第8話 教祖様はスキャットマン
三田が指定した場所は、昔は「ヒルズ族」と呼ばれる者達で話題になっていた町のレンタルオフィスだった。ここに半グレグループの元締めがいるのだとか。
正直なところ、俺はこの町で派手に遊んでいる連中が嫌いではない。成金達は遊び方がちゃんと俗っぽくて良い。自分の力で稼いだ金を、貯め込むのではなく派手にバラまいているのだからむしろ立派というものだ。
まぁそれは置いといて。半グレの元締めがいるというレンタルオフィスのビルは、派手な表通りとは対照的にボロボロだ。いや、この町には老築化ビルもかなり多いのだが、わざわざこんな物件を選んでいるあたり倹約家なのか。それとも単純に目立ちたくないだけか。
階段で3階に上がり、「ボロ物件の内装をリフォームしました」という感じの奇妙なほど明るい内廊下を進んでいく。突き当りにある306と書かれた部屋が指定の場所だ。ドアの前まで来たが、見張りらしき人間もいない。入ってしまっていいのだろうか。
コンコン
「入れ。」
軽くノックをすると、中から機嫌の悪そうな男の声が返ってきた。まぁ、今日までの経緯を考えれば機嫌が良いはずもないか。
「失礼します。件の、義田という者です。本日はよろしくお願いします。」
部屋はまるで白い箱の中のようだった。
1台のデスクと4脚のオフィスチェアがあり、奥にスクリーンが垂れているだけ。他には何も無い。それぞれのイスに男達が座っていて、そのうち1人は三田。あとの3人は知らないが、位置関係からして中央に座っている男が元締めだろうか。中央の男は、半グレグループの元締めというには普通すぎる見た目をしている。唇にやや力がこもり真一文字気味ではあるが、三田やその部下達と違って癖らしい癖も見当たらず、「育ちの悪い人間」という印象は無い。ハイブランドの類は身につけておらず、ファッションにもさほど特徴は無い。年齢は…童顔のせいもあってかなり若く見える。20代前半…から半ばといったところか?
集団に囲まれて暴力をふるわれることを警戒していたが、そんな様子も無い。
「……。」
「……。」
「……。」
「……。」
全員、こちらを見たまま無言だ。明らかに警戒しているという雰囲気だが、わざわざここにまで呼んだのだから対話する気はあるのだろう。ここは俺から切り出すか。
「…ここまで呼んでもらったということは、俺も計画に加えてくれるという認識でいいのかな?」
「おめぇが何とかってとこにチクるなんて言うから呼んだだけだっつの!」
「証券取引等監視委員会。」
「あ、そう。その証券…なんとか会!」
「…はぁ。」
「え、何そのため息。え、二宮、もしかして俺のこと馬鹿にした?馬鹿にしたよね?」
「さぁ。でもそう思うならそうなんじゃないですか。」
「お前マジでムカつく!チビのくせに!」
「チビ関係ないでしょ。」
「チビチビチビチビチビ!」
「チビ関係ないでしょ。」
「チビチビチビチビチビチビチビチビチビチビ!」
「あああああああああ!おめぇはプロゲーマーですかぁああああ!?身長160cm未満は人権ないんですかねぇぇぇぇ!?バカバカバカバカバカバカバーカ!」
「一ノ関、二宮、今はそれどころじゃないだろ!この証券マンどうするかって話するんだから!」
「っていうかさぁ、元はと言えばお前だよなぁ!三田だよなぁ!三田三田!三田がドジ踏んでこんなことになったんだよ!マジで馬鹿!バーカ!」
「一ノ関…俺のせいなのは認めるけどさ、起きちまったことはしょうがないだろ?これからのことを…」
「馬鹿ばっか!俺より馬鹿じゃんお前ら。」
「いやさすがにそれは無い。」
「いやさすがにそれは無いです。」
3人は子供のような喧嘩を始めた。
今「一ノ関」と呼ばれていた男は、大柄で髪型はツーブロック、顔つきは厳つく、黒いTシャツに黒いパンツ、そして黒いシューズを履いている。この部屋にいる中では一番半グレっぽい風体だ。言葉遣いはかなり子供っぽく、身体を左右に動かしたり、手遊びをしたりと落ち着きがない。どうやら「馬鹿」が口癖であり怒りのポイントでもあるようだ。いかにも知能が低そうなので、恐らくそれに関連したコンプレックスでも抱いているのだろう。それこそ、「地頭が良い」とおだてるのが効果的なタイプと見た。
