第9話 この商品は絶対安全だし高利回りです
四井達半グレグループ…いや、宗教団体と言った方がいいだろうか。奴らの計画に加わってから数週間。俺は今、何の変哲もない民家の前にいる。
富裕層にありがちな高級車は駐まっておらず、庭の整備に金をかけている様子も無く、ドアや表札にも高級感は感じられない。周辺の民家と見た目の変わらない家。何度見ても寺川市の地場大手スーパー創業者一族が住むには慎ましすぎる物件だが、家主が言うにここは別邸だ。
大量の蔵書に囲まれた書斎に入ると、木製のL字デスクに窓から木漏れ日がさしている。そこに座っているのが冨永幸夫という老爺であり、別名「勲章ジジイ」であり、俺がこれから詐欺を仕掛けるターゲットだ。
「よく来たね。さぁ、かけてくれていいよ。」
「冨永先生、本日も勉強させて頂きます。」
「義田君。君は随分と熱心な男だね。」
冨永はひたすら自分の話を聞いてくれる俺のことを気に入ったらしく、この家に俺を招いたのも5回目だ。俺は一応、「この町の文化や歴史について知りたい」という体で、冨永にお喋りする理由を与えている。話を聞くたび感嘆を繰り返す俺を見て、冨永は喋りに喋った。この男はとにかく自分のことをよく喋る。老い先短いからなのだろうか、死ぬ前に、自分の築いてきた歴史を誰かに伝えたい欲求に飢えているように見える。この老人は、日頃ここまで話を聞いてもらえる機会が無いのではないか。だとするとなかなか寂しい老後である。いくら富を持っていても孤独か。
「冨永先生。実は、1つご提案がありまして。」
「提案?何かな?」
止め処なく喋る冨永の隙をどうにか見つけて、俺はついに本題を切り出した。5回目の訪問にしてやっとだ。
「実は、年内に証券会社から独立するつもりなのです。」
「…ほう。起業か。どのような?」
「投資顧問業です。富裕層の皆様の資産をお預かりし、運用を代行いたします。」
「ああ、よく聞くよ。私の知人にもそういった業者を使っている人間が何人かいる。」
「私はこれまで寺川市で富裕層の皆様の資産をお預かりしてきましたが、正直なところ、いくらかの罪悪感もありまして。」
「罪悪感?」
「ええ。証券会社といいますのは、その…取引手数料を随分と頂いてしまうものでして。投資家利益を考えた時、本当にこれでいいのかと思っていたのです。」
「確かに、君達証券会社は他人の褌で商売をしているわりに手数料を取りすぎる。では高い手数料分のリターンを約束してくれるのかと言えば、そんなことも無い。自分達は何のリスクも負わず、リスクを負った顧客が損をしようが手数料だけはしっかりと取る。」
「耳が痛いですが、仰る通りです。そういった問題意識は私も前々から持っておりまして、お客様第一の提案をするにはどうしたらいいかと考えた末、独立起業に至りました。」
「なるほど。」
「それに、申し上げにくいのですが正直なところ…」
「それに収入も?」
「ご明察の通りです。現在私は出来高制で働いておりまして、働き方としては個人事業主に近いです。ですが私の収入は取引収益の30%。不満が無いと言えば嘘になります。」
「それは看板料だろう。大手証券会社の信用を借りて商売をする代金のようなものだ。まぁしかし、君のように富裕層を十分開拓した証券マンは、独立してそれら顧客を自分のものにしてしまった方が儲かるというわけだ。」
「はい。お客様の利益を優先したいという気持ちに嘘はありませんが、自分の収入を増やしたいのも本心です。浅ましいかもしれませんが…。」
「いやいや、気にすることはない。それは浅ましいとは言わない。利に聡いと言うのだ。それを批判するのは、無能の身でありながら嫉妬心だけは一丁前な人間達だけだろう。私はむしろ好意的に思うよ。」
「そう言って頂けるとありがたいです。ところで、冨永先生はそういったものにご興味ありませんか?」
「ははは。これだけの資産を持っていて、資産運用に興味を持たないわけにはいかないだろう。」
「銀行ですか?それとも既に投資顧問会社に?」
