第3話 親ガチャ当てただけでイキがるな

「うーん、でもねぇ、私も年金生活で一杯一杯だからねぇ。これ以上お金は出せないのよぉ。」


「お婆ちゃん、それは勿体ないよ。だって先月振り込まれてきた配当金見たでしょ?あんなに沢山配当金が入ってくるんだから、もっと投資した方がいいよ。」


スーツ姿の若い男は、かれこれ1時間ほど熱心に投資勧誘をしている。相手は寺川駅の北側でひっそりと駄菓子屋を営む老婆だ。


「それはねぇ…、そうなんだけどねぇ…。」


若者の熱心さに対し、老婆は困った声でそう返す。老婆は先月この男から「絶対安全な高配当投資」なるものを勧められ、あまりの熱心さに負けて購入した。確かに銀行預金の利息よりも遥かに高い配当金が入ってくるし、男の説明通りの商品ではあった。


「お婆ちゃんがこうやって賢く投資で稼げば、お孫さんにも良い学校通わせてあげられるって。」


「そうねぇ…。」


追加投資に後ろ向きだった老婆も、「孫のため」という理由を作られてしまうと途端に弱くなる。老婆は、追加投資の算段をし始めた。


***


寺川市の隣、座川市の駅近くにある老築マンションの4階。ドアに社名も書かれていない408号室で、男達は働いていた。部屋は2LDK。2つの部屋とリビングがオフィスのように改装されており、それぞれの部屋に6台ずつデスクと固定電話が並んでいる。そこで男達は、紙のリストに書かれた電話番号にひたすら電話をかけ続けていた。


「あ!井上様でお間違いないでしょうか!?お忙しいところ恐れ入ります!私、“金融庁公認”の資産運用会社、「JOSYOアセットマネジメント」の北島と申します!本日は、“絶対安全”な“高配当”投資を“特別に”ご提案させて頂くためお電話いたしました!」


勧誘トークは完全にマニュアル化されている。男達は、リストに載っている番号に電話をかけ、マニュアル通りのトークをし、少しでも反応のあった顧客のもとに訪問し営業をかけるよう命じられている。男達の年齢はまちまちで、下は10代後半、上は30代半ばまでいる。タイトなスーツで身を包む男達は、一見ただのサラリーマンにも見える。


「戻りましたー!」


「報告〜。」


「はい!」


若い男がオフィスに帰ってくると、中央のデスクに座る男が成果報告を求め手招きをする。


「三田さん失礼します!報告いたします!」


「うん。どうだった?駄菓子屋の婆さん。」


「はい!追加で10万円頂きました!」


「は?10万…?」


金額を聞いて眉間に皺を寄せる三田を見て、若い男は慌てて弁明した。


「あ、いや、あの婆さんもう金無いらしくて…。10万が精々と…」


「半田ぁ…。」


「は、はい…。」


「いや、俺はいいんだよ?別に。10万円でも。だけどさ、お前はいいの?」


三田は眉間の皺を解きながら穏やかな声で半田にそう聞いた。


「い、いえ…。」


「そうだよね?俺達がやってるのは“社会貢献活動”でしょ?10万円程度で社会貢献になる?」


「な、ならないです!」


「そうだよね?半田、日本人の貯蓄額は?」


「い、1,000兆円です!」


「そうだよね?そのほとんどは誰が貯め込んでるの?」


「ろ、老人です!」


「そうだよね?じゃあ日本の景気が悪いのは誰のせい?」


「金を貯め込んでいる老人です!」


「そうだよね?じゃあ、俺達は何をしたらいいの?」


「とにかく老人に金を吐き出させて、自分達がリッチになって、贅沢三昧して日本社会に金を落として経済回すことです!」


「そうだよね?10万ぽっちじゃお前はリッチになれないよ?リッチになれなきゃ贅沢できない。贅沢できなきゃ日本経済を回せない。それじゃ日本は良くならない。日本社会の癌になってる老人からもっと金を搾り取らないと。」


「し、しかし、あの婆さんはもう金が無いと…」


「ははは。半田、そんなわけないだろ?金が無い無い言っといて実は貯め込んでるのが老人だよ。絶対にまだ搾り取れるから。」


「は、はい…。」


「半田、今は色々大変だろうけどさ、頑張ろうぜ?社会のためにさ。俺はお前に期待してるんだ。」


「み、三田さん…。」


「俺達、“兄弟”だろ?」


「は、はい!俺、頑張ります…!」


「じゃあデスクに戻って良し。電話セールス再開だ。」


「はい!」


「みんな!明日は“投資セミナー”の日だぞ!老人達に電話でリマインドしとけよ!あいつら忘れっぽいからな!」


「「「はい!」」」


***


「村田様。息子さんの合格おめでとうございます。発表は先月でしたか。」


「ありがとうございます、義田さん。ええ。1月に合格を頂きまして。」


「地元の名門中高一貫校ですよね。息子さんの将来が楽しみです。」


「いえいえ。私は別に何もしていませんから。息子がね、自分から「勉強したい」と言うものですから、その手伝いを少ししただけなんです。あくまで息子の主体的な努力の成果なので。あと、息子の運も良かったのだと思います。」