もう1人の「二宮」と呼ばれていた男は多少理性的な話し方をするが、溜息をつくのが癖のようで、声の出し方は常に不機嫌だ。アレは他人の感情を逆撫でしやすいだろう。それと背が異様に低い。もしかしたら150cmも無いかもしれない。話し終わった後自嘲気味に息を吐き出す癖もあるようだが、あれは自己肯定感の低い人間のやる行為だ。相手からしたら馬鹿にされているように感じるかもしれないが、実のところあの癖は自分に対して向けられているのである。本人に自覚があるのか知らないが、諸々の癖のせいで、これまで人間関係に苦労してきたことだろう。
「みっ…みっみっみっ…」
「みっみっみっみっみっみっみっみっ」
「みっみっみ…み、みっみっみっみっみっ」
突然、中央の男が口を開き「み」を連呼し始めた。3人の男はすぐに口喧嘩を止め、中央に座る男の方を向き、静かに聞く姿勢を取った。
「みっみっみんな、なっなっなっ、なっ…なっなっなっ」
「なっなっなっなっなっなっなっなっなっ」
「なっなっ…なっなっなっなっなっ…」
「なっ仲良く。」
「「「はい!!!」」」
「「「申し訳ございませんでした!!!」」」
「一ノ関くん!ごめんね!」
「いいよ!二宮くん!ごめんね!」
「いいよ!」
「三田くん!ごめんね!」
「いいよ!一ノ関くん!ごめんね!」
「いいよ!」
…これはなんであろうか。小学校時代、喧嘩した児童達を教師が強制的に仲直りさせるあのやり取りを思い出す。大の大人が同じことをやると異様だが、これがグループのしきたりなのだろうか。
そして、中央の男はどうやら重度の吃音だ。そんな奴がよくこんなグループのトップになれるものだ。
吃音男は目の前のパソコンを打ち始めた。そして、画面をこちらに向け文章を俺に見せてきた。画面には「初めまして。四井と申します。お見苦しいところをお見せしました」と書かれていた。そうか、この男は文章でコミュニケーションを取るのか。
文章を読んだ俺が頷くのを確認すると、四井はまたパソコンを打ち始め、入力した文章を俺に見せた。
「あなたを計画に加入させることについてですが、まずあなたの目的を教えて頂きたい。証券会社で働いているような人が、なぜこんな計画に?」
もっともな疑問だ。こいつらの協力を得るためにも、ここは嘘偽りなく話すとしよう。
「ハッキリ言うと、俺は投資詐欺をするために証券会社で働いている。その計画のためにお前達の計画を利用したい。もちろん、お前達の計画にも協力する。」
それを聞いた四井は少し考えて、またパソコンを打ち、入力した文章を俺に見せた。
「どう利用するのですか?」
「お前達はヨグルトの株価を暴落させるために工作するつもりなんだろう?俺はそれを利用し相場を当て、今狙っている投資家達の信用を短期間で獲得したい。信用を築いた後は顧客の投資家達に「証券会社から独立して投資顧問会社を立ち上げる」と言って回り、資産を架空の投資顧問会社に移動させ奪うという計画だ。」
「奪ってどうするんですか?それでリッチな生活をしたいということですか?」
「いや違う。俺は自分の生活水準を高めることに執着が無い。金持ち連中から集めた金は恵まれない人間達に丸ごと寄付するつもりだ。俺の手で富の再分配を実現する。」
「まるで義賊だ。しかし、あなた1人が数億円や数十億円規模の投資詐欺をやったところで、どこまで社会に影響があるというんですか?社会への細やかな抵抗に思えますが。」
「…事を成し遂げた後、俺は多分捕まると思う。俺のやったことが全国で報道され、俺の動機や主張がメディアを通じて拡散するだろう。真の狙いはそこだ。」
「真の狙い?」
