこ吹く風なかれと言った様子で話を聞き入れはしなかった。


 成り行きで決闘を見届けることになってしまった。

 おまけにエリンスにとっては予定外の足止めとなる。

 街での宿泊の必要性が出てきてしまい、別の心配があることを思い出した。

 だが、その心配はアーキスが解決してくれた。


「向かいの通りを少し進んだところから路地に入った場所にある『ミースクリアの夜明け』という名前の宿に部屋を取ってある。

 その一室をきみらに譲ろう。もちろんお代は俺持ちで構わない。あいつが言い出したことで、きみらの手をわずらわせることになってしまったからな」とのことだった。


 財布が空っぽだったので、非常に助かるありがたいことだった。



 そのようなことがあって――宿『ミースクリアの夜明け』の一室、エリンスとアグルエは共に部屋へ入ったところだった。

 ベッドが二つあることにひとまず安心はした(なければ床で寝ようとエリンスは考えていた)ものの、エリンスとしては気が気ではない状況であった。


「はーぁ、今日は疲れたなー」


 部屋へ入るなり、アグルエはベッドに腰かけながらのんきな調子でぼやく。

 アグルエからは全然緊張やら焦りやらといったような感情が見えないことに、エリンスはより焦りを感じていた。


「決闘が何かわかってるのか?」

「戦うんでしょー? えいえいって」


 剣も持っていないのに剣を振るような動作で腕を振るうアグルエに、子供っぽい印象を覚える。

 でも決闘は――子供が考える単純な戦いではないのだ。


「あのなぁ……」


 出会ってから数刻、いろいろな表情を見せたアグルエに、エリンスは手を焼いていた。

 世間知らずすぎるだろう、と。


「大丈夫、勝てばいいんだから」


 アグルエはさも自信があるかのように振る舞う。

 たしかに勇者協会で見せた黒い炎の魔法は、見たこともない炎の魔法で、すごいものだという印象をエリンスも覚えた。

 しかしそう簡単な話でもない。

 相手はあの神速のメルトシス、神速剣しんそくけんという剣技の使い手だ。

 当然、剣技で攻めてくるだろう。


「相手は神速のメルトシスという二つ名が、候補生試験の段階で通っている強者なんだぞ。

 魔法だけでどうにかなる相手じゃない、剣を習ったことはあるのか?」

「一通りの武術は習ったことがある。もちろん剣術も。だから多少は、どうにかなるかなーって」


 一応、剣を扱うことはできるらしい。

 まあアグルエがその剣を持っている様子はないのだが。

 ないのなら自分の剣を貸してもいいと思ったエリンスだったが、相手が相手だ。

 自分が持つ名もない鈍らに近いものを貸したところで、力になれるのか疑問だった。


「今日はいろいろあって疲れちゃった。悪いけど、わたしお先に寝るね。おやすみ」


 エリンスから見てもわかるほどに、アグルエの瞳は眠さを訴えかけていた。

 アグルエは「ふわぁーぁ」という大きなあくびをしたところで、そのまま掛け布団を被ってベッドに潜ってしまう。


「お、おう……おやすみ」


 油断も隙もしかないアグルエの様子を見て、エリンスはただ生返事をすることしかできなかった。


――よく眠れるよな、この状況で。


 エリンスは考えながら、もう一つのベッドに腰かけた。

 勇者候補生となったこの一日は激動の一日となった。

 しかもまだその激動は、明日の決闘まで続いているということだ。


 成り行きで人を助け、成り行きで絡まれ、成り行きで仲間になったことになっていて、成り行きで決闘を見守ることになってしまった。


 予定外の連続だ。

 モヤモヤとした考えが晴れそうもない。

 そのまま眠れる気もしなかったエリンスは、荷物の入った革袋だけを部屋に置いて、剣を片手に立ち上がった。

 寝息を立てはじめたアグルエを起こさないように、と灯りを消して、静かに部屋を出て、扉に鍵をかけた。



◇◇◇



 宿を出たところで、祭りで賑わったメインストリートとは逆側、宿の裏手へと回った。

 裏に開けた広場があることを確認していたエリンスは、そこで剣の素振りでもしようかと考えた。

 ミースクリア勇者祭は三日三晩騒ぐ、と何かの雑誌で目にしたことはあったが、本当にその通りらしい。

 夜も更けてきたのに、街はまだまだこれからという賑わいを見せている。

 ただ一歩路地を入ってしまえば静かなもので、集中して素振りをするのにちょうどいい空間だった。


 眠れないときや考えがまとまらないときは、これに限るというのが師匠の教えだ。

『剣を振れば迷いを断ち切れる』というのは師匠の受け売りの言葉で、エリンスにも習慣となっていること。


 両手で剣を振ることからはじめ、右手で、左手で、とそれぞれ素振りをする。

『エスライン流』というエリンスの師匠の剣技は、決まった型がないことが特徴の水の流れるような剣術だ。

 だからいろいろなパターンから剣を手にして、剣を振るうことを意識する。

 決まった型がないから発想力と身体の使い方が大事なのだ、と師匠も語っていた。


 師匠の教えを思い出し、一心不乱に剣を振るっていたところで――エリンスは近くに人の気配があることを感じて、身体を止めた。

 思わぬ来客。

 素振りをしたエリンスのことを観察するように、宿の壁に寄りかかって立っていたのは、部屋を譲ってくれたアーキスだった。