心にも無いであろう謙遜をするこのおばさんが、今日のアポイント先だ。

旦那は有名私立K大学の系列小学校からそのままエスカレーターで中学、高校、大学まで上がり、新卒で大手広告代理店に入社、現在は役員を務めている。その広告代理店が公開している有価証券報告書で役員報酬を確認すると、対象者7名に総額約7億4千万円が支払われていた。平均すれば1人あたり1億円以上の役員報酬を貰っている計算だ。そんな旦那はあまり家のことに干渉しないようで、子供の教育や資産運用を妻であるこのおばさんに全て任せている。おばさんは特に教育に熱心で、幼少期から息子を有名学習塾に通わせ、先日中学受験にも成功“させた”。そう、成功“した”のではない、“させた”のだ。息子の受験結果は、父親の経済力と母親の狂気の賜物である。

このおばさんは先ほど「息子の運が良かった」と言ったが、それは間違いない。金持ちで教育意識の高い“当たり親”のもとにたまたま生まれた結果に過ぎないのだから。そりゃ運が良いさ。このおばさんも、その旦那も、大変良い大学の出身だ。となれば、あの息子もこれから高学歴への道を突き進む可能性が高い。

「社会階層と社会移動に関する全国調査(略称、SSM)」によれば親の学歴と子の学歴には相関関係が見られる。平たく言えば、親が大卒であれば子も大卒になりやすく、親が非大卒であれば子も非大卒になりやすいということだ。

SSMとは、1955年から始まった日本の大規模社会調査である。調査組織は社会学者達を中心に構成され、社会階層と社会移動の研究を目的として10年に1度実施されている。最新の2015年調査では日本国籍を持つ20〜79歳の男女が無作為に選ばれ、職業や学歴、収入、居住地、家族、教育等に関する考え方などが調査された。

多くの社会学者がこのデータを用いて論文や書籍を書いているのだが、調査結果はそれなりに絶望的だ。少なくとも俺はそう感じた。親学歴や居住地、教育方針、習い事の有無等々が、子供の学力や学歴に明らかに影響していることが数字で分かるのだから。

日本社会において、学歴の獲得は高待遇な職業の獲得に直結する。求人情報で公開されている範囲でも、「大卒」と「非大卒」で応募できる職業に大きな差があることがハッキリと分かる。また、明文化されてはいないが実質的に一部の高学歴しか採用しない企業というのもある。いわゆる学歴フィルターというものだ。

たまたま学歴の獲得に優位な家庭で生まれ育った人間が、高学歴となり、高待遇な職を得る。その格差再生産の流れを間近で見せつけられるのが、客のライフプランニングを担う証券マンなのだ。客の人生に深く入り込めば入り込むほど、0歳時から始まる教育格差の存在に絶望させられる。


「これからも息子さんの教育費がかかるでしょうねぇ。」


「そうですねぇ。引き続き塾には通わせるつもりですし、習い事もありますので…。」


そう言いながら、客はリビングのグランドピアノに視線を向けた。

「文化資本」という概念を提唱したのは、フランスの社会学者ピエール・ブルデューだ。そのブルデュー曰く、家庭にあるピアノや蔵書数は「客体化された文化資本」なのだという。

文化資本とは、噛み砕けば、この社会で成功する上で有利となる経済資本以外の資本とでも言っておけばいいだろうか。

文化資本は次の3つに分けられる。


①個人に蓄積される言葉遣いや立ち居振る舞い、趣味、感性などの「身体化された文化資本」

②蔵書や楽器、美術品などの「客体化された文化資本」

③学歴や資格などの「制度化された文化資本」


現金や有価証券、不動産などといった経済資本の継承は「格差の再生産」と指摘される一方、文化資本の継承は軽く見られがちに思える。しかし、これら文化資本の有無も社会的成功に影響するし、親から子に継承されるものである。少し考えてみれば、これらが子供のコミュニケーション能力や習慣、芸術への造詣・センス等々に影響を与えるであろうことは想像に難くないだろう。偏差値の向上のみに傾倒してきた高学歴人材の中には、コミュニケーション能力が絶望的に低い者もいる。そういった人間達はしばしば就職活動で淘汰され成功ルートから外れるものなのだが、豊かな文化資本を持つ家庭で育った高学歴人材はそうなりにくい。むしろ、対人コミュニケーションこそ彼らの本領であろう。

ブルデューは、生まれ育った田舎から都会の学校に来て、上流階級との格差を目の当たりにした人間だった。出自の悪いブルデューが、社会階級というものに強い関心を持ち研究したのは当然だったのかもしれない。


「お子様の教育費もそうですが、これまで以上にインフレ対策をする必要性のある世の中になりました。既に企業物価指数は高まっていますが、それに比べると消費者物価指数の高まりはなだらかです。しかし、コスト増に耐えかねた企業はいずれ製品・サービスを値上げするでしょう。」