「格差の下側にいる人間達は、格差の上側にいる人間達を害することのできる職業がこの世に沢山あるということに気づくべきだ。包丁を持って町で暴れるくらいなら、家庭教師になって富裕層の家の中で暴れた方がいい。歩行者天国にトラックで突っ込むくらいなら、高級ハイヤーの運転手にでもなって金持ちと死のドライブでもすればいい。放火するにしたって、基本的な知識も無いからサラダ油なんかを使う奴が出てくる。専門知識を得られる職業に就けばもっと効果的な放火ができるのに。ネットに怨嗟の書き込みをする時間があるなら、上級国民に直接攻撃できる職業の獲得に動いた方が有意義だ。弱者の牙は、職業の獲得によって強者の首元に届く。俺はその実例を同じ弱者に見せたい。」
「そこから連鎖的に革命が始まると?」
「そうだ。現に、俺はここまできた。」
「その現実性について思うことはありますが、それはあなたの問題なので言及しないことにしましょう。とにかくあなたの目的は分かりました。しかし、あなたをこちらの計画に加えるメリットはなんでしょう。」
「3点ある。1点目、俺は少なくともお前らよりも相場について詳しい。2点目、お前らの計画の問題点を指摘できる。3点目、俺を仲間に加えればお前らの計画が通報されずに済む。」
「3点目は置いといて。2点目の“問題点”とは?」
「お前らがやろうとしているのは、小売店が仕入れたヨグルトに菌でも混入させて広域で食中毒事故を起こし、ヨグルト株の空売りによって収益を得ようというものだろう?しかし、過去の事例にもあるように小売店で問題が発生しようがメーカーの株価にはさほど影響しない。メーカーの株価を暴落させたいなら、工場の操業停止などサプライチェーンを止めるくらいのことをしないといけない。小売店での工作だけでそれを実現するのは困難だ。」
「もちろん、ヨグルトの製造工場にもうちの者達を潜り込ませていますよ。」
「だとしても問題点はある。俺は以前飲料メーカーの工場でバイトしていたことがあるが、まともな工場は意図的な食品汚染が起きないようフードディフェンスを徹底している。工場に入る際は決まった作業服に着替えるし、製造エリアは持ち込みも制限されている。そもそも、仮に毒物の類を製品に混入させることができたとしても、製造工程で何度も行われる品質検査で必ず検知される。それに工場内にはカメラもあるから、余裕でバレると思うぞ。」
「でも、バレることを前提とするなら毒物を無理やり混入させることもできるでしょう?」
「仮に混入させたとしても検知されるから毒物入りの製品は市場に流通しないと言っているんだ。」
「そうでしょうか。例えば、2013年の食品メーカーA社の農薬混入事件。」
「…なんだ、あの事件を知ってるのか。」
2013年、食品メーカーA社農薬混入事件。
上場食品メーカーM社の孫会社にあたるA社食品工場で働いていた契約社員の男が、食品に農薬のマラチオンを混入させ、それが小売店に出荷され消費者のもとにまで届いてしまったという事件である。事態を知ったM社が回収した対象商品は90品目、回収個数約630万個、それによる特別損失は約50億円を計上した。その中には、大手小売りAE社やS社のプライベートブランドも含まれていたという。その後、農薬を混入させた男は逮捕され、A社社長と持ち株会社M社社長が引責辞任した。
このように、上場企業傘下の企業でもフードディフェンスが徹底されているとは限らず、製品に毒物を混入させることも不可能ではないということが全国に知れ渡った事件だ。当然、食品メーカー各社がフードディフェンスの重要性を再認識した事件であることは言うまでもないが、今でも不徹底な企業というのはあるものだ。
「ヨグルトの製造工場にもA社くらいの隙があると?ヨグルトくらいの大企業なら、フードディフェンスも徹底されていると考えるのが自然だと思うがな。そもそも、あれほどの事件が起きてもM社の株価下落は限定的だった。あの程度の下げ幅じゃ空売りしても大して儲からない。」
「おめぇさっきから計画馬鹿にすんなよ!なんかやる気なくなっちゃうだろ!」
そう言いながら一ノ関が俺に詰め寄ってきた。馬鹿にするとかしないとかではない。これだけの計画に穴があってはいけないのだ。
