第14話【トラウマ】

 専門学校を卒業してすぐ、俺はとある医療機器メーカーの営業に就職。

 大学病院等の大きなところへ直接出向き、弊社が開発した新商品を先方に紹介・契約を取り付けるのが主な業務内容。

 本来希望した職種ではなかったが、当時人と話すことが好きだった俺にとってはあまり苦と感じず、そこそこ充実した日々を送っていた。


 就職して丸二年が経過した頃。

 国から支援を受けている某有名大学病院から奇跡的にも大きな契約を取り付けることができた俺は、社内でも昇進ほぼ間違いなしと噂されるほどに。

 給料が上がれば奏緒かなおに多少は楽をさせられるだろうし、何よりいつまでも俺の方が稼ぎが少ないというのは男としてのプライドが許さない。

 やがて社長室に呼び出され、緊張と期待の入り混じった感情で入室すると、そこには昇進話とは無縁の、険しい面持ちをした社長と直属の上司が待ち構えていた。


「先方は君から他社の商品には重大な欠陥があるから、我社の商品に切り替えるよう脅されたと言っているのだが......本当なのか?」


 社長の口から飛び出した言葉は予想もしていなかった供述だった。

 この業界、他社メーカーの悪口を先方の前ですることはタブー中のタブーとされている。

 当然入社した時に先輩から伝え聞いていたし、自身のプライドにかけて俺はそんな恫喝どうかつしていない。

 真実はどうあれ、一方的に先方から契約を破棄された上に、今後御社の出入りを一切禁じるという、事実上の追放措置を施されてしまった。

 事の成り行きを何度も説明したものの、身内より失った大きな取引先の言い分を信用する二人には何を言っても徒労に終わった。


 以降、俺はそのショックから契約を全く取ることができなくなってしまった。

 見かねた会社は俺を営業から内務へと移動を命じるが、一度会社内でダメなレッテルを貼られた人間への風当たりは冷たく厳しい。

 明らかに俺だけ過剰な量の業務の押し付けは、いわば「辞めろ」の合図。

 わかっていても、奏緒に心配をかけたくない気持ちと、続けていればまた営業に戻れるのではないか? という淡い期待を持ちながら早朝から深夜までなんとか働き続けた。


 ――が、その選択は間違いだったことを思い知らされる。


 ある平日の朝。

 溜まっている業務を処理するために奏緒より早く起床し、家を出て電車に乗った時のこと。

 突然、いままで体験したことのない嫌な息苦しさに襲われ、あまりの気持ち悪さに俺は職場のある駅に着く前に電車を降りてしまった。

 駅のベンチで横になっていても症状は一向に良くならず、むしろ体は震え出し動悸は激しくなる一方。

 仮に体調不良だとしても仕事を休むわけにもいかないと、無理矢理体を起こして電車に再度乗ろうとするが......まるでその先に行ってはダメだと言わんばかりに、俺の脚は

動いてくれなかった。

 電車が来る度に何度挑戦しても結果は変わらず。


 諦めた俺は仕方なくそこから徒歩一時間以上かけ、なんとか会社まで辿り着くことに成功した。

 立っているのも歩くのも辛い、朦朧もうろうとした意識状態の中、エレベーターで俺が配属されている部署のあるフロアまで行くと、 


「風間! お前遅刻だぞ! やる気無いならさっさと辞めちまえ!」


 始業時間より遅れてやって来た俺を、直属の上司がみんなの前でそう怒鳴りつけた。

 いま思えば、恐らくこの言葉が最後の引き金になったんだと断言できる。

 意識を失った俺は膝から崩れ落ち、その場へと倒れ込んだ。

 あとから聞いた話しでは、俺の顔と下は溢れ出した液体で凄い事になっていたらしい。

 ともかく前職での記憶は、これが最後だった――。


 ***


「あれ? 風間さん、今日から牛丼屋さんのバイトじゃなかった?」


 いつもより少し早めに帰ってきた世愛せなは、この時間家にいるはずのない俺を見て疑問の声を上げた。


「そうだったんだけど、やっぱ俺には調理関係の仕事は向いてないかなって思って断った」

「ふーん」


 リビングのソファで仰向けに転がる俺を特に責めるわけでもなく、そのままキッチンに

向かい冷蔵庫の扉を開ける。

 呆れられても無理もない。

 似たようなやり取りを俺はこの短期間に何度も繰り返しているのだから。

 最初のラーメン屋からの逃走以降、俺はバイトの面接に受かってはバックレるという行為を続けている。

 

「次の場所は見つかった?」


 背中越しに問いかける世愛。


「そのことなんだが、もういいわ」

「......どういう意味?」


 振り返ってこちらを見つめる世愛は、眉をひそめ首を傾げた。


「考えてみたら、そこまで無理して短時間だけバイトしなくても、俺はお前からの給料だけで充分暮らしていけるんだよな。そう思ったら、なんかやる気無くなっちまって」


 ウソだ。


 本当は働きたいはずなのに、どうしようもなく身体が言うことを聞いてくれない。


 一年以上経過した今でも、過去の忌まわしい記憶が呪いのように俺を苦しめる。

 これ以上世愛にダメなところを見せるくらいなら、もうバイトは諦めよう。心の中で既に決めていた。


 「そっか。せっかく風間さんが働いている姿を見て見たかったのに。ちょっと残念」

「お前の期待に応えられなくて申し訳ない」


 コップに入れたオレンジジュースを片手に持ち、世愛はテーブルを挟んだ反対側のソファに腰を下ろした。

 静かな室内に、世愛の『こきゅこきゅ』と喉を鳴らしながら飲む音だけが響く。


「......要するに風間さんは、目的があればバイトしてもいいんだよね?」

「ん? ......あぁ」


 コップを両手で持ったまま、世愛は俺に訊ねた。

 こういう眠たそうな眼がピクリと反応した時のコイツは、大体ロクなことを考えていない。


「じゃあさ、私が一緒にバイトしようって言ったらしてくれる?」

「いや、お前金あるんだから、その歳でわざわざバイトしなくても大丈夫だろ」

「お金の問題じゃなくて。単純に風間さんのバイト先を探す手伝いをしてたら興味が湧いてきてね」


 なんとも金持ちのお嬢様らしい発想でらっしゃる。

 バイトとはいえ仕事は仕事。

 遊びじゃねぇんだぞ?


「嫌なら私一人でバイトするけど。でもいいのかなー? こう見えても私、結構他校の男子から人気があるらしいんだよね。お客さんとかお店の人にナンパされちゃうかもよ?」


 さすが、俺と出会うまでパパ活してきた奴が言うと説得力が半端ない。


「......風間さんは、私に悪い虫がついてほしいの?」


「......いえ、ほしくないです」


 上目遣いで視線を送る世愛に圧倒され、つい敬語で返してしまった。恥ずかしい。


「じゃあ決まりね。高校生が大丈夫で二人一緒に働けるところとなると、コンビニとかがいいのかなー?」


 珍しくテンション高めにスマホで求人サイトを検索し始めた世愛を見て、俺は面倒なことになったと内心頭を抱えていた。

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