第49話【お父さん】

 中学に入ってもクラスの話題は誰と誰が付き合ってるとか、誰が誰を好きだとか、恋愛関係の話は常に毎日のように嫌でも耳に入ってきた。


 何故、みんな人の恋路がそんなに気になるのか......私には理解できない。


 そもそもとして、私は他人に対する興味が欠落している。

 だから初恋らしい初恋もした記憶もない。

 恋をするという感情さえ、もうすぐ15歳になるというのに上手く説明できない。

 私は誰にも身も心も許さず、このまま一生を終えるものだと思い込んでいた......。


 ***


 すっかり私をお母さん、『三上灯里みかみあかり』と認識したお父さんは、朝晩毎日のように私の身体を求めてきた。

 私が生理現象で苦しい時だってお構いなし。

 さいわい最初の一回以外は、どうにか中に出されることは回避できている。


 あの真面目で穏やかな雰囲気の父とは思えないくらいの野性的な変貌ぶりに、最初私は大きく戸惑い、気持ち悪さも感じた。 

 だけど慣れというのは恐ろしく、何度も身体を重ねるうちに嫌悪感は薄れ、それどころか私の中に奇妙な満足感が生まれた。


 お父さんはが見ているのは目の前にいる私ではなく、もうこの世に存在しないお母さんだというのに......。


 そんな生活が一ヶ月近く経過した、ある土曜日の朝。


「今日は天気も良いし、遊園地にでも行かないか?」

 

 私より早く起きていたお父さんは、いつものように身体を求めてくるかと思いきや、隣で眠っていた目覚めたばかりの私に笑顔で声をかけた。


「え? ......いいけど」


 きょとんと、寝ぼけまなこで返事をする。

 それを受けて、お父さんが優しくニッコリ微笑み返した。


 学校は昨日から夏休みに突入。

 お父さんと二人きりで出かけるなんて、もしかして初めてなのでは?

 表情には出さなかったが、突然のお父さんからの提案に、私の内心は踊っていた。

 シャワーを浴び、自分の部屋でお気に入りの薄紫色の夏用ワンピースに着替える。

 鏡に映る私の顔は、口角が上がりにやついている。

 こんなことなら、もうちょっと可愛い服をネットで注文しておけば良かったなぁと後悔したが、まぁ仕方がないか。


「おーい! まだかー!」


 玄関の方からお父さんの催促する声が響く。

 次の機会までにはちゃんと用意しておこう。


「はーい! いま行くよー!」


 グレーのショルダーバッグを肩にかけ、私は急いで玄関先へと向かった。

 そこには、久しぶりに整った身だしなみで私を迎えるお父さんの姿が。

 会社を辞めてからずっと伸びっ放しだった髭は綺麗に剃られ、髪型も普段仕事に行く時みたいにセットされ、懐かしい穏やかな笑みを浮かべている。

 

「よし。じゃあ行くか」 


 玄関のカギをかけ、駅の方まで歩こうと身体を振りまかせると、お父さんが私の右手を

握ってきた。

 この歳で親、しかも父親と手を繋いで外を出歩くのは正直言って恥ずかしい。

 できれば拒否したかったけど、あくまでお父さんは私ではなくお母さんと手を繋いだつもりでいる。

 拒否した時の精神的ダメージを考えて、私は黙ってお父さんの好きなようにさせた。


 行先は遊園地としか聞いていなかった私が連れて来られたのは、家から電車を経由して30分くらいの場所に位置する、とある遊園地。

 有名どころと違ってコレと言った目玉のアトラクションもなく、それほど大きくない園内。

 人も土曜日の午前中にしては決して多いとは言えない。

 だけど作りそのものに哀愁味のあるレトロ感が漂っていて、懐かしい物好きな人にはたまらない場所だと思う。


世愛せなは覚えていないかもしれないが、世愛がまだ小さかった頃、一度だけ三人でここに遊びに来たことがあるんだよ」


「......お父さん。元に戻ったの?」


 遊園地に着くまで、言葉少なにいつくししみの笑顔を絶やさないだけだったお父さん。

 久しぶりに自分の名前を呼ばれ、驚きで肩がビクン! と上下に動いた。


「お昼過ぎると混むだろうから、それまでにできるだけいっぱいアトラクションを制覇するか!」


 私からの問いかけをただ微笑んで流し、お父さんは子供みたいな無邪気な笑顔を浮かべながら、手を引っ張って園内を連れまわした。

 コーヒーカップ、メリーゴーランド、ジェットコースター......待ち時間もほぼ無くす

ぐにアトラクションに乗れることもあって、順調に園内のアトラクションを次々に制覇していった私たち親子。


 ――凄く楽しかった! こんなにはしゃいだのはいつ以来だろう?