「しっしっしっしっしっしっしっ」
「しっしっしっずっずっずっずっず、か…か…」
「かっ…かかっかっかっかっかっ…か…に。」
「はい!すみません!」
一ノ関を制した四井はまたパソコンを打ち、文章を俺に見せてきた。
「メディアの力を使います。」
「メディア…?テレビか?」
「インターネットです。」
「ネット…?具体的には?」
「そちらにいる一ノ関のチームでは、まとめサイトや動画チャンネル、SNSなどのネットメディアを組織的に運営しています。普段から週刊誌のようなゴシップも取り扱っていますので、炎上ネタを拡散させるノウハウは十分あります。」
「それが相場に影響を与えるほどの威力を持つのか?」
四井はパソコンを打つ手を早めた。
「ネットユーザーは情報の出処や証拠、背景などにさほど興味を持ちませんので、与えられた表面的な情報がエンタメとして面白ければそれなりに騒いでくれます。つまり、①ヨグルト社の工場で毒物を撒いた、または撒こうとして逮捕された者達がいる②全国の小売店でヨグルトの食中毒被害が報告された。この2つの情報が世に出回れば、実際毒入りの製品が流通したか否かは関係ありません。」
「私達の持つネットメディアで情報をエンタメとして面白可笑しく拡散すれば、一定期間ネットに流行りを生み出すことができると思います。毒物混入が工場内で阻止されようが、品質検査に引っ掛かって製品が流通しなかろうが、情報①と情報②の繋がりをヨグルト社が隠蔽していると疑う者達も一定数現れるでしょう。懐疑心は必ず生まれます。」
「ああ、それは想像できる。過去から現在にかけて大企業の不祥事は数多くあったし、それには隠蔽がつきものだった。だから、そのやり方をすればヨグルト社の隠蔽を疑う連中は必ず現れるだろう。しかし、それはあくまでネットの中の話だ。コップの中の嵐に過ぎず、社会全体に影響を及ぼしはしないのではないか。」
「昨今は、大企業の不祥事もまず先にネットで話題になり、その後にテレビや新聞といったオールドメディアに拡散していくものですよ。義田さんはやや頭が古いようだ。」
「…俺の古い頭では、それだけでヨグルト社の株価を落とせるとは思えないな。」
「さらに、私達が持つ投資メディアも活用します。」
「投資メディア?」
「投資情報サイト、投資系YouTubeチャンネル、投資系オンラインサロンも複数運営していますので。そちらでヨグルト社の売り煽りを仕掛けます。」
「…俺はそういうのに詳しいわけじゃないが、そんなことでヨグルト社の株価を操作することが…あ。」
「気づきましたか?」
「2021年、米国G社株のショートスクイズ…。」
「そう。G社株。」
米国大手ゲームショップG社株騒動。
2021年、個人投資家が集まる米国ネットコミュニティにおいてそれは発生した。当時コミュニティ内で有名だった「R」というアカウントが、ヘッジファンドを敵視する個人投資家達をSNSや動画サイトで扇動しG社株に買いを集中させ、株価を大高騰させた。それによりG社株に空売りを仕掛けていたヘッジファンドは大損失を被り、最もダメージを受けたとされるヘッジファンドM社は翌年ファンドを精算、閉鎖した。この事件は「アマチュア投資家がプロ投資家に一矢報いた事例」として多くの金融メディアで報道された。
しかし、実態は違ったのである。実はこのRというアカウントの所有者は、ブローカーライセンスを持つ公認証券アナリストで、最近まで大手生命保険会社で働いていたプロであることが後に発覚したのだ。つまりこの事件の構図は「アマVsプロ」ではなく「プロVsプロ」、ネットのアマチュア個人投資家達は最初からプロ投資家に乗せられていただけだったのだ。ネットメディアを活用した、現代の「仕手戦」と言うべき事例である。
ちなみに、首謀者のRは2021年に株価操作の疑いで集団訴訟を起こされている。本人は相場を操作しようとする意図は無かったと言っているらしいが、俺は99%嘘だと思う。
