第38話【家族会議】

「......風間さん、パパの掛け持ちは職務規律違反だよ?」


 新年初日のバイトが終わって家に帰って来るなり、俺は世愛せなにリビングで正座をさせられていた。しかもフローリングの部分で。

 靴下を履いていても、この時期のフローリングは地味に冷たい。


「だからあの子は俺の子じゃねぇって。あやねぇ――神林かんばやしさんとは15年ぶりに会ったんだって、何度も言ってるだろ」


「じゃあなんであの子は風間さんのこと、パパって呼んだの?」

「知るか! 俺が訊きたいくらいだ!」


 ジト目で見下ろす世愛。

 こんなやり取りをもう何周もしている。

 最初はなんとか世愛の機嫌を直そうと下手に出ていた俺も、いい加減腹が減ってきたこともあって徐々に制御が効かなくなってきた。


「......ホントに、あの子は風間さんの子供じゃないの?」

「ああ。これ以上続けるようなら、いくら雇い主様でも怒るぞ?」


 ようやく俺の意思が通じたのか、固い表情にほころびの色が見えた。


「......ごめん。なんか私、風間さんがどっか行っちゃうような気がして」

「どこも行かねぇよ。ていうか、今はここが俺の家だからな」

「だよね......変なの、私」


 世愛は苦笑を浮かべ、乾いた笑いをこぼした。


「もう正座解いていいか? いい加減辛いんだが」

「うん、もちろん」


 誤解もようやく解け、俺は膝を立てその場から立ち上がった。  


「あいたたた.........夕飯、今から作ると遅くなっちまうから、今日は出前にしとくか?」

「ううん。私も手伝うから一緒に作ろう。二人なら少しは時間短縮できるでしょ?」

「お前がそう言うなら、俺は別にかまわないけど」


 すっかり痺れてしまった脚をゆっくり動かし、俺はキッチンの中へと入って夕飯の準備を開始した。

 少し遅れて、世愛がエプロンを付けて隣にやってくる。 

 正月料理にも飽きてきた頃なので、今日の夕飯は焼きそばとサラダに、あとは昨日の夕飯の残り物の豚汁。三品もあれば充分だろ。



「神林さん、昔はどんな人だったの?」


 焼きそばの具材を包丁で切りながら、世愛が俺に訊ねてきた。


「何だよ急に」

「だってあの人が風間さんの初恋の人なんでしょう?」


 ストレートに世愛に問われ、俺は思わず作業の手を止めてしまう。


「ほら、やっぱり」

「......なんでわかった?」


「反応見れば誰だって気付くと思うよ。しかもおっぱい大きかったし。風間さん、おっぱい星人だもんね」


「う、うるせー! いいからさっさと手を動かしやがれ!」

「はーい」


 悪戯いたずらっ子のように目を輝かせ、世愛は俺をからかった。父親としての威厳が崩れて落ちて行く音が聞こえる。


「――昔から優しい人だったな。6歳も年下の俺といつも遊んでくれて。性格はおっとりしてるけど、芯の一本通った、頼れる女の子だった」


 なんとか話を逸らそうと、俺は手を動かしながらも、昔の彼女の姿を思い出しながら語った。

 その中でふと、ある一つの記憶がよみがえった。 


「俺が小二の頃、近所の駄菓子屋で万引きを繰り返していたのがバレて、親に家を追い出された時があったんだよ」


「風間さん、結構悪い子だったんだ」

「極短い時期だけだけどな」


 人前でわざわざ話すものでもない、ガキの時代の黒歴史ってやつだ。


「夜、確か今みたいな寒い季節。上着も着ない状態で家の外に放り出されて、玄関の前でいくら泣き叫んでも入れてくれなくて......大袈裟だけど、子供ながらに死ぬんじゃないかって思った」


 当時は今ほど寒くなかったと思うが、だとしても真冬には変わりない。

 冷えと玄関先の僅かな灯りが恐怖をより一層駆り立てた。


「泣き叫ぶのも疲れて立ち尽くしていると、あやねぇが隣の家からやってきて、俺に上着と温かいお茶の入った水筒を渡してくれたんだ。しかも自分も『まーくんが家に入れる

ようになるまで一緒にいてあげる』って――いくら年の離れた幼馴染でも、普通はそこま

でのことできねぇよ」


 あの時のあやねぇは、お世辞抜きで地獄に現れた救いの神様、いや女神様に見えたんだ。


「しかも事情も何も知らないのに、あやねぇは一緒になって親にも謝ってくれてさ――その頃のあやねぇ、まだ中二だぞ? なんか俺、自分のしたことがとんでもなく恥ずかしくなってきてさ。以来かな。俺があやねぇに頭が上がらなくなったのは。この人を悲しませるようなことはしたくない。そう心に誓ったんだ」


「そっか......神林さん、いい人なんだね」


 隣で包丁を握ったまま、世愛は慈しむような笑顔を浮かべた。


「だから俺にとっては恩人でもあるかな」


 恩人でもあり、初恋の人でもある。

 神林彩矢花かんばやしあやかこと、旧姓・茅野彩矢花かやのあやかは、自分の中ではそういう位置づけだ。


「――風間さんってさ、いまでも神林さんのこと好きなの?」


 世愛の問いかけに、再び俺の手が一瞬止まったが、


「......それはないな」


 嘆息たんそくし、答えると同時にまた手を動かしはじめた。 


「どうして?」

「だってよ、とっくの昔に終わった恋だぞ? 今さらあの時の続きも何もないだろ」


 俺の中では彼女が黙って引っ越した時点で、既に終わっていた。

 彼女にとっては所詮、俺はただの隣に住む、年下の幼馴染でしかなかったんだ。


「仮に今でも気持ちが変わってなかったとしても、相手には旦那さんと子供までいる。相手の幸せな生活を壊してまで奪いたいだなんて気持ち、俺には理解できん」


 奪った側の人間は幸せかもしれないが、奪われた側には確実に不幸が襲い掛かる。 

 と同じマネだけはしたくない......忌まわしい過去の嫌な記憶が蘇り、ついフライパンの中の焼きそばをかき混ぜるさえばしに力が入る。


「風間さんって、ホント真っすぐだよね――それがまたいいんだけどさ」


「ん? 何か言ったか?」

「ううん、別に。初恋の人を前にした風間さん、可愛かったなって話」

「大人をからかうんじゃねぇよ。ほら、ちゃんと手元見ながら切らないと指切るぞ?」

「ごめんごめん」


 俺にもあやねぇにも、今の生活がある。

 思い出は思い出のままでいい......再会できただけでも奇跡なのだから。

 そういえば、二人で行った海岸で食べたのも焼きそばだったことを思い出し、俺は一人鼻を鳴らした。


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