「主に銀行のウェルス・マネジメントだ。証券会社も利用していなくはない。」
「失礼ですが、運用利回りはどれほどでしょうか?」
「なるほど。君の立ち上げる投資顧問会社で、私の資産を預かりたいと言うんだね?」
「はい。できることならば…。」
「君は学歴のわりには聡明のようだし、この町の文化や名士達の功績についても理解のある男だとは思う。しかし商売となれば話は別だ。特に、取り扱う商品が金そのものとなるとね。」
「当社であれば、年間利回り10%のパフォーマンスを着実に出せると思います。手数料は、その10%を超えた収益の20%を頂きます。」
「年利回り10%を超えなかったら?」
「その時は手数料も無料です。」
「なんとも破格の条件に思えるが。」
「ええ。相場を“絶対”に予想できますので。」
「“絶対”…?」
“絶対”という言葉を聞いて、冨永は露骨に訝しんだ。確かに、いかにも怪しい話である。俺がこの土地で10年以上働いている大手証券会社の人間でなければ、まず間違いなく相手にされないような提案だ。しかし、俺の話す内容がどれだけ怪しかろうと、俺の築いてきた信用がそれを覆い隠す。きっと、あの大詐欺師マドフもそうだったのだろう。
「義田君、そういう言い方は好きではないな。過去にもいたよ。どこかの投資会社の人間が、やたらと強気で「儲かる」と断言するのだ。しかし、相場の世界に“絶対”などというものがあるものか。“絶対”を約束する人間こそ信用ならないなんてことは、相場の世界だけではない、ビジネスの世界共通の常識だろう?」
「ええ、“普通は”そうですね。」
「…含みのある言い方をするね。」
「来月から再来月にかけて、ヨグルト社の株価が暴落します。」
「ヨグルト社?それは飲料メーカーの?」
「はい。」
「随分具体的な予想じゃないか。それはどういった根拠で?」
「これは冨永先生のことを考えて申し上げますが、予想の根拠についてはお伝えできません。むしろ冨永先生は何も知らない方がよく、“こういったリスク”は、資産運用を代行している業者が“勝手に負う”のが最も都合が良いのではないかと思います。そうすれば、“何か”が起きたとしてもお客様にご迷惑はおかけしません。」
「……。」
冨永はイスの背もたれを軋ませ、何かを考え始めた。
こういった仕事をしているとよく目にする光景なのだが、人間というのは金が絡むと態度まで変わる。先ほどまで和やかにコミュニケーションが取れていた相手ですら、金の話となれば表情が変わり、黒目の動きが早くなり、顎に手をやったり、腕を組んだり、彼方を見たり、息遣いまで違ったものになる。これら防御や警戒の態度こそが、投資勧誘の世界における“脈アリ”の態度なのである。自分の大事なものを誰かに託すかどうか考えている時の人間の動きなのだ。冨永は今、間違いなく俺の提案を検討している。
「…いや、せっかくの提案だが、今回は止めておくよ。」
「そうですか。残念です。」
「1度その予想の結果を見せてもらいたい。」
「つまり、予想通りであれば…?」
「検討してもいい。」
「ありがとうございます。」
「確かに、相場の世界に“絶対”などというものは無い。一方で、特別な条件下で“絶対”が起こり得るかもしれない。矛盾しているようだが、一流の知性とは、2つの相反する考えを併せ持ち、そのどちらも機能させ続けられることだ。」
「フィッツジェラルドですね。」
「そう。一貫性や、矛盾していないことのみに囚われている人間達は、端的に言って知性に欠ける。」
「それでは、今後のヨグルト社の株価をお楽しみに。もし予想通りの展開となりましたら、その際は是非息子さんやお孫さんも…。」
「ああ。いいだろう。ところで、この件について私は何も聞いていないよね?」
「ええ。本日は寺川市の文化と名士達の功績についてお話を伺うことができまして、大変勉強になりました。失礼いたします。」
こいつへの種まきは完了した。さて、次の富裕層に当たっていこう。