Rはヘッジファンドを批判し憎悪を煽る一方で、昔ながらのビジネスモデルでゲームを販売するG社に対する好意的な評価を発信し続けた。それに倣うなら、仮想敵を作り憎悪を煽る一方で何かを擁護すれば、ネットユーザーや個人投資家達を扇動することができるかもしれない。
「…だんだん計画に納得がいってきた。それで、仮想敵は誰で、擁護する対象は誰に設定するつもりだ?」
「そうですね。毒物混入を隠蔽しようとする悪辣な食品メーカーと、その株を保有する資本家達。そして彼らに低賃金で労働力を搾取される弱者…という構図でいかがでしょう。」
「ゴシップメディア上ではヨグルト社の隠蔽疑惑と食中毒被害を拡散し懐疑の芽を育て、投資メディア上では“敵”に制裁を加えるため株価を落としてやろうという方向に投資家達を扇動する筋書きだな。」
「まぁ、正義感で動く投資家より、“乗っかっておいたら儲かりそう”という理由で動く投資家の方が多いとは思いますけども。」
「小売店のヨグルトには何をどう混入させる?人員は数十人程度で足りるのか?」
「それは私の方で闇バイトを雇います。」
俺と四井のやり取りを静観していた二宮が口を開いた。
「闇バイト…?」
「世の中には、金さえ積まれれば人殺し以外大抵のことをやってくれる人達がいます。私はその仲介を専門としていまして、今回の計画に必要な人員も私が確保します。昨今はSNSのおかげでだいぶ勧誘がしやすくなりました。人員は簡単に集められますよ。」
「SNSで闇バイトの勧誘?世も末だな。」
「何仰っているんですか。とっくに末じゃないですか。」
「それもそうだったな。」
「さて、毒物混入の手順はこうです。集めた人員は、順次東京を中心とした関東圏の小売店に配置しています。ヨグルトに注入するのは、食中毒事故の定番、こちらの黄色ブドウ球菌です。その液体を外径34G…ああ、0.18mmの細さの注射器で、小売店のバックヤードに積まれているヨグルトに注入してもらいます。この細さの穴なら液漏れもしにくいですし、バレにくいでしょう。」
「バレにくいだけだろう?0.18mmの穴でもよく見れば分かる。気づく消費者もいるだろう。」
「穴に気づかないで購入する消費者もいるでしょう?最初から数打って当てる方針なんですから、それでいいじゃないですか。」
「…闇バイトの連中から情報が漏れる可能性は?」
「自分の犯罪行為をわざわざ他人に言いふらす人間もそうはいないと思いますが、仮にそうだったとしても、この手の事件には陰謀論が付き物。自分がヨグルトに菌を混入させたとネットなどで自白したところで、面白いフィクションとして処理されるだけでは?義田さんはちょっと細かいことを気にしすぎだと思いますが。」
自分の担当箇所の不備を指摘され劣等感でも刺激されたのか、二宮は自嘲気味に鼻をフンと強く鳴らし不機嫌な顔になった。自己肯定感の低い人間は何かと過剰反応を起こすからやりにくい。こいつに何かを指摘する時は特に気をつけた方が良さそうだ。
「…計画の概要は理解した。ところで、お前らはどうやって空売りをするつもりなんだ?1つの口座がいきなり巨額の売りポジションを取ったら怪しすぎるわけだが。」
今度は四井がパソコンを打ち、文章を俺に見せる。
「証券口座は分散します。既に部下達には証券口座を作らせていますし、これまでグループが稼いできた資金を彼らのMRFに分散入金しています。信用取引の審査も通過済みです。」
「ああ、そうか。お前ら一応反社ではないから金融機関に口座作れるんだったな…。」
「どうでしょう。これならバレませんか?」
「…微妙だな。しかし今回は仕掛けたお前ら以外の投資家達も大勢巻き込むわけだし、首謀者はバレて逮捕される可能性もあるが、それに乗っかって株取引した奴らは無傷かもな。例えば、2015年のI社の事例がある。」
「2015年のI社?」
「インサイダー情報を利用した仕手に多くの個人投資家が巻き込まれた事例だ。あの時に逮捕されたのはI社の元社長と元常務だけだったはず。」
「あとで調べておきます。」
