第33話【事後】
年末。
外はいかにも年の瀬といった空気感が、街中のあちこちから漂っている。
午前11時。
今年最後のバイト前、俺は
「早速だけど、あの二人について報告するわね」
前回と同じ窓際の席にテーブルを挟んで二人で座り、奏緒から先日の件で報告を受ける。
「結論から言うと、平田がもう
「淫行の証拠となる動画......あのビデオカメラに映っていた映像のことか」
俺が
中身に関しては見てはいないが――奏緒曰く、かなり胸糞悪い内容だったらしい。
「ええ。あんたが直前に乗り込んだおかげで大事には至らなかったけど、あとちょっと遅れてたと思うと......ね。世愛ちゃんの様子はどう?」
「今のところ、これまでと特に変わった様子はないな。バイトにも普通に行ってるし。一人で外を出歩けなくなるほどではない」
「そう。でもふとしたきっかけで記憶がフラッシュバックすることだってあり得るから、しばらくは極力一人で外出させないようにね」
「わかってる」
奏緒の言葉に俺は頷いて返す。
とはいえ、
丁度今週から学校が冬休みに入り、一緒に過ごす時間がいつもより長い今、俺はできるだけ世愛の心の傷を癒してやりたいと考えていた。
「それから瞬のことなんだけど......あんた、本当に手は大丈夫なの?」
「ああ。世愛がうるさいから念のため次の日病院に行ったが、骨には異常無いってよ」
「良かったわ。瞬の怪我の具合からして、あんたも骨折ししてもおかしくないと思ったんだけどね」
「......も?」
俺は二度瞬きをした後、顔を前に軽く突き出した。
「あいつ、左右の
顔を破顔させ、思い出したかのようにクスクス笑う奏緒。
おいおい! やっちまった本人が言うのもアレだが、それって結構ヤバイ状態じゃないのか!?
「安心しなさい。もし警察に通報したら、平田と一緒に社会的に〇してやるって脅しといたから。警察なんてものはね、殺人事件でもない限り、被害届が出なければ向こうから動こうとしないものなのよ」
俺が心配するのを考慮してか、奏緒は皮肉混じりに警察に対する悪口とも取れる言葉を口にした。
勝手なイメージだが、探偵という職業柄、警察には苦労してそうだもんなぁ。
「瞬の奴、あんたに相当怯えてたわよ。あの様子じゃ、もう二度と私たちの前に姿を現そうなんてバカな気は起こさないでしょう」
「そうしてくれると助かる。俺も今後はもうちょっと感情を抑えられるよう気を付ける」
「世愛ちゃん怖がってなかった?」
「...........」
「図星みたいね。私だって引いたわよ。あんたがあそこまで怒った顔したの、初めて見たわけだから」
自分でもあの時のことは驚いているし、まだ昨日のように鮮明に覚えている。
世愛が傷つけられいる姿を見た瞬間、頭の中で何かがブチっと切れた音がしたんだ。
余計な思考は捨て、ただ目の前の敵を黙らせる――まるで自分が自分じゃない感覚。
包帯が巻かれた右手を見る度に思い出す。
「......私の時は怒らないで逃げたくせに」
「なんか言ったか?」
「いえ、別に。瞬も昔はあそこまで酷い奴じゃなかったんだけどなーって。何があいつを変えちゃったんだろう」
「さぁな。気にしたところで、瞬が平田に雇われて世愛に酷いことをしたのは事実なんだ。興味ねぇな」
あとで奏緒から聞いた話なんだが、瞬には多額の借金があったらしい。
金に目がくらんで平田に協力したと考えれば合点がいく。
人間、切羽詰まれば
「世愛ちゃんも世愛ちゃんでさ、なんでパパ活なんてバカなことしちゃったんだろうね。お金に困ってるわけでもないのに」
......奏緒のもっともな意見に、俺は静かに
俺は当初、世愛がパパ活を始めたきっかけは若気の至りだとばかり思い込んでいた。
悪い友達にそそのかされて軽い気持ちでやったとか、そんな感じのもの。
だけどあいつと一緒に生活を共にするにつれて、どうも安直な理由ではないような気がしてならない。
もっと深い――なにか
そう考えると、俺の知らない世愛を知るのを
「ともかく、今回は本当にいろいろと助かった。奏緒がいなかったら、世愛がいったいどうなっていたことやら......」
話しを強制的に終わらせるように、俺はズボンのポケットから封筒を取り出し、テーブルの真ん中へと差し出した。
「何これ?」
「依頼料と報酬だ。足りなかったら言ってくれ」
「いらないわよ、そんなもん」
奏緒は目の前に出された封筒を突き返す。
「いいから受け取れ。こうでもしないと俺の気が収まらないんだよ」
負けじと俺も突き返し、お互い譲らない状態。
すると奏緒は嘆息し、封筒を手に取り俺の顔の前へと突き出した。
「――だったら私からのお願い。このお金で世愛ちゃんになんか洋服でも何でも買ってあげなさい。どうせあんたのことだから、クリスマスプレゼント何も渡してないんでしょ?」
「......なんでわかった?」
「うわ最悪。父親の
「しょうがないだろ。平田と瞬のことで頭がいっぱいだったんだから」
「言い訳しない。世愛ちゃん優しいから口にはしないだろうけど、本当は残念だと思ってるわよ」
不覚にも、世愛へのクリスマスプレゼントを準備していなかったことに、俺は当日の夕方になってからようやく気付いた。
かすみは『信じらんない!』と文句をブーブー言っていたが、当の本人は『仕方がないよ。最近いろいろあったから』と笑って許してくれた。
「でも考えてみたら、あいつに先月誕生日プレゼントあげたばかりなんだよなぁ」
「何言ってんの? クリスマスプレゼントと誕生日プレゼントはちゃんと別で渡しなさい。あんただって親から『両方一緒ね』って言われたら嫌でしょうが」
「......確かにな」
しかし子供の頃ならともかく、世愛は自由に家の金を使える立場。
そのうえ俺の雇い主様。
プレゼントの一つや二つ渡しそびれたところで根に持つことはないと思うが、ここは素直に奏緒の言う通りにしておこう。
「丁度年末年始バイト休みだから、その間にプレゼント渡すかどこか遊びに行くかするよ」
「そうしなさい。正月明けの報告、楽しみにしてるわね」
「オカンか」
鼻を鳴らして奏緒はケラケラと笑った。
この調子で報告会は最後、和やかな空気で終わりを迎えた。
目の前の相手が、あんな出来事を経験して別れた元恋人だなんて、誰が想像できよう......。
「そういや奏緒の方こそ正月なにすんだよ? さすがに仕事は休みなんだろ?」
会計を済ませ、先に店の外へと出ていた奏緒に声をかけた。
ちなみにこのあと彼女は会社の人間と仕事納めの挨拶に回るらしい。
「まぁね。今年は久しぶりの独り身なことだし、気分転換も兼ねてどこか温泉旅行にでも行こうかしら」
「......それ、俺に対する嫌味に聴こえるんだが」
「あら、気のせいよ。気のせい」
「奏緒さん、その割には目が笑ってないんですが」
完全に奏緒の奴に
だが、なんだか付き合う前の、専門学校時代の頃を思い出して心地が良かった。
別れてからもこんな風に奏緒と歓談する時が来るなんて――人生何が起こるかわからない。
「じゃあ私、そろそろ行くわね。良いお年を」
「ああ。良いお年を」
背中を向け、繁華街から離れた方向へと歩いて行く彼女を、俺は少しの間見送った。
今年から奏緒と一緒に年を越せないと思うと、今頃になって寂しさのようなものが芽生えてきた――。
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