第11話【彼氏】

 週末。土曜日の朝。

 今週は世愛せなの学校が休みなことを忘れていつも通りの時間に起きてしまった。

 そのまま二度寝するのも有りだったんだが、外の天気があまりにも快晴なもんだから俺は洗濯を始めた。

 ここのところ雨の日が続いてなかなか外に干せなかったからな。

 乾燥機も悪くは無いんだが、やり過ぎると衣類の劣化を早めてしまう。

 俺は雨が降っていなければできるだけ外干しを心掛けている。


「おはよー」


 スズメたちのさえずりをBGMに、全ての洗濯ものを物干し竿に引っ掛け終えると世愛がリビングにやってきた。


「ああ、おはよう。今日は休みの日なのに早いな」

「うん。なんとなく自然と目が覚めちゃって」


 寝起きの世愛は普段とそこまでテンションに差はない。

 というか、そもそもこいつは普段からあまり表情が豊かな方ではないからわからない、と言った方が正しい。

 

「風間さん、このあとって何か予定あったりする?」


 朝食の洗い物を片づけ一息ついている俺に、向かい側のソファで仰向けに転がっている世愛が声をかけてきた。


「いや、お風呂掃除に昼飯と夕飯の準備くらいなもんだけど、どうかしたか?」

「あのさ――少しの間だけ、私の彼氏になってよ」

「ゴホッ! ......お前、休日の朝から何言ってんだ!?」


 父親の本契約になったばかりの矢先、突然の彼氏になって発言で驚かいない人間がどこにいよう。思わず口に含んだばかりの熱々のお茶を吹き出しかけてむせる。

 

「これ見て」


 世愛はくるりと起き上がってテーブル越しに自分のスマホを見せてきた。

 画面に映っているのは巨大な金魚鉢の容器を使ったパフェと、それをカップルらしき男女が仲良く向かい合って食べている写真。

 スクロールして住所を確認すると――意外と近い。ここからギリ歩いて行ける距離か。

 

「なるほどな。要するにカップル限定商品のこいつを食べたいから俺に彼氏役を演じろってことか」

「そういうこと」

「だったら最初からそう言えって」

「風間さんの驚く顔が見たくなってさ」


 世愛の目が笑っている。

 この娘......段々父親をからかい慣れてきやがったな。

 

