第18話 忘れていたこと


 結局ずっとウールにおんぶをしてもらっていた私は、流れ的に依頼主の所へのクリア報告に同行する形となった。


「ラウラスの冒険者でーす!」


 元気よくウールがそう言ってドアを叩くと、しばらく経ってからゆっくりドアが開いた。


「あらぁ、これはムールちゃん。こんなに暗くまで頑張ってくれたのねぇ」


「いえいえ、元はわたくしが原因ですので。あとウールです」


 出てきたのは腰の曲がった老婆だ。

 すると、待たずして猫は私の腕から勢いよく老婆のほうへ飛び込んだ。


「サプライズにしようと思ったのですが……どうやら我慢できなかったようですね」


 元気よく帰ってきた愛猫の姿を見て老婆は一瞬驚いたが、やがて満面の笑みを浮かべた。


「ありがとう、本当にありがとうねぇ……」


 その瞬間、私はとてつもない満足感に見舞われた。この笑顔のためなら先程までの苦労がどうでもよくなるような、そんな感覚はいつ以来だろうか。


 そんな感情に浸りながらウールとリューバの後ろでボーッとしながら突っ立っていたのだが、やがて老婆の目線はそんな私を捉えた。


 老婆は私を見た途端、今度は存分に驚きの表情を見せた。

 

「これは、シオンちゃんじゃないかい!」


 突然私に話が振られたのと、見覚えのない老婆から名前を言われたことで二重に困惑しながらも、とりあえず返事をする。


「えっ、あ、はい。どうも、こんばんは」


「あーっ、シオンちゃんだー!」


 すると、家の奥から私の返事よりも大きい声で私を呼ぶ声が聞こえてきた。

 スタスタと足音が聞こえ、玄関先に出てきたのは小さな女の子だ。


 ――えっ、誰?


 それが私の素直な感想だった。だがそんなこと言えるはずもない。 

 でも私の声を聞いただけで名前まで分かっているということは、かなり私のことを知ってくれているということだろうか。

 だがこんな子私には見覚えがない。でも玄関先に出てきてすぐに私に向けられているのはその子のキラキラとした目線だ。


 やはり子供の期待はさすがに裏切れない。とりあえずそれっぽい挨拶で済ませよう。


「あ、うん。こんばんは、シオンだよ」


 そう言ってやると、子供は今度は満面の笑みで私のことを見てきた。

 そんな姿を、老婆はとても楽しそうに見ているようだ。


「こらこら、挨拶が最初でしょ」


 そう言われ、女の子は私の足下にひょこっと現れて、少し見上げながら


「うん! こんにち……わ」


 だが、少しすると私の足に隠れるようにしがみついてしまった。私を挟んで向こう側にいるのはリューバとウールだ。


「この子、人見知りなの。でもシオンちゃんにはすっかり懐いちゃってねぇ」


「あらら、おばあちゃんはシオンさんを知っていたんですか?」


 よくやったウール。自分からどうして私のことを知っているか聞くのはあまりにも気まず過ぎただけにこれは有り難い。


 すると老婆は両手を腰に置いて、まるで昔話を話し始めるような口調で話し始めた。


「じつは、この子が2歳くらい……3,4年前になるのかな。娘……この子のお母さんも私も出かけなくちゃならなくてね。1日だけ、ギルドに子守りを依頼したのねぇ」


 3,4年前となれば――確かその頃私は……。

 私がそんなことを考えている中、老婆は話を続ける。 


「私たちでもすぐに泣いちゃう子だから、結構大変だと思ったんだけど……」


――もしかしてそれって……


***


 シオンにはひとつ、思い当たる節があった。それは、彼女が冒険者1年目のド新人だった頃のことである。


「――すみません! クエストを受けさせて頂いていたのに世話どころか寝てしまうなんて……申し訳ないです!」


「いいのいいの、気にしないで。それよりほら、見てちょうだい。この子ったら、こんなにシオンちゃんに懐いちゃって……」


「ちおん、ちゃん……?」


 シオンが何度教えても名前は覚えてもらえなかったが、母親に抱き抱えられてもその子は小さな手で彼女の指をしっかり握っていた。


***


 そういえば、そんなこともあった気がする。

 確かあの後、ギルドの方からは寝たことよりも帰る時に子供を泣かせてしまったことを怒られてしまったような気がする。


「それ以降この子ったら、『シオンちゃんは?』って言い続けるもので……そのシオンちゃんって子がずっと気になっていたのよぉ」


「そんなこと……よく覚えていましたね」


 思わず本音が出てしまった。だがそれも当然で、今言われるまでそんなのすっかり忘れてしまっていたのだ。

 

「忘れるわけないじゃない! シオンちゃんのおかげでこの子ったらこんな元気に育ってるんだから」


「そんな、私はただクエストを受けただけですから……」


 すると、老婆は静かに首を振った。


「ううん、シオンちゃんにとっては沢山あるうちの1つのクエストでも、私たちにとってはかけがえのないものなのよねぇ」


 そんな言葉に、ウールは笑顔で言った。


「それじゃあこのクエストが私たち3人にとってはかけがえのないクエストですね!」


「……」


「シオンちゃん……どうしたの?」


 女の子の声で我に返る。気づけば、虚ろな目で呆然と私は立ち尽くしていた。


「……いや、なんでもない。これからは猫ちゃんを逃がさないようにするんだぞ」


「はーい!」


 そう言って頭を撫でてやる。女の子はとても嬉しそうだ。



「でも、今日は本当にありがとうねぇ……」


 最後に老婆はそう言って、深々と頭を下げた。それを見て女の子も小さく頭を下げた。


「いえいえ、またよろしくお願いします!」


「あ、そうだ。依頼書がまだだったかな?」


 リューバはそう言うと、依頼書を懐から取り出して老婆に渡した。これにサインを貰ってギルドに提出すれば、クエスト完了と認定されてギルドから報酬が貰える仕組みだ。



 そして私たちはギルドに帰ってきた。

 リューバはすぐにカウンターへ行き、クエストの精算を始めた。ウールはその様子をを少し離れた休憩スペースで眺めている。


 どうやら私はお役御免のようだ。

 2人を見届けた私は、身支度をするためにカウンター奥の事務室に向かおうとしていた……その時だ。


「シオンさーん!」


 振り返ると、ウールが元気に私の方へ走ってきた。


「シオンさん、本当にありがとうございました!」


 そう元気にいうものの、元気印のウールも多少お疲れの様子だ。まあ、こんなに泥だらけになるまで頑張っていたのだから疲れるのも当然だろう。


「うむ、色々大変だったが、お疲れ様だ。どうだ冒険者は、大変だろう?」


 だがそんな私の質問に、ウールは首を振った。


「いえ、とんでもない! ものすごく楽しいです!」


 そして見せた、まるで疲れを喜ぶような嘘偽りのない完璧な笑顔に、この日最後に私は強い印象を受けた。

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