第31話【救いの手】

 時刻は夕方7時過ぎ。

 今日の仕事を終えた工業地帯は、最低限の外灯を残し、暗くひっそりと静まり返っている。

 

奏緒かなおさん、一人で平気かな?」


 しゅんのアパートの敷地を出てすぐ、世愛せなが後ろを振り返って呟いた。


「まぁ、あいつが大丈夫って言うなら大丈夫なんだろ」


 俺と世愛は犯人二人の始末を買って出てくれた奏緒にあとを任せ、揃って最寄り駅まで歩き始めた。 

 警察でもない、一介いっかいの探偵でしかない彼女がどういう対処をするのか疑問ではあったが、


『世の中には、知らない方がいいこともあるのよ』


 ――と、満面の作り笑顔で濁されてしまった。


 あいつ......本当に探偵だよな?


 それなりに付き合いの長い俺でも、あそこまで感情剥き出しに怒った姿は初めて見た。

 内心、ヒモ時代に世愛をキレさせなくて良かったと正直思う。

 とりあえず、あとのことは奏緒に委ねるとして......。


「風間さん、手、痛くない?」


 出血し、傷だらけの俺の手には世愛のハンカチが巻かれている。

 白地に紫陽花アジサイの柄が入った、以前お気に入りだと言っていた一枚。

 そんな大事な物を何の躊躇ちゅうちょもなく、俺なんかのために使ってくれた。

 

「このくらいどうってことねぇよ」


 心配する世愛を少しでも安心させようと、今になってじわじわと鈍い痛みに襲われているのを我慢し強がって見せる。

 自分だって、大人の男二人に襲われて怖い目にあったばかりだというのに――世愛からの優しさの方が余程こたえる。


「かすみが心配してたぞ」

「......かすみが?」

「たまたま出勤途中に、偶然連れて行かれるお前のことを見かけたらしくてな」

「そっか。だから風間さんに連絡して。でもよく場所がわかったね......あ」


 世愛は何かに気付いたらしい表情を浮かべた。

 

「もしかして風間さん、こうなることを見越して」


 顔を背ける俺の反応から察したのか、それ以上訊くことはなかった。


 お互い、無言の時間が続く。


 その間聴こえるのは、時折横を通り過ぎて行く車の走行音のみ。

 冬の寒さが、脳内麻薬が与えた興奮状態から覚めた身体に染みる。


「――私ね、これまでいろんな男の人に抱かれてきたの」


 しばらくして、世愛が正面を向いたまま口を開いた。

 あの平田という男と世愛が行為に及んでいる姿を想像してしまいそうになり、俺は慌てて頭を横に振った。

 

「だから、今回もパパ活の延長だと思えばいいやって、納得しようとしたんだ。でもね..

....」


 世愛は誤魔化すように薄く笑みを浮かべ、思い出したのか、肩は小刻みに震えている。


「部屋に連れて来られて、いざその時が来たら急に怖くなっちゃって......私、どうしちゃったんだろう? 今までこんなことなかったのに......」


 鼻をすする音が俺の耳元に届く。

 部屋に飛び込んだ時の記憶が甦り、口の中になまりの味が広がる。

 

「気付いたら風間さんとの思い出がいっぱい頭の中に甦ってきてさ......嫌だ! って思っちゃったんだよね」


 世愛の瞳からは涙が溢れ出ていた。

 はっきりと意思の乗った言葉に、俺は思わず彼女を抱きしめた。


「――風間さん?」


「......お前は変わったよ」

「変えてくれたのは、間違いなく風間さんだよ」


 顔が見えなくても、声音こわねで表情がわかる。


「世愛、頼むからもっと自分を大事にしてくれ。じゃなきゃ、いつか俺の手が届かない時が来ちまうだろうが」


 俺を想っての行動なのは理解している。

 大方おおかた、あの二人に脅されたということも。

 だとしても、世愛が犠牲になんてなることはない。

 成り行きでこいつの父親になったとしても、責任は全て俺にあるのだから......。


「......うん。ごめんなさい」


 世愛は俺の胸に顔をうずめ、泣いた。

 細い身体を震わせ、まるで叱られた子供のように――。

 俺はただ、黙って彼女の頭を優しく撫でた。


***


 世愛が泣き止んだところで、再び最寄り駅までの歩みを再開する。

 目的地に近づくにつれ人通りは徐々に増え始め、お店も数軒見かけるようになってきた。

 

「――守ってやれなくて、本当にごめんな」


 まだ気まずい空気が漂う中、俺は耐え兼ね謝罪の言葉を口にした。


「風間さんは守ってくれたよ。私が心の中で「助けて」って叫んだら、来てくれたじゃん」


 真剣な表情で世愛は隣の俺を見据える。


「風間さんは、私の自慢のお父さんだよ。掃除も洗濯もできて、料理だって完璧。怒るとちょっと怖いのがたまに傷だけど」


 俺の前を歩き出したと思えば、ふわりとした笑顔で振り返り、ニコリと笑いかけた。


「ねぇ、手つなごう」

「......いいよ。恥ずかしい」

「ダーメ。凍傷になっちゃうよ?」

「ならねぇよ、このくらいじゃ」

「いいから。娘の言うことは素直に聞きなさい」

「おいこら!」


 ケガをしていない方の俺の手を強引に引っ張り、世愛は駆け出した。

 手袋越しに、彼女の感触が伝わる。


 ――俺はこいつに金で雇われた、血の繋がりなんて当然無い、かりそめの父親。

 所詮は雇用する側とされる側の関係。

 役目が終われば解除されておしまい。

 そんなことはわかりきっている。

 だとしても――できるだけ長くそばで、世愛コイツの笑顔を見ていたい――そんな風に思っちまったんだ......。


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