 午後2時を回った頃。

 お互いのお腹が限界を迎える知らせが鳴ったので、園内のイートインスペースで昼食をとることに。


「世愛、今年でいくつになるんだっけ?」


 テーブルを挟んで園内の売店で購入したハンバーガーを被りつく私に、お父さんがアイスコーヒーを飲みながら訊ねた。


「......15歳。娘の年齢くらい覚えておいてよ」

「すまない。ということはもう高校受験生か......早いなぁ。どおりで母さんに似てくるわけだ」


 拗ねた私の顔を慈しみの表情で見つめる。

 自分でも自覚はあったけど、私は明らかにお母さん似だ。

 だから成長した私にお母さんを重ね、お父さんが私に行為をするようになったと考えれば納得はできた。


「世愛は将来、何かやりたいこととか、目指している職業はあるのか?」

「......別に。わかんない」


 仕事を理由に三者面談を逃げたお父さんが、娘の進路を知るはずがない。

 受験する高校は適当に家から一番近いところを選んだ。

 私の成績なら問題無く入れるだろう。

 なので当然将来の職業についてなんて、何一つ考えていなかった。

 その日を生きて行くだけで精一杯の私には、そこまでの心の余裕なんて一欠片も存在しないわけで。


「そうか......まぁ、若いうちはいろんなことに挑戦して経験を積むことだ。成功・失敗関係無しに、その経験がいつかの自分に役に立つ時が絶対にやってくるからな」

「......お父さん、言ってることがおじいちゃんみたいだよ?」

「おいおい。父親に向かっておじいちゃんはないだろ。そりゃあ、中学生から見たら随分年取ってるように見えるかもしれないが」

「冗談だよ。なに娘のからかいを本気にしてんの」


 初めて娘の私に父親らしい助言をしてくれたお父さん。

 なのに私ときたら真面目な空気になるのが嫌で、思わず渋い顔で茶化してしまう。

 お父さんは優しいから、私がふざけても笑って許してくれる――本当、そういうところはお母さんとそっくりだ。


「......なぁ世愛」

「......どうしたの? 急に改まって」


 背筋を伸ばしたお父さんが、真剣な眼差しで私を見据える。


「......いっぱい迷惑かけて、そのうえ世愛の大切なものまで奪ってしまって......本当にごめんな」


 周囲の人の目も気にせず、お父さんは涙を流し、声を震わせながら謝罪の言葉を述べた。


 ――大切なもの――


 確かに。

 女の子にとっては一度きりの、好きな人に捧げるためのものを、私はお父さんによって奪われてしまった。


「――大丈夫だよ。お父さんがまた帰ってきてくれただけで、私は嬉しいからさ」


 また壊れてしまいそうなお父さんの肩にそっと手を乗せ、まるで子供でもあやすみたいに慰めの言葉をかける。


 ――そうだ。あれは仕方のない事故だったんだ。


 私が受け入れなければ、お父さんはもっと取り返しのつかない状態になっていたかもしれない。

 私は大切な『初めて』を失った代わりに、お父さんを救ったんだ。

 娘として、こんなに本望なことはない。

 何度も何度も、そう自分の中で言い聞かせ納得させた。


「その優しい笑顔......お母さんそっくりだ」

「お母さんに?」

「ああ。お父さんな、お母さんがふとした時に見せる、あの優しいふわっとした笑顔に一目惚れしたんだよ」


 記憶の中のお母さんは、いつも笑みを浮かべている。

 大好きな人と自分の仕草が似てきている――私にとっては最高の誉め言葉だ。


「......ありがとな、世愛。その人を温かい気持ちにさせてくれる笑顔を、いつまでも大事にしてくれよ」


 私の手を両手で握りしめ、絞り出すような声でお父さんは告げた。 


「......なんか、お腹いっぱいになったらタバコ吸いたくなってきちゃったな。ちょっと一服してきていいか?」


「あれー? お母さんに止められてるんじゃなかったけー?」

「今日だけは大目に見てくれよ。このとおりだ!」

「はいはい。わかりました。なるべく早く戻ってきてよね」

「わかってるって」


 涙を拭い無理矢理笑顔を浮かべたお父さんは、立ち上がり、タバコを吸うために喫煙所のある方へと向かった。

 久しぶりに見るお父さんの背中は、昔に比べてなんだか小さくなった気がしたが......きっと気のせいだろう。


 今日は晴れているというのに、夏にしては珍しく気温が低く、そして涼しい風が時折り吹く。半袖ではちょっと肌寒く感じる時さえある。


 ――このあと、何に乗ろうかな......やっぱり最後は観覧車なのは外せないよね......。


 お父さんの帰りを待ちながら、私はポテトを摘まみつつ、次に乗るアトラクションのことを考えていた。


 お母さんはいなくなってしまったけど、私にはお父さんがいる。


 これからはお父さんと助け合って二人で生きて行こう......それにしても、お父さん遅いなぁ。いったいどこまでタバコ吸いにいったんだろう? こんな可愛い娘を置いて――。


 ――ドサッ!!!


 ここからかなり近い距離。

 何かが地面に勢いよく叩きつけられる音が聴こえたと思えば、すぐに人の悲鳴の荒しが休む暇なく耳に届く。

 直感として、とても嫌な予感がする――私は席から立ちあがり、音のした方向へと足を運ばせた。

 奇しくもその日は、お母さんと妹の亡くなった命日だった......。


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