第14話 父の死
この頃、ほぼ収入が無くなっていた父は、体の具合がかなり悪くなっていた。
以前からも調子は悪そうだったが、それでもそれまでは、めっきり仕事が減ったとはいえ平日は必ず都内の仕事場へ赴いていたが、それすらもできないぐらいで、週の半分は家に居るという状態だった。
腹水が溜まり足にも水がたまり腫れていて、咳をしては血を吐き、よく洗面器に血の残りが付いていて、それを兄と僕は気持ち悪がり迷惑がった。
家にお金が無い事はわかっていたので、そんな状態でも父は病院には行けなかった。
八月の、真夏の暑い日のある朝。
父は今までにないぐらい、今にも死にそうなぐらい苦しんでいて、この時ばかりはさすがに母が病院に連絡をして、救急車のサイレンの音と共に父は病院に運ばれた。
医者には「なぜこんな状態なのに病院に来なかったんですか」と言われていた。
どうやらそれほど酷い状態だったようだ。
父は本格的に入院する事になった。
入院代は、僕と兄も生活費の延長としてそれなりに看破したが、大部分は母が借金をして出した。
十月になり、父は相変わらず入院していた。
僕は入院している父の見舞いなどは特段行かなかった。
たまに母に「これを届けといて」と頼まれ、それを届けに行くぐらいだった。
ある日の夜、普通に一人で部屋にいると扉をノックされ、出ると、母に「大事な話がある」と言われリビングに呼び出された。
なんの話かなと思いながら腰を下ろし「何?」と聞くと、どうやら父についての事のようだ。
僕はまたお金の事なのかなと思って少し嫌な気持ちでいると、母はいつもとはちょっと違う様子だった。
つけっぱなしのテレビからはジャイアンツのリーグ優勝の映像が流れている。
「巨人優勝したんだ」と何気なく僕が言った。
「お父さん、年内いっぱいだって」母は涙ながらに言った。
泣いている母の姿を見るのは生まれて初めてだった。
悲しむ母の姿を見て思わず僕も悲しくなった。
僕は相変わらず父の事を嫌っていたし、なんだかよくわからない気持ちになり、泣いている母に何も言う事ができなかった。
テレビからは、歓喜と歓声に包まれた優勝の胴上げの映像が、ただ水のように流れていた。
父の命が年内いっぱいというのは、本人には秘密という事になった。
担当の医師と母が話し合って決めたのだ。
「父の命は年内いっぱい」そう知ってからも、僕は特別父の見舞いには行かなかった。
気持ちはやはり複雑で、今ひとつ見舞いに行く気にはなれなかった。
それでも母から届け物を託されて何回かは足を運んだ。
しかし、いざ病室で対面しても、お互いになんだか気まずく、会話はほとんどなかった。
父を見て「年内いっぱいなんだな」と心の中で思っても、何か話そうという気にはなれなかった。
近い死に向かって日に日に弱っていく父の姿を見て、ただ哀れに思うだけだった。
そして、年内と言われてから一ヶ月も経たない十月の終わり、僕の二十一歳の誕生日の四日後、父は亡くなった。
最後は家族全員で看取る事ができた。
泣き崩れる母に感化されるように兄も僕も泣いた。
「家族全員で看取れた事だけで充分」と母は僕に言った。
家族の涙で湿った病室の窓から見える空は、少し明るい午後の曇り空だった。
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