***
冨永の次のターゲットは、寺川市に複数の物件を持つ不動産会社オーナーの中田老人だ。俺は、冨永に対するものと全く同じ提案を中田にした。
「うーん…。投資顧問会社ねぇ。私はあんまりそういうのは…。」
「ええ。すぐにとは言いません。私の相場予想の結果を見てから考えて頂ければ。投資顧問会社を立ち上げるのはまだ先ですし。」
中田は、以前寺川銀杏会で会った時と全く異なる態度で俺の話を聞いた。あの頃は労働者を見下すかのような言動だったが、どういう風の吹き回しか。
「ところで義田君。聞いたよ。君は冨永先生と懇意なんだって?」
「え?」
…なるほど。どこで話を聞いたのか分からないが、そういうことか。俺と冨永の関係性を耳にし、俺を無碍に扱うことができなくなったというわけだ。全く…、人間同士の繋がりに関するこいつらの耳の早さときたら…。いや、だからこそ自分達の資産を長いこと守れているのだろうが。
「懇意…と申し上げていいのかは分かりかねますが…。ただ、確かに最近お話をする機会が多く、勉強させて頂いております。」
「そうか…。あーいや、うん、若いのに冨永先生から認められるとは大したものだ。思えば寺川銀杏会で初めて君を見た時から、私は光るものを感じていた。そうかそうか、私の直感は当たっていたな。」
銀杏会では俺に一瞥も与えなかったくせに、随分と都合の良い直感だ。まぁしかし、こいつの都合の良さは俺にとっても都合が良い。
「実は…これは秘密にして頂きたいのですが…。」
「うん、何かな?」
「私、冨永先生にも同じご提案をしておりまして。」
「え、冨永先生も君のところで資産運用を?」
「あまり具体的なことは申し上げられませんが。ただ、ご提案はいたしました、とだけ。」
「そう…か。うん…。いや、しかし君は随分と冨永先生の信用を勝ち取ったものだなぁ。参考までに、どうしたのか教えてくれないか?」
「いえいえ。ただ冨永先生の知見を拝聴しているだけに過ぎません。」
「知見を拝聴…?うーん…つまり企業秘密ということか?」
「いえ…本当に…」
「実はうちの会社、息子の代になってから物件の稼働率が落ちていてね。息子は、自社のテナントにスーパーTOMINAGAを呼び込むことができないかと考えているみたいなんだよ。」
「そ、そうなんですか。」
「私も寺川銀杏会の繋がりで何度か冨永先生とお話をさせて頂いているんだけど、いつものらりくらりとかわされていてね。もう現場から退いて息子に経営を任せているからと仰るんだ。でも違うんだよ。確かにTOMINAGAの現社長は冨永先生の息子さんだが、実権を握っているのは会長の冨永先生なんだ。どうにか冨永先生に話をつけることができないものか…。」
この中田という老人、労働者を見下すような態度でいたわりに、自分もまだまだ働いているではないか。悠々自適な老後生活を送っているように見せかけて、息子をサポートするため寺川銀杏会で営業活動とは恐れ入る。
…考えてみるとそれは冨永も同じか。資産を持ち、労働生活からアガったように見せかけて、こいつらはずっと働いている。資産を守り次の代に継承するにも、それなりの努力は必要ということなのだろうか。
「…実は、私の投資顧問会社に会員制コミュニティを設ける予定です。」
「会員制コミュニティ?」
「ええ。ゴルフやパーティーなど、会員同士で交流できる数々のイベントを用意する予定です。同じ投資顧問会社を利用する人間同士、寺川銀杏会よりお近づきになりやすいかと思いますが。」
「な、なるほど…。そういうやり方もあるか…。」
「しかし、息子さんのためとはいえ中田様も大変ですね。将来的にはお孫さんへの継承も考えなければいけないでしょうし。」
「孫…?ああ、いやまぁ、アレは…」
「え?」
なんだ?引っかかる言い方をする。
「いや、何でもない。それより、投資の件考えておくよ。」
「…はい。ご検討よろしくお願いいたします。これからお孫さんとのアポイントがありますので、これで失礼させて頂きます。」
「ああ…。ありがとう。」
ありがとう…?やはり妙な言い方をする。
***
「義田さん!俺回復して!回復!」
