第13話【アルバイト】

 11月中旬。

 陽の出ている日中でも薄めのコートがなければ肌寒く感じる、そんな季節。

 崩していた体調もほぼ完全に治り、今日は少し遅いが冬支度をするために生活圏内の大型ディスカウントショップに世愛せなとやってきていた。

 

「お待たせ。風間さんどうしたの?」

「いや、なんでも」


 世愛がレジで会計をしに行っている間、俺は店内の掲示板、とある一点をじっと凝視し考えていた。


「ひょっとしてアルバイト募集の張り紙見てた?」


 視線の位置でわかってしまったらしく世愛は俺に訊ねる。


「最近家事にもようやく慣れてきて、ちょっと気持ち的に余裕が出てきたからな」


 奏緒かなおの奴が俺と世愛のことを警察に通報するのを内心覚悟はしていたんだが、あの一件から二週間以上経ったいま、どうやらその心配はなさそうだと判断できた。

 世愛との共同生活が永遠に続くことがないのは俺だって理解している。

 だったらその時のために少しでも準備をしておきたいと思った結果、アルバイトでもっと金を貯めるという結論に至った。

 だが、それには一つ問題が。


「何か空いた時間でやってみるのもいいかなと思ったんだが......やっぱ、父親とのダブルワークはダメだよな?」


「いいよ」

「いいのかよ!?」


 恐る恐る切り出したのに、雇い主からいとも簡単に許可が下りてしまって拍子抜けする。


「だって風間さん、ずっと家にいても暇でしょ」

「まぁ......な」


 食事の準備と洗濯・部屋の掃除以外、基本俺はやることがないからな。

 毎日この繰り返しは息が詰まるし、正直飽きる。

 専業主婦の気持ちがよくわかった。

 

「私は別に、パパとしての業務に支障が出なけれな全然かまわないと思ってる」

「世愛がそう言うなら、ちょっと探してみるかな」


 その方が家で一人時間を無駄に過ごすより余程効果的で生産性がある。

 世愛の後押しに俺は完全にその気になった。


「もしも風間さんがアルバイト始めたら見に行っちゃおうかな」

「絶対に来るな」

「ほら、娘が親の職場見学するシチュエーションってなんか萌えない?」

「萌えねぇよ! 仕事に集中できないから断固拒否する!」

「風間さんのケチ」


 薄くにやにやとからかう世愛に俺は幸せな気分を感じ、こんな時間ができるだけ長く続いてほしいと願いながら、俺たちは店を後にした。


 次の日から家事の合間の空いた時間を使って、俺はスマホの求人サイトを片っ端からチェックし始めた。

 条件は昼間働けて生活圏内であればどんな業種でもいい。

 多少給料が低くても我慢するつもりだ。

 

「コンビニの前にこんなのあったよ」


 世愛も俺のアルバイト先探しには協力的で、学校帰りにコンビニ等の店先に設置されている無料求人誌を集めて持って帰ってきてくれたことも。

『風間さんはこの職業が似合いそう』とか、『料理上手いから食べ物屋さんがいいんじゃない?』と口出しする辺り、本人以上に楽しんで仕事を探している感すらある。

 働くの、お前じゃなくて俺なんだけどな。


 ***


 アルバイト先は思いのほかすんなりと決まり、今日からラーメン屋のホールスタッフとして働くことになった。

 勤務時間は昼から夕方まで。家から歩いて10分かからないという好立地に店舗はあり、しかもまかないまで発生する。 


「これがウチの制服ね」


 店長から開店前に店内を軽く案内されたのち、ロッカールームに案内された俺は店名の入った紺色の半袖ポロシャツを手渡された。


「もうわかると思うけど、店内は年がら年中こんな感じで暑いからさ。真冬でも半袖なんだわ」

 

 汗で顔を輝かせている店長から言われると説得力が凄い。

 秋物の上着の下に長袖シャツを着ている俺はさっきから少し息苦しくて仕方がない。


「風間さんはタバコは吸うんだっけ?」

「いえ、いまは禁煙中なんで」


「その年でもう健康を意識してるなんてえらいねー。ウチは俺含めみんなバカみたいに吸ってる連中ばかりだよ」


 料理人はあまりタバコを吸わないというイメージを勝手に持っていたが、どうやらこの店長は違うらしい。

 肌が黒ずんでいるのはタバコの成分によるものということか。


「着替え終わったら厨房まで来てくれる? いろいろと説明しなきゃいけないことがあるから」

「はい、わかりました」


 厨房に戻る店長の背中を軽く見送って、俺は早速自分のロッカーの前で着替えを始めた。 

 と言っても下は履いてきたジーパンそのままで大丈夫なので、あっという間に準備は終わる。

 ロッカーの扉を閉め、店長のいる厨房へ向かおうとした時――はやってきた。


 突如として異常なまでの猛烈な不安感が俺を襲い、同時に激しいめまいと動悸を発生させ、あまりの苦しさに思わずその場にしゃがみ込んでしまう。

 この感覚には覚えがあった。

 一年以上が経過しても、忘れようにも忘れられない、細胞レベルに刻み込まれた負の記憶――。 


 体も震え、脚にも力が入らない......!?


 混乱した思考の中、気付けば俺は荷物を持ってロッカールームから厨房のある店内――ではなく、裏口へ逃げるように飛び出して行った。


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