2015年。I社架空取引、インサイダー取引事件。
精密測定機器等を製造・販売するメーカーとして1982年に設立されたP社は、2001年に当時のナスダック・ジャパン(その後ヘラクレス、現ジャスダック)に上場した。同社は2010年に持ち株会社となり、社名をP社からG社に変更。積極的なM&A戦略によって旅行やアパレル、コンサルティングなど他業界に進出した。
2013年11月。社名をG社からI社に変更した翌月に問題は発生した。同社は突然、「新規事業によって予想外の売上が9億円発生した」と発表したのである。いかにも胡散臭いこの発表は、後の調査で架空取引であることが発覚する。
証券取引等監視委員会は2014年にI社の調査を開始し、同年12月に内部管理体制が不十分と発表。有価証券報告書に虚偽があったことから、2015年に同社の株式は特設注意市場銘柄に指定され、市場参加者から警戒されるようになった。さらにその年、東京地検特捜部も動き同社の元社長と元常務を金融商品取引法違反で逮捕。この時、元社長が売上の架空計上による株価操作やインサイダー取引、補助金詐取を企てていたことが明らかになる。結局、その年の8月にI社は上場廃止となった。
さて、ここまではWikipediaにも載っている話。ここからが、一般に公開されていない話だ。
I社の元社長と元常務はインサイダー取引などをやらかして捕まったのだが、インサイダーやそれに近いことをやっていたのはこいつらだけだったのだろうか。否である。
あの頃証券会社に勤めていた人間達なら知っているかもしれない。2013年の夏の終わり頃から、急に「I社の株を買いたい」と言って口座開設する奇妙な客達が全国の店舗に現れたことを。もちろん証券会社側はその異変を察知していたが、客が「買いたい」と言うものを何の根拠もなく阻止するわけにはいかない。そうしてしばらく、I社の株は全国あちこちの個人投資家達が買い続けていたのだ。
急にI社の株を買い出す連中が全国に現れたのは、たまたまか?そんなわけがない。確たる証拠があるわけでもないが、恐らく彼らはどこかで情報を掴んでいたのである。この件について詳細に報道しているメディアを俺は知らないが、実際の事象から推理するに、アレは誰かが仕掛けた仕手だったのだろう。では、そんな怪しい取引に乗っかった個人投資家達はインサイダー取引や相場操縦で逮捕されたかというと、俺が知る限り逮捕されていない。逮捕されたのは首謀者達だけだ。
株の仕手なんてバブル時代だけの話かと思っている人間達もいるだろうが、このように、現代でも姿形を変えて似たようなことをする輩は存在する。
「つまりお前らは、過去上場企業がやらかした不祥事や投資家扇動などを組み合わせたスキームでヨグルト社の株価を暴落させようというわけだ。それなりに相場の歴史を勉強していないと思いつかない、実際の事例に沿った手の込んだやり方じゃないか。」
そう言って思った。今のやり取りの中で大企業の不祥事が何個挙がった?全く、大企業というのは…。
「ありがとうございます。プロにそう言って頂いて確信を持つことができました。」
「だが最後に1点だけ気になることがある。」
「なんですか?」
「この計画は誰かが逮捕されることが前提になっていないか?特にヨグルトの工場に潜り込む奴らは…。」
「ええ。その通りです。その方がいいんです。例えば、ヨグルト社で毒物を撒いた、撒こうとして逮捕された人間が現れれば、テレビや新聞で報道してもらえるでしょう?その方がインパクトあるじゃないですか。みんなヨグルト社の製品に不安を覚えるでしょう?」
「いや…まぁそうだが…。しかし逮捕されたい奴はいないだろう。」
「闇バイトの人達は逮捕されたくないでしょうね。だから彼らは主に小売店に配置します。工場に配置するのは僕達の仲間だけです。」
「いやいや。お前らの仲間だって逮捕されたい奴はいないだろうが。」
四井はパソコンに「そんなことないですよ」と打ち込んだ。一体こいつは何を言っているんだ…?