「ひょっとして風間さん、甘い物苦手?」

「そんなことはねぇよ。むしろ世愛と住むようになってから好きになり始めてる」

「良かった。じゃあ問題なさそうだね」


 禁煙の反動か、俺は以前よりも甘い物をよく食べるようになっていた。

 特に飴なんかは口が寂しい時に舐めるのにはもってこいだ。

 俺が甘い物が平気であることを確認した世愛は、足早に自室へ向かおうとする。 


「ちょっと待て。いまから行くのか?」

「当たり前でしょ。一日五個限定なんだから急がないと今日の分が無くなっちゃうよ」

「つい今さっき朝メシ食べたばかりだろうが。それに、んな人気があるなら今から行ったってもう終わってるんじゃ」

「終わっててもいいんだよ。その時は二人で普通のパフェ食べて帰って来ればさ」


 奏緒かなおとの一件があってからというもの、世愛は時折俺を気遣うような素振りを見せる。 

 あれほど世愛のせいじゃないと伝えたはずなんだがな。

 これも世愛コイツなりに俺の失恋を気にしての優しさなのかもな。

 やれやれ。当の本人はもう吹っ切れたというのに、父親思いの娘にも困ったもんだ。

 リビングの時計の針が午前11時回る頃、俺は制服に着替えた世愛と二人揃って出かけた。


 ***


「お待たせしましたー。いちごパフェとチョコレートパフェになります」


 笑顔が素敵な、世愛と同じくらいの年代と思われる女の子が俺たちの席に注文したパフェを運んでんきた。 

 残念ながら目的のパフェは寸前のところで終了してしまったらしいが、近くの席で実物を食べているカップルを見て俺は内心ホッとしていた。

 いくら甘い物が最近好きになってきたとはいえ、朝メシから2時間しか経過していない腹具合で、大人の顔より大きいパフェに挑もうとしたのは無謀だったと反省している。


「なんか普通のサイズが小さく見えるね」

「確かに......」


 決してそんなことはないんだろうが、遠近感を狂わせる特大金魚鉢パフェを見たあとでは、そう錯覚してしまうのも無理はない。

 世愛の前には標準サイズのいちごパフェ。

 俺はまだそこまでお腹が空いていないこともあり、小さいサイズのチョコレートパフェを注文。


「......滅茶苦茶甘いな」

「そりゃあパフェですから」


 スプーンで一口含むと、口の中にチョコレートのビターな甘さがこれでもかと広がる。

 顔を歪ませる俺に世愛は鼻を鳴らした。


「はいお父さん、あーん」

「こんな場所でお父さんはやめろ。怪しまれるだろうが」

「いいから、ほら早くー」


 俺の口元へスプーンですくったいちごパフェを差し出す世愛。

 その辺のバカップルじゃあるまいし、普通に人前でこんなことするの恥ずかしいんだが。

 世愛の押しに負けて渋々かぶりつくと、チョコレートのビターな甘さとはまた違った酸味を含んだ甘味が口の中いっぱいに広がる。


「苺も悪くないな」

「でしょ? じゃあ今度は風間さんのを食べさせてよ」

「ほら、好きなだけ食え」

「そうじゃなくてさ......やられたらやり返すのがマナーじゃない?」


 ――コイツ、最初からそれを狙ってやがったな!|

 嘲笑あざわらうような憎たらしい視線を向け、世愛は今か今かと俺がするのを待っている。


「......あーん」


 呻きながらも俺は自分のチョコレートパフェをスプーンですくい、世愛の口元へと運んだ。

 いちごソースとクリームが付着した唇がゆっくり開かれ、吸い込まれるように口の中へと消えていく。

 ――これ、されるほうよりする側の方が数倍恥ずかしくてないか?


「風間さんのチョコレートも美味しいね」


 世愛は幸せそうな笑顔を浮かべる。


「思ったんだけど私、お父さんとこうしてパフェ食べたの初めてかも」

「いまだけ彼氏設定どこいった?」

「娘に意地悪な質問すると嫌われるよ」

「はいはい、そうですか」


 そもそもここで彼氏を演じるようお願いしたのはお前なんだが――。

 それから少しの間、俺たちは会話を忘れてパフェを食べるのに夢中になっていた。

 

「あのさ、風間さんは元カノさん――奏緒さんとデートとかでパフェ食べたことないの?」


 俺が丁度食べ終わりかけた頃、まだ半分近く残している世愛が口を開いた。 


「......全く無いな」

「意外だね」


「そうか? 見たとおり、奏緒はあんな感じの性格だから、出会った時から居酒屋デートばかりだったんだよ」


「フフッ、なんかビール飲んでる姿が簡単に想像できるね」


「だろ? 同棲中、仕事から帰ってくれば、しょっぱいもんつまみながら必ず缶ビール一本は飲んでた。俺以上におっさんだぞアイツ」


 まだ一・二年くらい前の記憶だというのに、奏緒との同棲の日々が酷く遠い過去の存在に感じてならない。

 今思えば、本当に心から幸せだったのは就職して間もない、同棲を開始した最初の数ヶ月間だけだったな......。


「世愛こそお父さんとはなくても、彼氏とは一緒にあるんじゃないか?」


 なんとなく話題を変えたい気分になって世愛に違う質問を訊ねてみる。


「あー私、今も昔も彼氏がいた経験ないんだ。パパなら沢山いたんだけどね」


 視線を逸らし、自虐するような苦笑いを浮かべた。 

 世愛のいうパパとは、金を貰って彼氏にするような行為を愛情抜きでする相手を指す。

 俺もその中の一人ではあるが、逆に俺は父親として金で雇われている立場。

 初日に危うい場面こそあったが一度たりともやっていないし、もちろんこれからもそのつもりはない。


 世愛は俺の娘で、俺は彼女の父親なのだから。


 世愛に今現在彼氏がいないことに安堵したのも関係性によるものだ。

 

「じゃあお互い、異性と一緒にパフェを食べるのは初めてってことだな」


 そう口にすると、世愛は口元をスッと手で隠し顔を背けた。


「どうした? 一気に食べて口の中が冷たくなり過ぎたか?」

「......だいじょうぶ」

「その割には顔が赤いな。あんまり無理すんなよ」


 心配しながら口の中へ最後の一口を放り込む。

 次に来る時こそは、こいつに巨大金魚鉢パフェを食べさせてやりたい、と親心ながらに思う。

 先ほどまで以上に口の中にパフェをパクパクと放り込む世愛を見て、俺の心はポカポカと温かい気持ちになった。

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