第32話【聖夜】

 12月25日。

 クリスマス当日の夜。


「かすみ、これテーブルまでお願い」

「はいよー」


 大きめのお皿に盛りつけられたサラダをかすみが受け取り、リビングのテーブルまで運ぶ。

 かすみはただ招待されるのが申し訳ないとかで、約束の時間より一時間も早く来てくれてパーティーの準備を手伝ってくれている。

 家でもお母さんの料理を手伝っているらしく、私なんかより全然手際が良くて凄く助かった。

 多分一人だったらもっと時間がかかっていたと思う。

 

「風間氏、定時より早く上がれたみたい。今から帰るってさ」


 かすみが自分のスマホを慣れた手つきでズボンのポケットから取り出した。

 今日はもともと三人揃ってお休みの予定だったのが、その日シフトに入る予定の人がインフルエンザでダウン。

 急遽、代わりに風間さんが一人シフトに入ることに。なんだか申し訳ない。


「わかった。じゃあそろそろチキンを焼き始めた方がいいよね?」

「だねだね〜」


 ローストチキンを冷蔵庫から取り出し、大型電気オーブンの中に入れる。

 風間さんに言われた通りの焼き加減とタイマーをセット。

 あとは適度に焼き具合をチェックすればいいらしいから、まだ料理に対して苦手意識を持っている私でもなんとかなりそうだ。

 

「手伝ってくれてありがとう、かすみ」

「な〜に、いいってことよ。家にいてもどうせ兄貴と親父の喧嘩に巻き込まれるだけだし」


 苦笑を浮かべながらかすみは右手を顔の前で左右に振った。 


「凄いね。クリスマスでも喧嘩してるんだ」

「もう季節なんて関係無っシング。365日、一年中暇さえあればやってるよ」

「お母さんとかは何も言わないの?」

「とっくの昔に諦めたって感じ。ウチの母親、めちゃくちゃ寛容だから。アレは絶対悟り開いてるね。私には無理だわ〜」


 頷くかすみの表情こそは渋いものの、声音こわねはどこか楽しそうに語っている。

 本人は喧嘩と言っているが、そこまで深刻なものでなく、日常的に繰り返されるスキンシップみたいなものなのだろう。

 

