第19話 零落のしがらみ
翌日の朝、人が混み始めた食堂の机の一角に、リューバとウールがいた。
2人は、何故か神妙な顔つきをしながら皿の上に乗った2つに破られたパンを眺めていた。
「サイズとしては同じくらいか。それじゃあワタシはこれを貰おう」
そう言ってリューバは2つのうちの1つをつまんだ。
だが、待ったをかけたのはウールである。
「ちょっと待ってください、そっちの方が少し大きいです。それわたくしが欲しいです」
そう言いながら皿に残ったパンと見比べる。
「仕方ないなぁ。これでいいだろう?」
「いや、やっぱりこっちの方が大きい気がします。やっぱりいいです」
「はぁ……これで――」
「――いややっぱり……」
「どっちでも変わらん!」
遂に痺れを切らしたリューバは、ウールの口にパンを押し込んだ。その後で残ったもう一切れのパンを食べる。
だがそんなもので腹が満たされるわけでもなく、2人はただ机に残った皿を見つめていた。
2人の朝ごはんは、なけなしのお金で買ったこの小さなパンだけである。昨日クエストをいくら頑張ったとはいえ、朝にはこの有様である。2日目にして早くも2人は冒険者のしんどさに直面していた。
「……よし、明日はこれにバターが付くように今日も頑張ろう!」
「そうですね、なんならミルクも欲しいです!」
だがそんな程度で挫ける2人ではない。この程度でへこたれていては魔王に手も足も出ない。
すぐに皿を返し、2人は足早に冒険者ギルドへ向かった。
「……え、今日もこんなに頼むんですか!? 確か昨日も大変多めでしたよね?」
カウンターに積まれたのは【植物採集】の依頼書6枚、だが心配そうな受付の子とは対象的に、2人は笑顔である。
「食費の為です。何なら少しお高い魔獣退治も受けたいですが、それはもう少し我慢ですね」
「ちなみに冒険者だけで食べていくにはどれ位まで頑張らないといけないんだい?」
そんなリューバの質問に受付の子はペラペラと依頼書をめくりながら、
「そうですね……Cの人でもカツカツだったりDでも食べていける人はいますけどね……でも、無理は禁物ですよ。怪我をしたら台無しですからね」
そう言って受付の子は依頼書に全て判子を押し、カウンターに並べ直した。
「それでは、頑張ってきてください。ご武運? ご植物運をお祈りします!」
「はい、頑張ります!」
「それじゃあ、行こうか」
そう言うと2人は元気に駆け出していった。
そんな2人と入れ替わるようにギルドに入ってきたのはファウスである。
「おはよー。あの2人、今日も元気だねー」
「ファウスさんおはようございます。あっ、書類届いてますよ」
「えっ、私宛に?」
「はい、ファウスさん宛です」
ファウスが不思議に思うのも無理はない。基本的にファウスのいる会計科への通達は個人ではなく会計科宛に送られる。このように個人宛に連絡が来ることは滅多にないのだ。
不思議がりながらも、ファウスはBOXに入った1枚の書類に目を通す。
「町長……?」
そう呟いたのも束の間、
「ちょっと急用で出てくる! 悪いけど私のいない分の穴埋めよろしく、できるだけ早く帰るから」
そう言ってすぐにギルドを出ていった。
少し経ってやってきたのは、シオンである。
「あ、シオンさん。おはようございます」
「……うむ」
だが、いつもと違いどこか足取りが重そうだ。
「何かあったんですか?」
「あ、いや……そうだ、筋肉痛だ」
「昨日はお疲れ様でした……それで、今日は何か忘れ物ですか?」
ちなみにシオンは昨日付けで退職という扱いなので、もうここの職員ではない。
「まあそんな感じというかなんというか……」
「んー? ……よく分かりませんが、今日も1日頑張りましょう!」
「うむ」
シオンは元自室へ向かった。
昼過ぎ、ファウスが帰ってきた。
「ただいまー」
だが、その顔は何か事があったような表情である。
今朝の必死な様子からのその様子に、受付の子も戸惑いを隠せないでいるようだ。
「何かあったんですか?」
「いやぁ、まあちょっとねー。所でシオンいる?」
「あ、はい。まだいつもの部屋にいらっしゃると思います」
それを聞くと、ファウスは席に戻らずすぐにシオンのいる部屋へ向かった。
ノックもせずに部屋のドアを開けると、そこには頬杖をつきながら手元の書類に目を通すシオン、向かいにはすやすやとかわいい寝息を立てて夢の世界に入り浸っているノールがいた。
「これって昨日のやつ?」
そうしてファウスがいきなり話しかけると、シオンはようやくファウスに気づいたのか、
「いたのか……」
そう言いながら急いで書類をファイルに戻した。
「戻しちゃうの?」
「まあ、ちょっと見てただけだし……」
顔を上げたシオンの左頬にはくっきりと手の跡がついていた。
「それで、楽しかったの? 久しぶりのクエストは」
「……最悪だった。疲れるし、不甲斐ないし、筋肉痛も酷いし」
「それじゃあ二度とやらないの?」
「そりゃあもうこことは関係ないんだし……」
「ふーん、じゃあ部外者がどうしてこんな所に?」
「それは……ていうか、何なんだ一体!?」
そう言われ、何かを話だそうとしたファウスだが、すぐに向かいで寝ているノールに気づいた。
「ちょっと別の所で話そ?」
そしてやってきたのはギルドの裏である。
ファウスは早速話を切り出した。
「いやぁ、実はさっき私も呼び出されてさ……町長に」
「町長……てことは、何かやらかしたのか?」
「ううん、実は私も昇進の話を持ちかけられたの」
