第50話【現在】

「......はぁ」

 バイト先に出勤してきたばかりだというのに、どうにもやる気が入らない。

 家に一人でいるのもなんだか落ち着かず、時間まで休憩室で過ごすことにして早めにやって来たはいいんだが......無駄骨だったようだ。


「風間氏、どうしたんだい? まるで恋人の重大な秘密を知ってしまったみたいな顔をしてさ」


 今日は俺と同じく遅番で入っているかすみがやってくるや、人の顔をジロジロ見ながら口をこぼした。


「......お前、ウチに盗聴器とか仕掛けてないよな?」

「会って早々失礼なヤツだな、おい。昨日、世愛せなっちのお兄さんから何か言われたんでしょ?」

「そっちもなんだが......世愛の昔話を聞いて、ちょっと......な」


 本人のプライバシーに関わることなので、俺はそれとなくお茶を濁すまでに留める。


 母親と、そのお腹の中にいた妹を失った世愛は数年後、今度は父親まで失ってしまった。

 しかも目の前で自殺されるという、トラウマになるには充分すぎる呪いを残して......。

 自分の過去を語る、世愛のなんとも悲哀に満ちた表情が、今でも頭の中にこびりついている。


「目の前で頭から血を流して死んでいるお父さんを見てもさ、不思議と悲鳴どころか何も感情が湧いて来なかったんだよね......心のどこかで、正気に戻ったお父さんが自殺することをわかっていたのかもしれない」


 父親の死を目前で見ていたとは思えないほど、世愛は淡々と当時の状況を物語ものがたった。

 

「お父さんのお葬式で、私はあの人と初めてあって、自分が兄であることの紹介を受けたの」

「それまで存在を全く知らなかったのか?」


「あの人......兄さんは私以上に勉強ができたらしくて。私が生まれてすぐ、兄がいま務める会社の前の社長さんに、養子に出されたんだって。お金と、二人に安定した職と地位を与えるのと引き換えに」


 世愛の夫婦が当時どれだけ金に困っていたのかは確認のしようがない。

 とはいえ、娘が生まれるからといって平然と自分の子供を養子に出すような酷い親とも俺には思えない。


「兄さんはこの家を私に与える代わりに、ある条件を出したの」

「条件?」


「私を自分が勧める高校に受験させて、合格すること。いくら成績が良くても、中学の授業だけじゃ絶対足りないからって、学校帰りに塾にも通わされたよ」


 世愛は冷めた笑みを浮かべた。


「兄さんの薦める高校に進学した私に待っていたのは、それまでと変わらない――ううん、それまで以上の孤独だった。その孤独をなぐさめるように、私は兄さんに与えられたこの家で、毎日のように一人で行為にふけっていた」


 俺は世愛と出会った時のことを思い出してしまい、頭を横に振り払った。


「多分、お父さんとの経験が引き金になったんだと思うんだけど......私の身体、あれ以来誰かを求めずにはいられなくなっちゃったみたいでさ。誰かの温もりを感じていないと落ち着かなかくて」


「......それが、パパ活を始めたきっかけか」


「最初は本当に偶然だったんだ。学校帰りに街を歩いていたら、私をパパ活に申し込んだ相手と勘違いした男の人に声をかけられたの。どうせ家に帰っても一人でするだけだったから、試しにお父さん以外の人とやってみようと思って」


 自分から望んでパパ活相手を探したわけではないことがはっきりし、俺の心は少しだけほっとした気持ちになる。


「そしたら予想に反して気持ち良かったんだ。誰かに必要とされてる心地が。でもいま思えば、あの人たちは私を求めていたんじゃない。JKである私の身体だけを求めていたんだよね」


 世愛自身もその辺はわかっているようなので、ただうめくしかなかった。


「愛なんて全く存在しない行為を、他人同然のほとんど素性の知らない人と交わしていくうちに、私の心はどんどん倫理観を失ってエスカレートしていったの」

「......で、そんな時、あの公園で俺と出会ったと」


 世愛は頷いた。


「あの平田っていう人と行為に及んだ帰り道、全然満足できなくて。夜の公園でしてれば、誰か都合のいい男の人が釣れるかなと思ってさ」


「残念だったな。期待に応えれない男で」


「違うよ――私は風間さんと出会ってなかったら、きっと引き返せないところまで行ってたと思う。だから感謝してる」


 迷いの無い眼差しで、世愛は成り行きで始まったこの同居生活を肯定してくれた。


「......なんか昔話したら疲れちゃった。ちょっと風間さんの膝の上を借りるねー」

「え? いや、お前いったい何を――」

「いいから......しばらくじっとしてて」


 世愛は微かに震えを含んだ声で制し、ソファに座る俺に後頭部を向けた状態で膝の上にそっと頭を置いた。

 鼻腔びこうに世愛が使用している柑橘系の化粧水の匂いが届き、彼女の頭の温もりもあって、心臓が跳ね上がる。


 が、そんな気持ちになったのはほんの一瞬だった。

 小さく鼻を啜る彼女の表情は、見えていなくても想像がつく。

 やがて寝息が聞こえ、せめて夢の中でくらいは幸せを体験してほしいと、俺は彼女の頭を優しく撫でてやった。


「......なるほど。何があったのかは知らないけど、大体わかった。んで?」


 昨日の出来事を思い出し呻く俺に、かすみがいつになく真面目な顔で声をかけてきた。


「んで? って何だよ?」

「風間氏は世愛っちの過去を知って、何をどうしたいの?」

「いや、どうするも何も......」

「あぁぁぁ! もう焦れったいなぁ! 風間氏は世愛っちに何をしてやりたいの!?」


 はっきりしない俺の態度が気に入らないかすみは、眉を吊り上げながら顔を近づけ問い詰める。勢いに負け、少し顔を背けてしまう。


「してやりたいも何も、俺にはどうすることも――」

「だぁぁぁかぁぁぁらぁぁぁっ! 大事なのは風間氏の気持ちでしょうが!! ごちゃごちゃ考えてないで、自分の気持ちに正直に行動しろっつってんの!!」


「痛っつ!!」


 休憩室に響き渡る大声で背中に気合のビンタを注入するや、かすみは鼻息荒くロッカー室へと向かっていった。


 ――大事なのは、俺が世愛に何をしてやりたいのか......かぁ――。


 擦る背中の痛みまで、どうしていいかわからない俺を『もっと相手と向き合え』と、強く叱りつけているような気がした。



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