2-5 しめだし
公民館はどうだろうと梓が提案した時、「公民館?」と、あからさまに嫌な表情を浮かべてみせた響だったが、今では喜び勇んで公民館へ向かう。ベースを背負った響の小柄な後ろ姿はベースそのものが飛び跳ねているようだ。
「公民館でバンド練習ができるなんて考えもつかなかったよね」
「スタジオ借りるより格安で助かるよね」
鈴も大はしゃぎだ。飛行機のエンジンなみの音を出すドラムの練習ができる場所は限られてしまう。家では座布団を叩くしかなく、週二回の音楽室での練習では物足りない。かといってちゃんとした設備の整ったスタジオでの練習は金銭面で難しかった。防音設備が整い、かつ懐にも優しい場所、公民館という練習場所を確保できて誰よりも喜んだのは鈴だった。
柊が生け花教室を開催している公民館に出入りしているうちに、公民館には防音設備の整った施設があると知った。樹の手伝いをしていなければ梓も公民館で練習できるとは知り得もしなかった。
「税金払っているんだから、もっと公共施設を利用しないとね」
「えー? あたしたち、税金払ってる? だって社会人じゃないよ、まだ学生だよ?」
「払ってるって! 消費税だって税金だよ!?」
響と鈴のやり取りを横眼に梓は受付に向かった。
「こんにちは」
受付に声をかけると「ああ、君たちか」とすっかり顔なじみになった受付の男性が顔を出した。六十代ぐらい、いつもなら笑顔で応対する男性だが、梓たちを見るなり笑顔がかき消えてしまった。
「すまないが、もう施設は利用できなくなったよ」
「え? どういうことですか?」
梓が思わず上げてしまった大声に、響、鈴、静佳がびくりと肩を震わせた。
「びっくりしたなあ。梓、驚かさないでよ」
「ごめん、ごめん。もう施設が利用できないって言われたからさ」
「え? どういうこと?」
響が梓と全く同じ反応を示してみせた。
《どうして? 設備が壊れていて今日は使えないってこと?》
静佳がひとり冷静だった。
「すいません、施設が利用できないって、設備が壊れているとかそういう事情で今日は使えないということですか?」
梓は受付の男性に尋ねた。練習が出来ないとなると困るなと思いつつ、事情が事情なら仕方ない。だが、受付の男性の様子がおかしい。もじもじとして落ち着きがない。
「ああ、いや、設備の問題ではなくて……問題は、君たちなんだ」
「僕たち? 僕たち、何かしましたか?」
「いやあ……その、言いにくいんだが……」
受付の男性は口ごもった。気まずい沈黙がおとずれた。
「実は、他の利用者さんたちから君たちの楽器の音がうるさいという苦情が来てしまってねえ……」
受付の男性は申し訳なさそうに言った。強い調子で物を言われたら押し切られてしまいそうな気弱な感じのする人物だ。苦情にも黙って頭を下げ続けたのだろう。
「そんな……僕たち、うるさくしたつもりはないですし、防音設備だってちゃんと整っているじゃないですか」
「まあ、とにかく、そういうことだから」
受付の男性は、めんどくさそうに早口で言った。言うべきことを言ってしまった後は貝のように口を閉じてしまい、耳も閉じてしまって梓たちの言い分を聞くつもりもないようだった。受付の男性に食い下がっても無駄だと梓は判断した。彼は上司から言われたまま、仕事をしているにすぎない。
「行こう」
梓はさっと気持ちを切り替えた。
「行こうって、どこに?」
響には何の返事もせず、梓はさっさと歩きだした。行く当てはない。だが、とどまっているわけにもいかない。ぐずぐずしていたって、公民館ではもう練習させてはもらえないのだ。
歩きながら、梓は先を考えた。いまからスタジオを借りるか、借りられるか。
考えながら歩く梓を、響が大股で追い越していった。ショックが高じて怒りに転じている。梓の横を歩く静佳もうなだれている。髪が長いせいで誰よりも後ろ髪引かれてしまうのか、鈴の足取りは重く、一番後ろを歩いている。
黙りこくって歩く四人の姿はまるで葬列のようだった。
「あんたたち、今日は演奏していかないのかね?」
囲碁教室の前を通りかかると、初老の男性が声をかけてきた。
「楽器の音がうるさいって他の利用者の人から苦情がきたからって、利用を断られました」
受付で聞かされた話を梓がすると、初老の男性は顔をしかめた。
「うるさい? 誰がそんなことを? ここのみんなはあんたたちの音楽を楽しく聞かせてもらっとるよ。なあ、青森さん」
初老の男性は、教室の中を振り返った。青森さんと呼ばれた六十過ぎの女性が立ち上がって入口までむかってきた。
「うるさいって? 若い子の音楽はよくわからないけど、音楽が流れているのは楽しいわよ。一生懸命、演奏しているのは伝わってくるし、だんだん上手になってきてるわよね。うるさいだなんて、誰が文句を言っているんだか――」
その時だった。
「ヨシモトアキコー、ヨシモトアキコーをよろしくお願いします」
名前を連呼するだけの選挙カーが通り過ぎていった。室内にいてもスピーカーからの音がはっきりと聞こえる。室内にいる人にも聞こえるようにという音量だから当たり前なのだが。
「あれの方がよっぽどうるさいわね。名前を言うだけで何をしてくれるのかちっともわかりゃしない。私らに頭下げるのも選挙の間だけで、当選したら威張りくさって、公約だって守りもしないんだから。ほんと、口ばっかりでうるさいったら、ありゃしない」
青森さんの言い方は、年を取った響を彷彿とさせた。「うるさい」と音楽室のドアを叩く吉元を「騒音だ」と切り捨てる響、選挙カーを「うるさい」と言い切る青森さん。吉元明子が吉元の母親と知る四人は顔を見合わせてくすりと笑った。
笑うと、むしゃくしゃした気分がほんの少しだけ和らいだ。
公民館を出ていく道すがら、梓たちは数人の顔なじみの利用者から声をかけられた。梓たちの練習を時々見物している人たちだ。「うるさいと苦情があった」と説明すると、みんなして怪訝な表情を浮かべてみせた。梓たちの手前、うるさいと思っていたとは言えなくて作っている表情かと思いきや、どうもそうではないらしい。彼らは一様に「楽しかったのに」と残念がってくれた。
「変なの」
はじめのうちは怒っていた響が薄気味悪がりはじめた。
「本当に苦情なんていってたのかな?」
心の中で考えたことを響が先に口にしたので、梓はぎくりとした。
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