2-6 捨てる神あらば拾う神あり
「梓! 今日は練習じゃないのか?」
公民館を出たなり、樹に声をかけられた。柊の生け花教室で使う花を運び入れるところで、花を抱えている。
「うるさいからって、利用を断られた」
この日何度も口にしたフレーズをこなれた舌の動きで繰り返す。
「うるさい? 音を出すための場を提供しているのに?」
樹は不可解だと言わんばかりに首を傾げた。
「僕らもそう思ったけどさ。うるさいっていう苦情があったんだって。スタジオより安く借りられるから便利だったんだけどなあ。他の練習場所を考えないと」
「公園にでも行く?」
鈴がぽつりと呟いた。
「公園?」
響が聞き返す。
「公園なんて、余計に文句言われるよ」
響に指摘され、鈴はそっかとさびしそうに笑った。
「でもさ、アンプにつながなければそんなにうるさくないよね? どうせドラムは叩けないんだからうるさくなりようがないんだし。せっかく集まったんだから、あたしは膝を叩いてでも、みんなと音を出したいよ」
鈴の悲痛なまでの訴えに、響が泣きそうな顔で、静佳も力強く頷いた。
「どうした、渋滞しているじゃないか」
花をかかえた立華が樹の背後にやって来ていた。とたんに四人の間に緊張感が走った。立華が「フィールド・オブ・サウンド」の元ボーカルだと今では全員が知っていた。
「そういうわけで、僕ら、練習場所難民なんです」
一通りの事情を説明すると、「なんだ」と立華がにっこりと笑った。
「いい場所を知っているから連れていってやる。そこでなら思い切り音が出せるぞ」
梓たちは、花をおろした軽トラックの荷台に乗せられた。花の残り香に包まれながら連れて行かれた先は立華の花畑だった。花畑の中央には大小二つの建物が並んでいる。平屋建ての小さい建物が立華の住む家で、大きな方はトタン建築の農作業場兼ガレージだ。
シャッターが上がりきると、軽トラックはガレージの中へと進んでいった。軽トラックの他に農作業用のトラクターが一台格納されていてもまだあまりある広さだ。農作業用の道具や大工仕事に用いる類の道具まで揃えられてあり、まるでホームセンターのようだ。
工具のおもちゃ箱といったガレージの隅に、外からの光を受けてきらりと光る物があった。正体を素早く認めた鈴が我先にと徐行する軽トラックから飛び降りた。
「待って、鈴!」
鈴の後に響が続く。梓もたまらず二人の後を追った。洞窟内に隠されていた宝物を発見した海賊のように梓たちはそれらの前で小躍りした。
「すごい! アンプから何から何まで揃ってるよ!」
宝物の正体はギター、ベース、ドラム、アンプ、マイクスタンドだった。今すぐにでもライヴが出来る楽器、設備一式がそろっている。
「これって、もしかして?」
海賊のキャプテンよろしくゆっくりと歩いてきた立華に梓は尋ねた。
「『フィールド・オブ・サウンド』で使っていた楽器だ」
「ベースもドラムも全部揃ってますね」
「好きに使っていいぞ」
「え? でも……」
「遠慮するな。仲間は使う気まんまんでいるじゃないか」
鈴はすでにドラムを叩いている。
「すいません……鈴はドラムのことになると周りが見えなくなってしまうんです」
「いいんだ。楽器は音を出してこそなんだから」
夢中でドラムを叩いている鈴を立華は目を細めて見つめていた。
「ここで練習するといい。周りは花畑だから、近所迷惑とか考えないで思い切り音を出していいぞ」
「ありがとうございます!」
立華に礼を言い、梓も宝物を品定めする響たちに加わった。
プロのミュージシャンたちが使っていた楽器だ。しかも、ただのプロのミュージシャンではない。音楽シーンの一時代を担った売れっ子ミュージシャンだ。時代を彩った音を生み出した楽器だと思うと手を触れるだけで興奮した。プロが使っていた楽器を使えばプロ並みの音が出せるわけでは決してないが、期待せずにはいられない。
数本あるギターを眺めていた梓は不思議なことに気づいた。「フィールド・オブ・サウンド」が解散してから二十年ほどの年月が経つ。しかし、楽器たちはつい最近まで使われていたかのような現役感で満ちている。ほこりひとつなく、手入れもきちんとされている。
「楽器、今も使われていますね。使っているのは……立華さん?」
梓は思い切って尋ねた。
「他に誰がいる?」
「ベースも、ドラムも?」
「楽器と名のつく物なら一通り演奏できるな。ああ、吹き物は苦手だ。サックスだとかそういうやつは」
「今も音楽をやっているんですね。立華さんは、もう音楽をやらないんだと思ってました。『フィールド・オブ・サウンド』は解散してしまったから。今も音楽を続けているのなら、解散する必要はなかったんじゃ?」
頭に浮かんだことを考えなしに口にしてしまってから梓はしまったと唇をかんだ。それまで穏やかだった立華の表情が一転して険しくなった。
「音楽をやめることは出来ないね。だってそうだろう? 音は出るんだよ。楽器を使わなくても、息も心臓の鼓動もみんな音だ。生きているだけで音楽を奏でている。今は、花たちに聞かせるために音楽をやっている。いい音を聞かせてやるときれいな花が咲くんでな。信じられんかもしれんが」
「僕は信じます」
美しい言霊は美しい花となる。樹が摘んでみせる花たちが証拠だ。美しい音を聞いて育つ花が美しくないわけがない。
「心配になってきました。僕らの下手な演奏を聞いていたら、花畑の花がダメになってしまうかもしれない」
たまらず立華が噴き出した。あははという笑い声が歌声のようだった。笑い声ですら優しい雨のような心地よい響きだ。
「そう思うのなら、花たちにいい音を聞かせてやろうという気概で練習すればいい。うまく演奏してやろうだとか、人より上手にやろうと考えるより、よっぽど健全な動機だ」
「はい、ありがとうございます!」
梓は頭を下げ、三人の元へ向かった。音を出したくて仕方ないらしく、三人はさっきからうずうずしている。
「好きなように、とさっき言ったが、ひとつだけ条件がある」
走る梓の背中に立華の声が突き刺さった。
「何ですか?」
梓は身構えた。
「『フィールド・オブ・サウンド』の曲だけはやるな」
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