「はい。」
1階のオフィスで中田老人と商談をした後、いつも通り、最上階で孫と接待ゲームをしている。不動産会社オーナー一族に生まれただけで会社役員の地位にいる、労働の苦労も知らないボンボンクソニートだ。それにしてもこの孫は四六時中ゲームをしているわりに腕が上がらない。何を考えてプレイをしているのやら。
「…義田さん、爺ちゃんに会ったんでしょ?」
「え?あ、はい、先ほどまで。」
「何か言ってた?」
「何か…?そうですね…。商談を除けば特に何かということはありませんが、和樹さんのことを大変思いやられていると思いましたよ。」
「思いやり、ねぇ…。でもさ、期待はされてないんだよね。」
「期待…ですか?」
「そう。爺ちゃん、俺の親父には滅茶苦茶厳しくてさ。勉強もビジネスも徹底的に叩き込んだみたいなんだよ。」
「はぁ。」
「だから俺の親父は優秀でさ。東京のT大卒だし、卒業後は大手不動産デベロッパーに就職して、それから家業の不動産会社を継いだわけ。」
「それはそれは、凄いお父様ですね。」
「うん。親父も爺ちゃんもエリート。俺はクズだけどね。」
「……。」
「これでもさぁ、俺も最初は厳しく教育されたんだよ。塾にも沢山通わされて、家庭教師もつけられて。小学受験もしたよ。でも全然ダメ。落ちこぼれなんだ。」
「そんなことは…。」
「いやそうなんだよ。で、大学受験失敗してからかな。親父と爺ちゃんが俺に強く言わなくなったのは。アレってさ、諦めてんだよね、もう。」
「……。」
「義田さん、“ギリ健”って言葉知ってる?」
「ギリ健…?いえ…。」
「“ギリギリ健常者”の略。健常者と障害者の間ギリギリにいる人間のこと。俺の知能指数、テストしたんだけど75なんだってさ。」
「……。」
黙って聞く他無いな、これは。
「健常者と障害者の境界線にいる人間って健常者扱いされるんだけどさ、そんな人間が健常者の世界で健常者以上の成果を出すなんて無理ゲーだって。現に、受験も就活も全然ダメ。経営なんて絶対無理。」
「……。」
「お情けでうちの不動産会社で働かせてもらってさ、最初は俺も頑張ろうと思ったよ。でも俺、喋るのはわりと普通なのに、いざ仕事するとミスしまくるんだよね。馬鹿みたいにミスするの。いや実際馬鹿なんだけど。義田さん、俺ゲームも滅茶苦茶下手っしょ?」
「いえ…そんなことは…。」
「いいよ気遣わなくて。分かってるから。で、俺が会社で一生懸命働けば働くほど周囲に迷惑かけることが分かったから、こうして仕事中もゲームしてるのが一番周囲のためってわけ。親父の跡を継ぐのも俺じゃないだろうね。」
「……。」
「俺、誰からもまともに相手にされないんだよ。親族だけじゃないよ。職場でもアンタッチャブルな存在だし、昔からずっと友達いないし。ネトゲの中ですらわりと嫌われてるっぽい。義田さんくらいかなぁ、友達なんて。はは。」
ボンボンクソニートにはボンボンクソニートなりの悩みというのがあるらしい。
経済的に恵まれた環境に生まれ落ちた人間が持ちそうな悩みである。マズローの理論で言えば、こいつは生まれながらにして生理的欲求や安全欲求が満たされている状態だ。それらが満たされているからこそ、他者から受け入れられないことや承認されないことに不満を感じている。
全く、贅沢な悩みだ。格差の上側に生まれ落ちてなお不幸ぶっているのだから度し難い。自分がどれほど恵まれているのかに無自覚なのだ。普通の人間は、それでも働かなければ生きていくことができないというのに。
「…義田さんはこれからもゲームしてくれるよね?」
「ええ。もちろんです。友達ですよ私達は。」
爺さんから金を奪い取ったら、こんな虫唾の走る甘ったれとは二度と会うまい。
***
中田の次のターゲットは教育ママの村田だ。息子が中学受験に成功し桜色のエリート街道を走っているこのタイミングがチャンスと見た。
「そうですか。独立ですか。」
「ええ。今度立ち上げる投資顧問会社なら、証券会社よりも安い手数料でお客様の資産をお預かりできます。相場の見通しにも自信があります。」
