第39話【欠片】

 三学期が始まってすぐ、うちの学校ではテストが行われる。

 そのテストの結果が発表されたあとには、私がもっとも嫌いな行事が待っていた。


三上みかみさん。今年もあの御方は、やって来られるのでしょうか?」


 午前と午後の合間のお昼休み。食堂。

 テーブルを挟んで前の席に座っている立花さんが、期待した視線を向け訊ねてきた。


「......うん。仕事が忙しくなければ、多分今年も来ると思うよ」

「そうですか! 良かったぁぁぁ」


 昼食のわかめうどんを箸ですくったまま、目を細めて立花さんは幸せそうに喜ぶ。


「アッキー喜びすぎ」

加那かなちゃんだって去年、あの御方を一目見て興奮していたじゃありませんか」

「そりゃあ、テレビでよく見かける人物がいきなり目の前に現れたらテンション上がるじゃん。しかもクラスメイトの保護者とわかれば尚更ね」


 隣で相方と苦笑を浮かべながら会話を交わす新見にいみさん。 

 二人とは去年もクラスが一緒で、三者面談の日にちも同じだったこともあり、書類状の私の保護者に当たるを目撃していた。


「あんなにカッコ良くてお優しそうな殿方が保護者だなんて――羨ましいです」

「こらアッキー!」


 興奮してつい口を滑らせてしまった立花さんを新見さんが叱る。


「――申し訳ございません! 私、別に悪気があって言ったわけでは」

「......大丈夫だから。そのくらいわかってるよ」


 目の前にわかめうどんがあるにも関わらず、勢いよく立花さんは私に向かって頭を下げた。

 彼女が嫌みなど言う人間ではないとわかっているので、私は箸を持っていない右手を左右に振って返した。 

 親にしては、明らかに私とあの人は歳が近すぎる。

 二人が私の家庭の事情に気付くのに、それほど時間はかからなかった。

 

「でもさ、アッキーがああいうタイプが好みなのは、なんかしっくりくるよね」


 重たくなった場の空気を、立花さんがさり気なく必死にフォローしようと試みる。

 こういう時、彼女の存在はありがたい。


「どういう意味でしょうか?」

「アッキーてさ、つい守ってあげたくなるような、お姫様みたいな雰囲気あるじゃん」

「加那ちゃん、こんなおおやけの場で恥ずかしいです」


 新見さんの言葉に立花さんは頬を赤くして俯いた。

 まるで男の人にナンパされて、まんざらでもなく照れている女子のように。


「それに修学旅行の夜に『優しくてカッコいい、私のことをいつも守ってくれるお兄さんが欲しかった』とも言ってたし」


「新見さん、よく覚えてるね」

「私はアッキーのことならなんでも覚えてるよ。例えばお尻の右側、真ん中辺りにホクロがあったことも――」

「加那ちゃん!」


 調子に乗っていらないことまで口にしてしまう新見さん。

 先ほどとは比べ物にならないくらい顔を真っ赤した立花さんから、ポコポコと音が出そうな攻撃を肩に受けている。


「ごめんごめん!」

「もう......」


 オムライスを食べる手を止め、新見さんは素直に謝罪の言葉を告げた。


「理想の男性が三上さんの保護者さんみたいな人っていうのは充分伝わった。けど残念ながら、相手は某有名メーカーの若き天才社長様。私らみたいなちんちくりんなガキには見向きもしてくれないと思うよ」


「そんなことはありません! ですよね! 三上さん!」

「う、うん......そうだね」


 同意を求められても正直困ってしまう。

 二人はあの人のことをほぼ外見でしか知らない。

 実際のあの人は、とても冷たく――私のことなど邪魔な存在だと思っているに違いない。

 これまでの態度からそれが痛いほど伝わってくる。


 ――あの人じゃなくて、風間さんが私の本当の保護者だったらいいのになぁ――。


 愛想笑いを浮かべながら食べるサンドイッチが、なんだかとても味気ないものに感じ、風間さんの手料理が恋しくなった。


 ***


 午後3時過ぎ。学校からの帰り道。

 今日も外は相変わらず冷える。

 陽がちょっとでも沈み始めると、容赦なく寒さが増してくる。

 風間さんが誕生日プレゼントに買ってくれたマフラーと手袋が欠かせない。


 その風間さんはというと、最近バイト先では彩矢花あやかさんとよく話をしている。

 向こうも風間さん目当てで会いに来ているふしがあり、私の心中はあまり穏やかとは言えなかった。

 

 そもそも彼はバイト中の身。

 お客さんとおしゃべりすることが目的ではなく、商品の補充や売り場を整えたりすることが主な仕事内容のはず。

 なのに彼女ときたら――旦那さんが長期で不在だからといって、他の男と仲良くしていて良いのだろうか?


 風間さんも風間さんだ。


 今はもう彼女への恋心は無いと言っていたが、本当はまだ未練があるんじゃないか?

 風間さんのことをまだ父親だと勘違いしているめぐるちゃん。

 子持ちとはいえ、幼馴染の初恋の相手が成長して現れた――子供の可愛さと彼女の大人の色気に寄られたら、消えかけていた恋心に再び火が付いてしまっても決しておかしくはない――と、思う。

 

「......私って、結構嫉妬深かったんだ」


 ポツリと小さく呟くと、顔の前に白い息が覆い、すぐ消えた。

 風間さんが奏緒かなおさんと内緒で会っていたことを知った時と同じ感情が、私を苦しめる。

 彼がそんなことする人間ではないと私が一番わかっているはずなのに――自分で自分が嫌になってくる。


「ままー、だいしょうぶー?」


 モヤモヤした気持ちを抱えたまま電車を降り、家に向かっている途中。

 近所の公園の前を通りかかったところで、心配する声を上げている子供の声が耳に入った。


「......大丈夫よ。少し休めば楽になると思うから」


 気になって声のする方向へ振り向くと、そこには噂の親子が公園内のベンチに座っていた。

 そのままスルーするつもりでいたけど、二人の様子からして放っておくことはできなかった。


神林彩矢花かんばやしあやかさん――ですよね?」

「あら......あなたはまーくんと一緒に働いている......」

「三上世愛です。そんなことよりどうしたんですか? 見るからに体調悪そうですが?」

「まま、さっきからふらふらしてるのー」


 彩矢花さんの顔色はあまり良くなく、うなだれながら呼吸をするのも辛そうに見える。

 めぐるちゃんも不安気な瞳で私に訴えかけ、子供ながらにこの状態が良くないことを理解しているようだった。

 

「救急車、呼びましょうか?」

「......大丈夫、軽い貧血よ」

「でも......」

「まま、しんじゃうの?」

「このくらいじゃママ死なないわよ......」


 心配でいまにも泣いてしまいそうな表情のめぐるちゃんを、彩矢花さんは無理矢理慈しむような笑顔を作って微笑んだ。


『......心配性ね、世愛は。もうすぐお姉ちゃんになるんだから、しっかりしなきゃダメよ?』


 ――親子のやり取りに、私の忘れようとしていた、遠い記憶の一部がフラッシュバックした。


 この人は私のお母さんじゃない。


 頭では理解している。


 なのに居ても立っても居られず、気付いた時には、


「――私の家、このすぐ近くなんです。良かったら休んで行ってください」


 風間さんと私の関係がバレるかもしれないというのに、この親子を家に招き入れることに決めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る