第40話【面影】

『そうか......毎日のように来てたのに、今日は顔見せないからちょっと気になってたんだ......見つけてくれてありがとな』


 家の寝室兼、私の部屋。

 スマホ越しに聴こえる風間さんの声は、どこか安心した声音こわねでお礼を口にした。


「ううん。私の方こそ、急にバイト休んじゃってごめん」

『心配すんな。お前一人分くらい、俺がカバーしてやるよ』


「頼もしいね。でもあんまり無理して腰やらないように。彩矢花あやかさんに情けない姿、見せたくないでしょ?」


「お、言ってくれるじゃねぇか」


 鼻で笑う私を、風間さんはいつもの口調で返した。

 表情が容易に想像できて、思わず口角が上がってしまう。


『俺も早く上がれそうだったらリーダーにお願いしてみるわ』

「わかった。それじゃあね」


 通話を切り、私は神林親子かんばやしおやこがいるリビングへと向かった。

 

三上みかみさん、ありがとうね。おかげでかなり楽になってきたわ」


 ソファの上。仰向けで休んでいる彩矢花さんの顔色は、先ほどと比べて大分良くなっていた。

 室内は暑すぎない程度に暖房。さらに彩矢花さんの肩から下にはタオルケットがかかっていて、防寒対策は万全。

 その彩矢花さんに寄り添うように、めぐるちゃんはソファの上に頭だけを乗せ、小さな寝息を立ながら眠りについている。


「いえ。何か温かい物でも飲みます?」

「そんな。お構いなく」


「気にしなくていいですよ。いくら室内が温かいと言っても、長時間外にいたんですから。何か飲んだ方がいいです」


「......じゃあ、白湯さゆをいただけるかしら?」

「わかりました。ちょっと待っててください」


 キッチンの中にある電気ケトルにお水を入れれば、3分も経たずにお湯が沸く。

 私はそれを少し冷ましてからマグカップに注ぎ、彩矢花さんの元へと運んだ。


「――ごめんなさいね。三上さん、今日バイトのシフト入っていたんじゃないの?」


 起き上がった彩矢花さんは、白湯を口にしながら私に謝罪の言葉を告げてきた。


「気にしないでください。風間さんが見つけたとしても、多分同じことをしていたと思うので」

「優しいのね......三上さんは、まーくんのお友達の妹さんで、ここで一緒に住んでいるのよね?」

「え!? あ、はい」


 風間さん、奏緒かなおさんの時に使った設定をそのまま彩矢花さんにも流用したのか――つい素っ頓狂な声を上げてしまい恥ずかしい。

 視線を床に落とした先、彼女のエコバッグには、マタニティマークの入ったキーホルダーが。


「妊娠三ヶ月目なの」

「おめでとうございます」


 白湯の入ったマグカップを両手で抱えたまま、彼女は目を細めて微笑んだ。


「めぐるがどうしても公園で遊びたいって言うから、少しくらいなら大丈夫かなと思ったんだけど。三上さんが通りかかってくれて本当に助かったわ」


「風間さんは妊娠してることは――」

「ええ。知ってるわ」


 彼女とテーブルを挟んだ反対側のソファに座ると、私の視線はつい彼女のお腹へと向いてしまう。

 ......まさか、お腹の中に赤ちゃんがいることまで一緒だなんて......偶然とは思えない気がする。


「改めて見ても、広くて綺麗なお部屋ね。まーくんは、普段家ではどういう風に過ごしているの?」

「どうと言われましても......毎日料理や掃除に洗濯......学生の私に代わって家事全般をやってくれています」

「凄いわね、まーくん。私なんか、お部屋の掃除なんて三日に一回くらいよ」


 初対面の時から思っていたけど、この人は本当によく笑う人だ。

 それでいて包み込むような、一緒にいるだけで穏やかな気持ちになれる。

 風間さんの初恋の相手だというのも頷けてしまう。


「風間さんは子供の頃、どんな感じでしたか?」

「そうね......とても背の小さな、内気な少年かな」

「ちょっと意外かも」


 私の知らない風間さんを知りたくて、話しの流れで尋ねてみた。

 今の様子からは想像できない少年時代に、私は目を丸くして驚いた。


「でしょ? 幼稚園の時なんかは人と話すのも苦手で、そのせいで友達もほとんどできなかったみたい。休みの日は四六時中私の家で一緒に遊んでいたわ」


「甘えん坊だったんですね」

「確かに」 

 