「……そうか、それはめでたいな」
シオンは少し驚いた様子ではあったものの、思い当たる節はあったのだろう、どこか自分で納得したようであった。
「それで、受けるのか?」
付け加えてそれだけ言うと、壁にもたれ掛かりながら左手に持ったマグカップの珈琲を1口啜る。
ファウスの返事は、少し間を置いた後だった。
「……正直ね、すごく迷った」
黙って見つめるシオンを横目に、ファウスは言葉を続ける。
「いやぁ、現状を聞かされた時は驚いちゃった。思った以上にとんでもないことになってて、崩壊も時間の問題な気がして。まるでギルドのひとつの末路を見たような気がして……」
ファウスは首を横に振った。
「それでも……」
ファウスはそのまま言葉を続ける。
「たった1度きりのチャンスかもしれない……だから……」
晴れた昼下がりの、暑くもないちょうど心地の良いそよ風が吹く。その風に誘われ、ようやく数を増やし始めた新緑達が、それぞれの音色を奏でている。
この時間帯でも人気(ひとけ)の少ないこのギルド裏では、そんな音がより一層聞こえるのだ。
それは、ファウスが実は深呼吸をしていたことでさえかき消してシオンに気づかせないような、さりげなくも大胆なものであった。
しばらくして風が止むとファウスは、今度は真剣な表情をしてシオンの目を見ながら、
「……天下を取ってみない? 今度は私と一緒に」
そう言うと、ずしりと両手をシオンの両肩に置いた。
「えっ、は? なんで私も!?」
「決まってるじゃない。シオンがギルド長で、私がチーフ!」
だが、
「いやいやいや、無理だって。そもそも、なんでそんなリスキーなことができるんだ? こんな状況で引き受けるなんて、自滅も同然だぞ」
「決まってるじゃない。それでも、私はこのギルドが大好きだから。それ以外に理由なんてないよ」
なんの躊躇もなく、すぐに出たその言葉が紛れもなくファウスの本心であることは、いくら鈍感とはいえシオンでもすぐに分かった。
だが、何も返答が思いつかない。
「すまない……1人の時間が欲しい」
そして遂には、シオンはそれだけ言って思わず逃げ出してしまった。
1人残されたファウスがそのコッテコテなクサいセリフを言っていたことに気づいて赤面するのは、少し後の話である。
***
その後シオンは昨日すれ違った人達に昨日の説明をし、今まで仕事で世話になった人達に色々とお礼をしに回り、ようやくギルドに戻ってきていた。
時刻としてはあっという間に過ぎていき夜に差し掛かるあたり、受付には疲れ果てたそこそこの数の冒険者達がいた。
「本当に全部こなしちゃうんですね……」
その中で特に目立っていたのは、依頼書6枚を引っさげてやってきたリューバである。
色んな冒険者と接してきた受付の子でさえ驚く量と考えれば、凄さが分かってくるだろう。
「まだまだ、明日は7枚以上に挑戦だよ」
「すごいモチベーション……どうですか? クエストの方の楽しさは」
その時、シオンは昨日の事を思い出した。ちょうど同じ質問にウールは笑顔で「楽しかった」と答えたのであった。あの時のウールの笑顔は、まだ繊細にシオンの頭の中に残っている。
受付の子の質問に、リューバはしばらく考えてそして口を開いた。
「そうだなぁ……正直な感想としては、なかなかに酷かった」
「え……?」
まさかのウールとは正反対の感想に、思わず声を漏らす。
だが幸い聞こえていなかったのか、リューバはそのまま話を続ける。
「暑いわしんどいわ、腹は減るわ疲れるわ、それにあの女神に振り回されて、一見余裕そう表情をしてはいるのだが、実はそうでもなくて」
「……でも」
リューバは笑っていた。
「それ以上に楽しかった。目当ての薬草を見つけた爽快感、帰ってきた時の依頼者の笑顔を見るととても嬉しい。そしてなんと言ってもクエストが終わったあとの開放感、これまた爽快感、達成感といったら……! 面倒なクエストほど、その分の達成感も大きいわけで……いやぁ、本当に冒険者は面白い!」
「……!」
そしてそれは気づいていないだけで、周りも同じであった。
「今日やっと中型の魔物が倒せたんです!」
「依頼者の方にめっちゃ褒めて貰えて……」
「しんどかったけど楽しかったです!」
リューバだけでなく、疲れているはずなのに、みんな笑顔で、満足そうで、幸せそうだ。
そしてそれはありし日のシオンも同じであった。
確かにしんどかった。辛かった。逃げ出したかった。それでも最後は……
「楽しかった……か」
何年ぶりだろうか、久々に感じたその感覚を1日経った今でもはっきりと覚えている。
「はぁ……仕方がないか……」
翌朝、シオンは町長室に来ていた。
「……ここに来たと言うことは、答えは決まったのかな」
町長のその質問に、シオンは静かに頷いた。
「私で良ければやらせてください」
真っ直ぐなその言葉に、町長は少し驚いているようだ。
「話をした時は乗り気じゃなかったみたいだったけど……何か強い動機でもあったのかな?」
「まあなんというか、思い出したんです。私は夢や希望に満ちた冒険者、その冒険者達を支えるギルドを守りたかったんだって。役所の人たちは街の中の一施設と思うかもしれません。でもギルドの人達、そして依頼者の人達にとっては、かけがえのない場所なんです」
「それに……」
シオンはまっすぐ前を見て言った。
「私自身、また天下を狙ってみるのも悪くない気がしたんです」
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