第15話 気まずさの消えた夜

 父が亡くなった、そうはいっても感傷にふける暇など全くなかった。

 もう次の日はお通夜で、その次の日は告別式で、とにかくバタバタしていた。


 一日目のお通夜。

 僕はまるで冷静で、それこそ人事のような感じだった。

 しかし、二日目の告別式。

 最後に棺の中にみんなでお花を入れるという催しがあり、花に埋められ顔だけ見える父の姿を見て、僕は生まれて初めて、人目をはばからず泣いた。

 なんというか、涙が出た。

 この男は最後まで実の息子に嫌われながら死んでいった。そう思うと、哀れで仕方なくて、悲しかった。

 この男の人生は果たして幸せだったのか?そうも思った。


 その後、家族や親戚、父の友人知人と一緒に和食屋の座敷の間で昼食を食べた。

 この時に父の友人が、知らなかった家庭以外での父の話を僕に聞かせてくれた。

 よく何人かで、父の仕事場に溜まっては下らない話で盛り上がっただとか、家では傲慢で自分勝手で愚痴ってばかりの情けない父だったが、いつも温厚で絶対に弱音を吐かない、所謂人格者だったとか。

 僕は父を慕っていた人とちゃんと接するのはこの時が初めてだった。

 生前父から自分の友人の話など、ほとんど聞いた事がなかったので、それらの話は、僕にとってはどれも新鮮で、そして意外だった。


 僕はこの時に初めて、父を、自分と同じ人間として見る事ができたように思う。     きっと父も自分と同じように苦悩し、家庭が最悪な時、父も本当は悩み苦しんでいたんだろうなと思った。

 父を慕っていた友人達を見て、父にも人間らしい、温かい楽しい時間はちゃんとあったんだなと思った。

 そうしていつの間にか、僕の中にある、父に対する嫌悪や憎しみはすっかりなくなっていた。


 夜になり、父のお骨を持って家族は家に帰った。

 お骨は、とりあえずリビングの、腰丈ぐらいの高さの横に長い棚の上に置いた。

 久しぶりに家族揃って向かい合い夕食を食べた。

 特別弾んだ会話もなかったが、いつもの気まずさは、この日はなぜか感じなかった。


 夕食を食べていると、少し不思議な事があった。

 別の部屋で寝ていたはずのペットの猫が、ふいにリビングにやってきて、普段はめったに乗らないはずの、お骨が置いてあるその棚にひゅっと乗って、お骨が入った木の箱の上に前足を乗せて、真上の天井に向かって、にゃあ、にゃあ、と何度も何度も必死に鳴いたのである。

 それを見て母は「お父さんが最後の挨拶に来たのかもしれないね」と言って穏やかに微笑んだ。


 この日以来、それまでのような家庭の緊張感はほとんどなくなった。

 僕と兄の関係は相変わらず険悪ではあったが、それでも、以前よりはずっと、家全体の雰囲気は落ち着いたように思う。

 それに、父が亡くなった事で、母が、父に何かあった時のためにとかけていた生命保険が下りて、借金やもろもろの費用は全て相殺されたのだ。

 こう言うと父には悪いが、父が亡くなって、お金の事やそれ以外の事も含めて、なんだか家庭での色々な事がすっきりしたような感じだった。

 もちろん先行きの不安はあったし、悲しみもあったが、それでも、少なくとも僕には、すっきりした、という印象が強かった。

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