 彩矢花さんは上品に鼻を鳴らして笑った。 

 私もつられて笑みがこぼれる。


「――小三くらいだったかしら? 私があまり遊んであげることができなかった時期にまーくん、ちょっと問題を起こしちゃったの」


 その時のことを思い出してか、マグカップをテーブルの上に置いた彩矢花さんの表情に、ほんの少し曇りの色が見えた。


さいわ大事おおごとにはならずに済んだのだけれど......私、そのことに責任を感じちゃって。当事者でもないのにまーくんと一緒に相手側に謝りに行ったの。それ以降かしら。まーくんが今みたいな性格にちょっとずつ変わりはじめたのは」


 おそらく、彩矢花さんと再会した夜に風間かんが話していた件だ。

 彼がいまの人格を形成できたのは彩矢花さんのおかげ――そう思うと、微かにまた嫉妬心が湧いてきてしまう。


「同時に背も急に伸びはじめて、いつ私の身長を追い越しちゃうんだろうって、楽しみにしてたの」


 声音から本当に楽しみにしていたことが伝わってくると、それから彩矢花さんはなんとなく言いづらそうな雰囲気で、 


「私の家ね、まーくんが小学5年生の頃、夜逃げ同然で引っ越したの。両親が事業に失敗しちゃってね......だから当然まーくんとはちゃんとした形でお別れが言えてなくて。そのことだけがずっと心残りだったの」


 そう言葉を続けた。


「15年ぶりにあった彼は、背も大きくなって、凄く立派な男の子――男性に成長していて。一緒に住んでいる世愛ちゃんが羨ましいわ」


「そんなことないですよ。風間さん、しっかりしているようで意外と抜けてるところもあるんですよ? 昨日だって、コンビニまでお醤油買いに行ったのに、まさかのお醤油を買い忘れて帰ってきたり」


「あらあら。うっかりさんなのね」


 今頃風間さんはきっとくしゃみでもしているに違いない。

 なにせ幼馴染で初恋の相手と娘の私が、この場にいない彼の話で盛り上がっているのだから。

 二人でめぐるちゃんが起きてしまわないよう、目を合わせながら静かに笑った。


「三上さん」

世愛せなでいいです」

「それじゃあ世愛ちゃん、人生の先輩として、いいこと教えてあげる」


 改まった言い方で、彩矢花さんは姿勢を正し、


「――世の中にはね、今しかできないことがあるの」


 初めて見る真剣な眼差しで、私に告げてきた。 


「自分の中でいろんな言いわけを作って後回しにしていると、その時にはもう遅かったりするの。だって、熱量というのは時間が経てば経つほど冷めてしまうものだから」


 彼女の言葉には、どこか妙な説得力と、ほんの少しの寂しさがあった。

 ひょっとしたら彼女自身も、風間さんのことが好きだったのかもしれない。


「世愛ちゃんにはね、私の分まで、悔いの残らないよう今を生きてほしいの。時間なんて、本当に過ぎるのはあっという間なんだから」 


 締まった表情がほころび、安心感のあるいつもの慈しむような表情かおに戻った。

 ――その姿に、また私は忘れようとしていた遠い昔の記憶がフラッシュバックし、


「......はい。ありがとうございます」


 気付けば両目から涙がこぼれていた。 


「やだ、ごめんなさいね。泣かせるつもりじゃなかったんだけど」


 急に涙を流しはじめた私を、彩矢花さんそっと抱き寄せ、まるで子供をあやすように背中をぽんぽんと叩いてくれた。

 彩矢花さんの手の温もりにひどく懐かしさを感じて、私の涙は止まるどころか、さらに溢れ出てきてしまった。

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