4-33 ベイクド・ブレイン
「……ぬ」
マイクも拾わないほど微かな唸り声が、ドンカッツ・ポルコ・イベリコの太い喉を震わせた。
彼の対峙する王国軍の主力量産機アーゼェンレギナは、誰あろうドンカッツ自身の仕掛けた
ここまでしなければ勝ちを拾えないという事実について、悔しさを一つも感じないかといえばそれはウソになる。兵は詭道などとはうそぶいて見せたものの、それは結局、「そうしなければお前には勝てない」というまごうことなき敗北宣言を、幾重ものオブラートでぐるぐる巻きにした一種のつよがりである。
ドンカッツはその体躯と威厳から年嵩にみられることも多いが、実のところその年齢は未だ30に届いていない。オークの平均的な寿命は人間と同じか少し長いくらいであるから、十分若者の範疇であると言えた。だから若者に特有の燃え盛る血気も持ち合わせていたし、純粋な本心だけで言えば、もっとずっと対等な条件で、己の武のみでもって、奇策に頼らぬ真っ向勝負を挑みたかったに決まっている。
またはこれがなんのしがらみもない野合であったのならば、ドンカッツは喜び勇んでそうしただろう。しかし、この場は公的な親善試合であり、また武門の長としての立場でもって出場しているドンカッツには、そのような勝手は許されなかった。先代であった父より受け継いだ「総長」という肩書は単なる文字列ではなく、同じ旗の下に集った氏族全ての
この場で、この時世で、オーク軍閥の総長が王国の兵卒に下されるというのは、ただの勝敗以上の意味を持つ。だからドンカッツは、絶対に勝たねばならなかった。それを誰よりも理解していたからこそ、ドンカッツは自身の矜持を曲げてでも、勝ちにこだわった。
ティエス・イセカイジンという武人の強さについて、ドンカッツはよくよく知っていた。きっとティエスは覚えてもいないだろうが、一度だけドンカッツはティエスと轡を並べたことがある。2年ほど前のことだ。とんかつ屋に端を発したエルムとオーク一派の小競り合いが、武力衝突に発展したことがあった。ドンカッツは王国から派兵されてきた部隊と協調し、これの鎮圧にあたったのだが、その派兵部隊の中にティエスはいた。
当時のドンカッツは当然のことだが今よりも若く、また若頭に昇格したばかりで気が大きくなっており、一言で言えば無謀であった。だからドンカッツは気の合う手勢を引き連れ、エルムとオークが入り乱れる前線に横合いから勝手に突撃していって、そのままもみくちゃにされた。ドンカッツは今でもその時を定期的に思い出しては恥じ入り、そして確かな恐怖を忘れないように努めている。もみくちゃにされる、などと生易しい表現を使ったが、実際は双方強化鎧骨格を持ち出しての乱戦だ。荒れ狂う大河に小舟で乗り出すようなことをして、無事で済むはずがない。とめどない衝撃に激しく揺れ、電装系のことごとくが火花を散らし、構造体がきしみを上げるコックピットで、ドンカッツはその時初めて明確な死を感じた。真っ暗闇に支配された筐体内で恐怖に震え、いたるところから体液を噴出していたドンカッツだったが、しかし現実として彼は生存し、今もこうしてここにある。なぜか。
なんのことはない。そこに颯爽と現れたのが、ティエス・イセカイジンだったという話である。
これはドンカッツもあとで聞いた話だが、その時、ティエスはたった一機で独断専行した隊の救助に飛びだしていったのだという。暴挙どころの話ではない。小舟どころの話でもない。うねる渦潮にひとり身を投げるようなものだ。しかし、ティエスは渦潮を泳ぎ切るばかりか、その渦潮自体を飲み干してしまった。
のちに記録映像で確認したドンカッツは、そのあまりの獅子奮迅っぷりに度肝を抜かれた。向かってくる強化鎧骨格をまさにちぎっては投げちぎっては投げと"処理"していく様は、音に聞こえる鬼神もかくや。人間離れという言葉ではまだ足りないほどだ。ドンカッツはこの時初めて、畏怖というものを覚えた。
だからまさか自身が、試合という名目でこそあれあのティエス・イセカイジンと戦う可能性が浮上したときから、ドンカッツは対ティエスの戦法を徹底的に研究した。
ティエスの剣を機体に受ければ負ける。機体の全身に追加装甲を施した。ティエスは近接戦闘時、徒手による打撃格闘を挟む癖がある。爆発反応装甲を採用し、炸薬量を増量した。ティエスは弾丸をも切りはらう。照射系の武装としてウォーターカッターを採用した。それらすべてが防がれた時に備え、雷光の矢を搭載した。ティエスを前にして足を止めれば負ける。重量級となった機体の機動力を上げるため、ボバー推進を採用した。
そうして出来上がった機体は、原形となったテンチュイオンⅡから大きく姿を変えていた。むろん、機体のバランスや特性も様変わりしている。慣熟には、ドンカッツをしてひと月の時間を要した。それだけの、準備をした。
そして、その努力は今、結実しようとしている。
(勝てる、はずだ。だが――)
おぼえず、脂汗が額から染み出る。操縦桿を握る手が、いやに湿る。傍目から見ればどう考えても死に体の機体に、ドンカッツはこの試合が始まって以来の圧力を感じている。
『ドンカツよぉ』
ティエスの声がする。試合が始まってからこれまで、軽口をたたきあったそれと変わらない声音。しかし、なぜだ。ドンカッツは意図せず息をのむ。しかし、ここで気圧されるわけにはいかなかった。ドンカッツは努めて語気を保ったまま、呼びかけに答える。
「どうした、ティエス・イセカイジン卿。ようやく降参するつもりになったか」
『いやー、それだけはねーな』
けらけらという場違いなほど軽い笑い声が、会場に響く。圧力が強くなる。
「ならば――」
『ちょっと集中するんでな。あんたとのお喋りは楽しかったが、これで仕舞いだ』
なにを、と問う言葉を遮って、ティエスは一方的にそういった。今まで集中すらしていなかったというのか、とドンカッツは半笑いになりそうになる。負け惜しみや、ブラフの類だろうか。ドンカッツは一瞬いぶかしんだが、すぐにそれは違うと断じる。ティエス機から感じる圧力は、減衰するどころかとどまることを知らない。
(何が来るというのだ)
ドンカッツは強く操縦桿を握りこんだ。ミシ、という樹脂のきしむ音。雷光の矢のチャージは終わっている。
ドンカッツが引き金を引く、そのほんのコンマ数秒前。ティエス機のすべての関節がだらりと垂れ下がるのを、ドンカッツは見た。
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