「部屋、一つしか譲れなくて悪かったな」


 エリンスに居場所がなくここで素振りをしていた、とでも考えたのか、アーキスはそういった調子で喋りはじめる。


「いや大丈夫、この時期じゃ宿をとるってだけでも難しいんだろ。

 よかったのか? 部屋を譲ってもらっちゃって」


 祭りの時期は勇者候補生に限らず観光客が多い。

 きっとどこの宿も部屋は予約で埋まっているはずだ。


「ツレの厄介に巻き込んでしまったからな。こっちはこっちで、どうにかしたさ」


 冷たい夜風が路地の隙間を縫って、ヒューッと吹き抜ける。

 エリンスはちょっとした気まずさを覚えたものの、続けて口を開いたのはアーキスだった。


「邪魔しちゃったか……けど、その剣筋、よほど良い師匠を持っていると見受けする」

「そ、そうか? 師匠はすごいんだよ」


 勇者候補生第1位で名の通るアーキスにそう言われ、エリンスは『大好きな師匠』のことをほめられて嬉しくなった。

 だがアーキスは、そのエリンスにとっての師匠のすごさには興味もなさそうに続けた。


「型のない剣捌けんさばき、無駄のない重心の使い方、それだけとっても、だ。

 どうしてそれだけ剣を振るえて、最下位なんて順位で甘んじた? その剣筋だけでもっと上を目指せただろう」


 さすが第1位と言われる優秀な成績を修めているだけのことはある。

 エリンスの素振りの様子だけで、エリンスの心の内を覗き見たような的確な指摘だった。


 エリンスは痛いところを突かれたというような顔をしたが、別にアーキスに嫌味を言われたとは受け取らなかった。

 不思議とアーキスからはそういった雰囲気を感じない。

 第1位と持ち上げられているから、近寄りがたい手の届かない存在かと思っていたが、アーキスからはどちらかと言えば親しみやすい雰囲気を感じたのだ。

 だからエリンスも他の勇者候補生とのやり取りとしては珍しく、素直に話すことができた。


「恥ずかしい話なんだ。どうも人を相手にすると、思うように剣が振るえなくて体がついてこない」


 それはエリンスが昔から抱えている悩みであった。

 師匠からも剣術については一定の評価をもらえているが、実践の試験などの場で、人を相手にするとどうも形にならないのだ。

 未だ克服できない悩みは、候補生の試験の際もそうだった。


「試験官が人だから、か。甘ちゃんだな。

 半端な気持ちで剣を握れば、いつか痛い目を見るぞ」

「師匠からもよく怒られたよ」


「それ故の優しさ――か」


「ん?」と何か気になることをアーキスは小さく口にしたのだが――夜風に紛れてエリンスには聞こえなかった。

「いや、まあなんでもない」と話を切り替えるように、アーキスは声のボリュームを戻す。


「メルトシスは同盟パーティーに執着している。

 今日旅立たずにして、そのために街へ残るほどだ。

 そして、あの子はメルトシスにとっての条件を超える逸材だ。

 だからあの子に忠告できるならば、しておいてあげてくれ」


 アーキスは真剣な面持ちで続けた。


「メルトシスは、本気で決闘を戦うだろう」

「あぁ……わかった」


 薄々そうだろうなとエリンスも気づいていたが、アーキスが言うのならば本当にそうなのだろう。

 他人事のような返事をしたエリンスを見兼ねたのか、アーキスはさらに質問を重ねた。


「あの子ときみはどんな関係なんだ? あの子はえらくきみに執着しているように見えたが」

「それが俺にもわからなくて……ただ倒れかけていたところを助けて料理を奢っただけで……」


「そうか? それだけなのか?」とアーキスは返答する。


 あくまでも他人事といったような雰囲気でいるエリンスに対して、アーキスはさらに言葉を続けた。


「自分が関係ないと思っているならば、明日は傍観者でいればいい。

 傍観者であればこそ見えることもあるかもしれない。

 それにメルトシスの戦い方を見ておくと、何か発見があるかもしれない」


 それだけ言うとアーキスは、エリンスとはもう話すことはないといったような雰囲気で「邪魔したな」と立ち去っていった。


 エリンスはアーキスに返事をすることができなかった。

 心の中でアーキスの言った言葉がぐるぐると巡り、よりモヤモヤが増えたような気がしてならない。


――傍観者でいられるのか? いてもいいのか?


 アグルエもアグルエなりに、エリンスのことを考えてくれているのだろう。

 出会ったばかりの人のために決闘を受ける――その行動の重大さに、エリンス自身が気づいていないわけでもない。


『エリンスは誰よりも力強い優しさを持っているわ。そういう人こそ勇者に相応しくあるべきよ』


 勇者協会で胸を張りながら語ったアグルエの姿が、エリンスの瞼の裏に映る。

 そう言ってくれたことがエリンスは純粋に――素直に嬉しかったのだ。


『勇者を探している』とはじめに言ったアグルエの目的、真意はわからないことだ。

 それでも、少し――アグルエの気持ちにこたえて上げたい、とエリンスは思いはじめていた。



 アーキスが立ち去った後もエリンスは晴れることのなさそうな心のもやを相手に素振りを続けた。

 アーキスの残していった言葉は、エリンスにも何か決断を迫るような――そんな言葉だった。

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