「こっち来てみなよ世愛せなっち!」


 テーブルに一通り料理を運び終え、あとは風間さんの帰りとローストチキンの焼き上がり待つばかりの中。リビングの窓際に立っていたかすみが手招きする。

 何事かと思って向かえばかすみは窓を開け、ベランダに飛び出した。


「見てよほら! 星がめっちゃ綺麗......」


 寒さを気にする様子もなく夜空を見上げる彼女の瞳は、とてもキラキラと輝いていた。


「ベテルギウスにシリウスにプロキオン――冬の大三角が揃い踏みだ〜」

「かすみは星、好きなの?」

「う〜ん、一般的な好きとは少し違うかな。そこまで星座とかに詳しいわけでもないし」


 私も星座に関しては学校の授業で習った程度にしか知識はない。

 そもそも都会ではあまり星は見えない。

 目の前の街灯りばかりに注意がいき、存在そのものを忘れがちになってしまう。


「星の光ってさ、もっとも遠いものだと100億年以上もかけて、私たちの住むこの地球に到達するんだ。凄いよ100億だよ? 人の人生何百回分だって感じ」


 ベランダの手すりに両肘を乗せ、かすみは夜空を見上げたまま語り出した。


「地球が生まれる遥か昔の光を、いま私たちは見てる。そう考えると、自分の悩みがいかにちっぽけなことか思い知らされるよ」


「かすみも悩むことあるんだ」


「ちょいちょいちょ〜い。人を何も考えてない、人生アドリブモンスターだと認識してる言葉に聴こえたんですけど〜」


「ごめん」


 眉を寄せて抗議するかすみ。

 思わず本音が漏れてしまい、慌てて私は謝罪の言葉を述べた。


「星や宇宙からしてみたら、人間の一生なんてまばたきするくらいのほんの一瞬だろうね――でもさ、短いからこそ、いまを全力で生きなきゃ! って思うんだ」


 かすみの言葉には何か妙な説得力のようなもの感じた。

 私はバイトの時と、こうして家に遊びに来ている時以外のかすみを知らない。

 普段バカみたいに明るい彼女からは想像もできないが、未来について本気で考えていなければ出てこない言葉だと思う。


「――世愛ちゃんの過去に何があったのか知らないし、私は聞くつもりはないよ。人間生きてれば、誰だって人に言えない秘密の一つや二つ持ってるでしょ。全部ひっくるめて、それが世愛ちゃんの歴史なわけ」


 私がこのまえ平田さんの知り合いに連れていかれた経緯を、かすみは何も訊かず、ただ本気で心配してくれていた。

 その優しさが、私は素直に嬉しかった。


「この世には無駄な経験なんてなに一つも存在しないって、私は思ってるんだ。どんなに辛く嫌なことでも、この経験が未来のどこかできっと役に立つ時がある――そう考えるだけで自然と立ち向かえる勇気が湧いてくる――突然自論語っちゃってごめんね」


「ううん」


 私は首を横に振った。


「なんとなくしんどい歴史だったっていうのはわかるよ。でもさ......」

「かすみ?」


 私の右手を両手で包み込むように握ったかすみは、


「――世愛ちゃんが通ってきた道には、必ず意味があるよ」


 真っ直ぐな眼差しで、そう呟いた。

 過去の私を知るはずのないかすみなのに、その言葉に罪を許されたような気がして――私の両方の瞳から、涙が溢れ出した。

 頬を伝い、ベランダの床にしずくが垂れ落ちて染みを作る。


「良かったね世愛っち。頼れる大人の男の人と出会えて。冬休みは思う存分、風間氏に甘えちゃいなね」

「うん......かすみ......」 

「泣くなよ〜。よしよし」


 背中をさするかすみの手が温かい。


 ――最近の私、なんだか泣いてばかりな気がする。


 俯いたままかすみの優しさに甘えていると、玄関の方から『ただいまー』という声。

 風間さんが帰ってきた!

 私は慌てて腕で涙を拭った。

 

「お前ら、真冬の夜のベランダで何やってんだ?」


 リビングからベランダにいる私たちを、風間さんはいぶかしむような視線で見つめる。


「ふっふっふ。未成年同士で秘密の会談というやつさ」

「そう。風間さんには内緒の、JK同士のお話しをしてたの」


 まだちょっと鼻声なのも、寒さのせいにすれば誤魔化せるかな。

 この前は安心感から風間さんの前で泣いてしまったけど、できれば彼が心配するから気付かれたくはない。


「変な奴らだな............ていうか、なんか焦げ臭くないか?」


 ――そうだ!! ローストチキン!? 

 風間さんに問われて、私は脳内の片隅に追いやられていた重要なこと想い出した。

 ベランダから大慌てで戻り、カウンターキッチン内の大型電気オーブンを開けば――真っ黒こげとまではいかないにしても、ローストチキンの表面には黒い部分が目立つ。


「ぎゃはは! 何してんの世愛っち!」

「もー! 元はと言えばかすみが星見ようなんて言うから!」

「お前ら秘密の会談とやらもいいけど、料理中はあんまりキッチンから離れるなよ」


 自分のせいでもあるというのに、かすみはお腹を抱えて笑っている。


 何気ない失敗もかすみと一緒なら楽しめる。


 私にとって風間さんと出会えたことはもちろん幸せだ。


 その幸せから、かすみとも出会えたことだって――。


 また来年も、こうして三人でクリスマスを過ごせたらいいなぁ......。

 いま流れ星を見つけたら、間違いなくそうお願いすると思う。

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