「義田さんなら信用できますし、お願いしたいと思います。」
「ありがとうございます。会社を立ち上げるのは今年の夏から秋頃になるかと思いますが、責任を持ってお預かりいたします。」
その時、誰かがどこかのドアを閉める音がした。
「…今日は旦那様がお休みの日でしたか?」
「え…?あ、いえ!今の音は息子だと思います。今日は…その…風邪で学校を休んでいまして。」
「そうですか。5月になり暖かくなってきましたが、最近は気温差が激しいですからね。お大事になさってください。」
「ええ…。あ、ありがとうございます。」
息子の風邪程度で随分と狼狽するものだ。教育意識の高い親というのは、健康意識も高いものだから始末に負えない。入学後はこれまでと環境が変わるのだから、心身への負荷もそれなりにあるだろう。風邪くらいひいてもおかしくはない。過保護すぎるのだ、この母親は。
まぁいい。とにかくこのおばさんは俺を信じ切っており、旦那が一生懸命稼いだ大金を俺に預けてくれるだろう。その事実だけが重要だ。しかし、別に俺に大金を奪われたからといってこいつらの生活が破綻するわけでもない。大企業役員の旦那は変わらず働いているし、息子は受験に成功しエリートルートに乗っている。
何の悩みもない恵まれた人間の金を、ちょっと頂戴するだけのことだ。
***
次のターゲットは美術品愛好家の金井だ。今日も新しく用意した“ゲージュツ”を俺にお披露目してくる。
「義田君。この絵は知っているかい?最近画商から購入したんだ。」
「キリコのヘクトールとアンドロマケーですね。」
「…真作だと思うかい?」
この金井という男は俺に美術品を見せてはいつも試してくる。ヘクトールとアンドロマケーの真作は国内の美術館にある。だからこの絵が真作のはずがない。しかしそんなことを金井が知らないはずもないから、この問いの意図は別のところにあるのだろう。まぁ、キリコを使ってそれをやるということは、意図も大体察しがつく。
「…真作は国内の美術館にありますので、こちらの絵は出来の良い贋作だと思います。しかし、キリコは古典的作風に回帰した後期になって、若い頃自分が描いた前衛的表現の作品を贋作と切り捨てた逸話があります。私が思うに、金井様は何かしらの意図があって、贋作であることが明らかな前期のキリコ作品を敢えて飾られているのではないかと…。」
「君は本当によく分かった男だね。そうなんだ。キリコは当時評価を受けていた自分の作風を捨てた。つまり、自分の成功体験、成功パターンを捨てたのだ。世間から評価を受けていた作風のまま画家人生を歩んでいれば、晩年を汚すこともなかったのに。」
「確かに、古典回帰後のキリコ作品は形而上絵画時代に比べ評価が低いですね。」
「人は成功し続けると、成功に飽き、うんざりするものだ。自分への評価に対しても冷笑的な気持ちになり、酷いと公に自己批判までする。そして、成功体験にすがることを醜いことだと考え、それを捨てて新しい自分とやらを模索し始めるのだ。それがいけない。浅慮な成功者や成功などしたこともない凡夫が考えそうなことだ。私達はもっとシンプルでいい。1度成功パターンを見つけたら決して手放さず、その後もずっとその成功パターンを踏襲すれば勝ち続けられる。そこから敢えて逸脱しようという人間は愚かだ。」
「私は金井様ほど「成功」というものについて詳しくはありませんが、仰る通りかと思います。多様性を尊重される時代になりましたが、それは無軌道な生き方が放置される時代とも言えるでしょう。成功方法などというものは、時代によって具体的なレベルでは多様なパターンがあるように見えますが、抽象的なレベルでは少数の普遍的なパターンしかなく、そこに多様性などありはしない。その辺りを錯覚し、従来の成功方法を否定し無軌道に生きようとする人間達の増えた現代に対するアンチテーゼ、ということでしょうか?」
「はは。そう捉えてもらってもいいが、私はあくまで自らへの戒めと考えているよ。」
戒め…?
