第37話【幼馴染】

「潮風が気持ちいいね、まーくん」

「そうだな」


 夏の海。

 空一面には気持ちのいい、吸い込まれそうな青空が広がっている。

 観光客があまり近寄らないような海岸の端を、俺とあやねぇは二人で歩いていた。


 『あやねぇ』こと『茅野彩矢花かやのあやか』は、俺より6歳年上の、家が隣同士の関係。

 家族ぐるみの付き合いもしていて、小さい頃から両家でよく旅行なんかにも行っていた親しい間柄。

 夏休み最後の今日、俺はがあって、こうして彼女を海に誘ったわけ

で......。


「まーくんはさ、この海の向こうには何があると思う?」

「いきなりなんだよ」

「いいから。ほら、答えて」


 緊張して口数の減ってしまった俺を知ってか知らずか、あやねぇはのんびりした口調で問いかけた。


「......わかんねぇ。ずっと海なんじゃない?」

「ブッブー! 正解は島でしたー!」


 んなもん、小五の俺だって理解している。

 あやねぇの手のひらで泳がされたくて、わざと答えなかっただけだ。


「――ここから何百、何千キロも先に島があって、そこでは私たちと同じ人間が生活をしている――これって実は凄いことなんだよね」


 高校二年生になる彼女。

 俺と一緒にいる時だけは、昔と変わらない子供っぽさを今でも時折見せてくれる。

 そのことが俺はたまらなく嬉しくて、自分があやねぇにとって特別な存在なのだという、確たる証拠のような気がしていた。


「国や言葉が違うだけで、笑ったり楽しんだり、時には悲しんだりしてさ......今を全力で生きてる」

「あやねぇ、急にどうしたんだよ?」


 ふと、彼女の慈しむような横顔に陰りがちらついたのが気になり、声をかけた。


「まーくんは将来の夢って何かある?」

「また質問かよ」

「いいじゃん。お姉さんからのお願い」


 顔の前で両手を合わせ、彼女はウインクしてみせた。

 もちろん、あやねぇと結婚することに決まってんだろ! ......と簡単に言えたらどんなに楽なことか。

 

「――安定した職に就くこと、かな」

「えー、何それー」

「仕方ねぇだろ。ていうか、小学生に将来の夢とか聞くなよな」 


 向こうからやってきた告白する絶好のチャンスを、俺はむざむざと棒に振ってしまった。


「あやねぇの方こそ、将来の夢教えろよ」

「ダーメ。まーくんが本当のこと教えてくれないから私も教えてあげません」


 舌をペロっと出して拗ねる彼女の表情は、今でも鮮明に記憶している。


 ――あの時、俺がしっかりと自分の気持ちを伝えていたら、未来はどうなっていただろうか?

 

 その後、彼女は親の都合で別れの挨拶もなく急に引っ越してしまい、それ以降音信不通のまま、俺の初恋は終わった――。


 ***


「......ひょっとしてまーくん?」


 忘れかけていた彼女の声が俺を呼ぶ。


「......あやねぇ?」

「やっぱり! 久しぶりね、まーくん! 何年ぶりかしら!」


 あやねぇは俺の右手を包み込むように両手で握り、満面の笑みを浮かべた。


「......15年ぶり、かな」

「もうそんなに経つんだー! 通りで私もおばさんになっちゃったわけね」


 昔と変わらず優しく微笑む彼女。

 懐かしい手の温もり。

 俺の胸に熱いものがこみ上げてくる。


「風間さん、この人は知り合い?」


 人前だからなのか、かすみはいつもみたいに俺を氏ではなくさん付けで呼んだ。


「ああ。俺の幼馴染で、茅野彩矢花さんだ」

「今は結婚して『神林かんばやし』です。茅野は旧姓ね」

「てことはこの子は――」

「娘のめぐる。ほら、皆さんにご挨拶して」


 あやねぇ......母親に命じられ、俺の脚からようやく離れた幼女は、


「かんばやしめぐる、よんさいです」


 舌足らずな口調でぺこりと小さくお辞儀をした。

 母親似なのか、よく見れば目元があやねぇそっくりだ。


「それにしても、こんな偶然あるものなのね......まーくんはこちらで働いてるの?」

「まぁな。ただのしがないバイトだけど」


「そうなんだ。私は去年の12月にこの近くに引っ越してきたんだけど、こちらのお店はよく利用させてもらっていて。全然気が付かなかったわ」


「俺もだよ」


 もう二度と会うことはないと思っていた、初恋の相手が目の前にいる。

 仮に会えたとしたら言いたいことが沢山あった――はずなのに、言葉が上手く口から出てこなくてもどかしい。


「パパのお仕事の邪魔しちゃいけないから、今日はもう帰りましょう」

「えー! やだー!」


彼女は諦めたのか、俺を自分の子供のパパ認定をしたまま話を進めた。


「めぐるはいい子なんでしょ? いい子にしてないと、パパはいつまで経ってもおうちに帰って来れないわよ? わかった?」


「......うん。わかった」

「よしよし。めぐるは良い子ね」


 自分の娘の頭を撫でるあやねぇが、まるで聖母のように見えてつい見惚れてしまう。


「そうだわ。まーくん、連絡先交換しましょう」

「あ、ちょっと待ってって」


 お互いスマホを取り出し、メッセージアプリの通信機能を使ってアドレス交換をする。

 早速新しいともだちの欄には、『彩矢花』の文字が。


「私、この街にまだあまり詳しくなくて。いろいろ教えてくれると助かるわ」

「ああ。任せてよ」


 当の俺もこの街に住むようになってまだ半年も経っていないんだが――そこは男の見栄というやつ。初恋の相手に頼られて嬉しくない人間がどこにいる。


「じゃあまーくん、お仕事の邪魔しちゃ悪いから、私たちそろそろ帰るわね」

「ばいばいぱぱー! おしごとがんばってねー!」


 天使のような親子は、俺たちに手を振りながら店の敷地内をあとにした。

 久しぶりにあったあやねぇは、すっかり母親の顔になっていた。

 体系も昔のまま――いや、肉付きはむしろ俺好みのほどよさになっていると言える。

 時間の経過は時に残酷なものを見せるが、あやねぇはいい歳の取り方をしている――そう人が感慨に浸っている時だった。 


 ポン、ポン。


 それまで黙っていた世愛せなが突然、俺の肩を後ろからを静かに二度叩いた。


「......風間さん。今晩、家族会議するから......」


 振り返った世愛は不気味な笑みを浮かべ、たった一言の声音こわねからはただならぬ冷たさのようなものを感じた。


「――さて、私は先に休憩でも入らせてもらおうかな......」


 かすみはかすみで何かを察し、自然を装ってその場から逃げようとする始末。

 新年早々、謎に契約継続の危機が発生し、初恋の相手との再会の喜びは瞬時に消えてしまった。 

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