四井のパソコン画面から一旦目を離し周囲を見渡すと、一ノ関も、二宮も、三田も、無邪気な笑みを浮かべて静かにこちらを見ている。背筋が凍った。顔を見れば分かる。こいつらは最初から自分を犠牲にするつもりで、それに対して何の抵抗も無いのだ。それでは半グレグループというより、まるで…
「僕ですね、親からアナウンサーになりなさいって言われて育ったんですよ。」
四井が急に、よく分からない文章を書いて俺に見せた。
「…どういう意味だ?話が見えん。」
「ぼ…ぼっぼっぼっぼっぼっぼ、ぼっぼっぼ…」
「っぼっぼく、あっあっあっあっあっ…」
「あっあっ…」
先ほどまで文章でコミュニケーションを取っていた四井は、喋ろうとするも言葉が続かず、諦めたのかまたパソコンに文章を打ち込み俺に見せた。
「僕、アナウンサーになれると思います?」
「…それは無理だろうな。」
「ですよね。だって、先天性で治りようのない重度の吃音なんですから。」
「……。」
パソコンを打つ四井の手がだんだんと早くなっていく。
「でも、僕の両親はコレが治ると思っていたんですよ。改善のためのトレーニングをすれば流暢に話せるようになるって。アナウンサーになれるって。色々な改善訓練を受けさせられました。間接法、直接法、どっちも試しました。でも無理ですよ。僕はずっとコレです。」
「……。」
「両親はそんな僕を認めませんでした。頑張れば、一生懸命努力すればどうにかなるって。無理ならそれは努力が足りないからだと言うんです。なんなんですかね、自分の子供が先天的な問題を抱えて生まれてきたという現実から、ずっと目を背けるんですよ。それで気合だ根性だ努力だ、言い続けるわけですあの人達。いやいや、お前らの精子か卵子にでも異常があったんじゃないの?って話ですよ。」
「……。」
「そんな問題を抱えて生まれてきて、そんな育ち方をした人間って、屈折せず真っ直ぐ生きていけますかねぇ?」
「…難しいだろうな。」
パソコンを打つ四井の手はさらに早くなっていく。
「そうですよね。だてこんな風に生まれたら、学校でも浮くじゃないですかみんなと会話している最中に僕の吃音始まったら、みんなまたか…って目でこっち見ながら待つんdすよ。僕の言葉が全部出るまでだるそうに待つです。そりゃ人間関係築くの難しくなります。べtうに僕が悪いんじゃないですよねこういう風に生まれたのが悪いってだけで」
「……。」
「人間って屈折する度に嫌いな人間の種類も増えてくじゃないですあk。僕みたいに屈折しまくりの人間は要するに大体の人間が嫌いなnです。学校もアルバイト先もハロワも派遣先もテレビをつけてもSNSを見ても動画サイトを見てもどこを見ても嫌いな奴らばっかりdすよ」
「……。」
四井は一旦息を整えて、落ち着いてパソコンを打ち始めた。
「僕の下に集まった人間達はですね、全員同じです。先天的な問題を抱えて生まれて、家庭内に居場所がなくて、社会にも居場所が無い。」
「つまりですね、僕達は“無敵”なんです。逮捕されようが殺されようが、なんでもいい。とにかくひたすらこの社会に悪意をばら撒いて、人に迷惑をかけて、親を後悔させたい。でも、巨大な悪事のためには計画が必要でしょ?組織が必要でしょ?金だって必要です。だからこうして身を寄せ合って協力して悪事を働いているんです。」
「…お前ら、半グレじゃなくて宗教団体だったのか。」
「ああ、なるほど。そう感じたならそう思って頂いても構いません。似たようなものかもしれませんね。」
「……。」
「SNSって見たことあります?僕達みたいに社会を恨みまくってる人間達、沢山いますよ。生まれた瞬間格差の下側が定位置と決まっている人間が、そんな社会ぶっ壊れちまえと思うのって、そんなに不自然なことでしょうか?」
「……。」
…参ったな。
この教祖様とは、思ったよりも気の合う部分が多そうだ。
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