お前は現在の立場を捨てようと考えたことがあるとでもいうのか?先祖から継承した力を恥も外聞もなく振りかざし成功者を気取っているお前が?先祖の力にすがっている自分に葛藤を抱いたことがあるとでも?自己欺瞞も甚だしい。お前は先祖から継承したその成功パターンを捨てることなんてできない。
「それで、今日は何かな?」
「はい。実は年内に証券会社を退職し、投資顧問会社を立ち上げる予定でして。その報告に参りました。」
「辞める…?となると、帝日証券の担当者が変わるということになるのだね?」
「そうですね…。」
「うーん…。君ほど話の分かる男はいないんだよ。銀行の人間も、証券会社の人間も、保険会社の人間も、不動産会社の人間も、どいつもこいつも芸術というものにまるで理解が無い。私が何を見せても何を問うてもトンチンカンな反応をするだけでね…。」
「ええ、そうかもしれませんね…。私も金井様のコレクションを拝観することがいつも楽しみでしたが、これからは帝日証券の人間ではなくなりますので…。」
「投資顧問会社と言ったか。ならば私の資産をそちらに預けることもできるのでは?」
「もちろんお預かりさせて頂きます。実は、そのご提案もさせて頂こうと思っておりました。手数料率も低くなりますので。」
「そうか。分かった。ではそうしよう。」
「よろしいのでしょうか?まだ具体的なことは何も…」
「いい。君とは付き合いも長いし、信用している。」
「ありがとうございます。誠心誠意資産を守らせて頂きます。」
「ああ、これまで通り頼むよ。」
「はい。会社を立ち上げるのは今年の夏から秋頃を予定しております。」
この類の人間は自分の関心事に理解を示してくれる話し相手を欲している。俺のような人間を手放すはずがないとは思っていたが、思ったよりも判断が早かったな。
「では、すまないがそろそろ失礼する…。これから地域のボランティアがあってね。」
「承知いたしました。いつもの清掃活動ですね。」
「ああ。」
この金井という男は、慈善家…いや“偽善家”である。十分な富を持った人間は、次に名声や名誉といったものを欲しがるらしい。金井も例外ではなく、寺川市の清掃や障害者支援、児童支援などに積極的で、多額の寄付もしている。
ズルいではないか。
合格のかかった筆記試験、人生のかかった就職面接、社運を賭けた商談、明日の飯、来月の家賃…そういったものに脅えずに済むのであれば、誰だって心の底から世界の平和を願えるだろう。町に落ちているゴミを積極的に拾い、恵まれない人間を支援するような精神状態にだってなれるだろう。毎日流れてくる悲しいニュースに心を痛め、自分にできることは何か無いかと考えることもできるだろう。
しかし、それは自分に圧倒的な余裕があるからだ。余裕があるから、心の底から善人ぶることができる。この金井という男の善行は豊かであるが故の偽りの善行。つまりは偽善だ。
仮に、こいつから資産を全部引っ剥がして収入源も奪ったらどうだ。顔から血の気が引いて、穏やかな笑顔は無くなり、表情は焦燥と劣等感で歪み、社会?他人?いやいやまずは自分の生命だ、飯だ、金だと、浅ましい言動をするに違いない。ネットでちょっと他人の足を引っ張ってみたり、飲食店の店員に八つ当たりするくらいなら可愛いもんだ。悪けりゃ犯罪だってするだろう。
結局人間なんて薄皮一枚の下に善も悪も内包していて、そのどちらがどの程度表出するかなんて豊かさ次第ではないのだろうか。こいつは豊かであるが故に善を演じることができるが、貧しくなれば悪になるのではないか。
それを試す方法が無いことだけが残念だ。恐らく俺はこいつから多額の金を奪うだろうが、それだけでこいつが破滅することは無いのだから。
***
「義田先輩、最近外回り滅茶苦茶多くないですか?」
「ん?ああ…。」
富裕層連中をまとめて投資詐欺にハメるためここ最近駆けずり回っていたからな…とはさすがに下柳には言えない。
「…既存顧客のフォローもあるし、大口の新規開拓も進んでいるんだ。忙しくてな。」
「マジっすか?大口開拓っすか?誰っすか?」
下柳はソースのついた紙皿に割り箸を叩きつけて、食いつくように聞いてきた。いつも通り歯に青のりがついている。思えば、投資詐欺を完遂した後はこの駄菓子屋ともおさらばか。良いサボり場として長い間世話になったものだ。
「スーパーTOMINAGAの会長。」
「えぇ…マジすか…。地元じゃ滅茶苦茶有名な会社じゃないすか…。そういうレベルのお客さんってプライベートバンキング部門とかが担当するんじゃないんすか?」
「それは証券会社によるな。うちの場合、上場企業オーナーならPBが担当するが、非上場企業オーナーなら規模が大きくてもリテールが担当する。」
「あ、そうなんすねぇ…。しかしすげぇなぁ…。TOMINAGAの会長ってどんな人なんです?」
「どんな人?それは……誰にも言うなよ?」
「はい!」
「営業マンに勲記を読ませてマウンティングしてくるクソ野郎。」
「え!?勲記って、勲章のやつですか?」
「そう。「日本国天皇は、冨永幸夫に、瑞宝重光章を授与する。皇居において璽を押させる」って読まされたよ。」
「えぇ…引きますねそれ…。そんな人いるんすね…金持ちなのに…。」
「別に金持ちだからって人格まで立派とは限らない。そもそも、資産運用なんてもんを積極的にやっている連中は不謹慎なことを考えまくっているじゃないか。」
「え?不謹慎?どういうことですか?」
「例えば、仮にどこかで大震災が起きたとして。または未知のウイルスが蔓延したとして。あるいは国同士が戦争を始めたとして。それらに影響を受けるようなポジションを取っている資産家達は何を考えると思う?「売る」か「買う」か「持つ」かだ。ポジションを取っていない資産家達はもっとタチが悪い。「さらに酷いことが起きて相場が著しく下落してくれないか」、「いつが買い時か」なんてことを考えている。いずれにしろ奴らは、他人や他国がどんな目に遭っていようが、復興や平和のことよりもまず先に自分の資産のことを考える。保有資産が多ければ多いほど資産運用に対する当事者意識も強くなるのだから、金持ちなんてのは日常的に不謹慎なことを考えているに違いないんだ。」
「い、いや義田先輩…?」
「シモ、東日本大震災が起きた日の株価知ってるか?」
「え?いや詳しくは知りませんけど…まぁでもめっちゃ下がっているはずですよね?」
「そうでもない。震災が起きた時刻は14時46分。東証の大引け直前だ。震災による情報もまだよく分からなかったし、何よりパニックだった。3.11当日の株価は、やや下落した程度だったんだよ。」
「は、はぁ…。」
「震災後、ニュースで津波や原発の状況が次々と報道されただろ?」
「あ、はい…。あれは見てて辛かったっすよね…。」
「株価が急落するのはそこからだ。株価が下がるってことは、誰かの株取引が成立していたってことだ。誰かが売って、誰かが買っていたってことだ。あんな悲惨な震災の最中ですら、資産家って生き物は株の売り買いに精を出していたってことだよ。ニュースで原発の状況を見て、津波で流されている家を見て、被災者の姿を見て、日々増えていく死亡者数を見て、目の前のパソコンでポチポチと。あるいは金融機関と電話でコソコソと。きっと「地球に巨大隕石が落ちる」って時でも、奴らは株や為替取引をするよ。絶対にする。そういう生き物なんだ。」
「よ、義田先輩…?」
俺がまくし立てたせいか、下柳は驚いた顔をしている。そう言えば、俺はいつもこういうことを内心では思っているが、会社の同僚に話したのは初めてだ。相手が俺と共通点の多い下柳だから口が滑ったのだろうか。それとも、投資詐欺計画が動き出し気持ちが昂っているのだろうか。まぁ、俺と似たような生い立ちの下柳なら、あの手の人間達の醜悪さをいずれ分かってくれるだろう。
「…シモ、お前も金持ち連中と沢山付き合うようになったらいずれ分かるよ。」
「は、はぁ…。」
詐欺のための種まきは完了した。あとは半グレどもの計画だけだ。
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