「ええ、はい…。」


「そういった社会情勢においては、資産を銀行預金にしておくだけでは目減りしてしまいます。むしろ、資産家ほどインフレ対策のために投資が必要なのです。将来息子さんに資産を継承されるご予定でしたら、より一層…。」


「なるほど…。でも、あまりリスクの高いものは…」


「そうですよね。確かに、株式や株式投資信託といった浮き沈みの激しいものだと不安でしょう。そこで私からお勧めしたいのは、こちらの日経平均株価連動債です。」


「それはなんですか?」


「年利3%で運用できる債券ですよ。」


「え、3%ですか。それは良いですね。」


「ええ。株式などと比べリスクが低く、安定的に運用可能です。」


「なるほど…。」


「リスクとして、日経平均株価が購入時より25%下がったら元本が毀損する可能性も考えられます。」


「25%…。」


「まぁ、日経平均株価が25%下落するなんてよほどのことが無ければ…。私も「絶対安心」をお約束することはできないのですけども、可能性は低いと思いますよ。」


「そうですか。義田さんがそう仰るなら、そちらを頂きましょうかね。銀行にお金を置いておくよりも良いと思いますので。」


「ありがとうございます。それでは、目論見書の内容をこの場で説明させて頂きます。」


「はい。」


今俺は「リスクが低い」と言ったが、大嘘である。この日経平均株価連動債はむしろリスク性の高い商品。かつてリーマンショック時には多くの投資家に損失を与えている。この商品の満期は5年。満期までの間、日経平均株価が25%以上下落しなければ高い金利を受け取り続けられるが、市場の波はそれほど穏やかではない。それこそ、2年前にコロナショックで日経平均株価が23,000円台から16,000円台まで落ちたばかりだ。いざとなれば、株価は25%程度平気で動く。

俺は今目論見書でそのリスクを客に説明している最中だが、どうせこの客は話の25%も理解できてはいない。金融リテラシーに乏しい金持ちというのは意外と珍しくないので、こうして証券マンのカモにされてしまうというわけだ。

しかし、俺はちゃんとリスクを説明したぞ。説明を受けた上で商品を購入するのだから、あとは客の自己責任というものだろう。


まぁ、でもいいじゃないか。あんたは経済的にも文化的にも恵まれているのだから。もしこの日経平均株価連動債がゴミのような価値になったとしても、別に人生が終わるわけじゃない。今手塩にかけている息子だって、どうせ将来金を稼ぐんだろう?


じゃあ、いいじゃないか。

その豊かさの一部を、市場に流してくれても。


***


商談を終えた帰り道。教育的に正しい町を見ながらさっきの客のことを思い返す。

もし仮に、様々な統計や研究結果を根拠に「お前の親の教育は間違っている」と誰かに指摘されたとして。親の教育の誤りに気づいたそいつが、「よし、自分の子供には正しい教育をしよう」と前向きに考えることができるだろうか。俺は9割方そうならないと思う。

恐らく大半の連中は、「それなら子供なんぞ持たない」といった方向に思考を進めるのではないか。俺だってその1人だ。奴らが行う教育の効果は否定できないが、その一方で、俺は俺の歴史を否定できない。奴らから言わせれば放任的に育てられた俺は、子供を計画的に教育しようという発想それ自体に抵抗感があるのだ。

テレビドラマはそういった計画的教育が失敗に終わる様子を度々見せてくれるものだが、現実は不愉快である。むしろ、教育失敗者を輩出する可能性が高いのは、俺の受けてきた放任教育であることがSSMのデータから読み解けるのだ。

そりゃそうだ。子供を放任した先の姿は、飴玉を無限に欲しがる欲望と怠惰の化身だろう。それを理解している親は、子供の成長に適切な介入をするのだ。さっきの客のように。理屈は分かるが、やはり俺は俺の歴史を否定できない。


「…ん?」


「金融庁公認と名乗る投資詐欺が頻発しています。市民の皆様、詐欺被害にご注意ください。不審な電話がかかってきたら、すぐに最寄りの警察署または詐欺相談専用ダイヤルまでご相談ください。金融庁公認と名乗る投資詐欺が…」


投資詐欺への注意を呼びかけるパトカーとすれ違った。この町も老人は多い。詐欺の標的にされてもおかしくはないか。

…ん?もしかして、投資詐欺業者と証券会社は競合関係にあるのではないか?どうせ騙されて金を吐き出すなら、その先は詐欺業者の懐ではなく、金融市場にしてもらいたいものだ。


「…さて、今日はもう商いは止めて、駄菓子屋で時間でも潰すかな。」


***


「はい、チューペット。」


「うん、ありがとう。」


「この時期に外でアイスなんて、寒くないの?」


駄菓子屋の婆さんは、今日も呑気な顔で話しかけてくる。


「だいぶ歩いたから大丈夫。」


「アンタって何の仕事してるんだっけ?」


「別に。ただの営業だよ。」


チューペットを半分に割り、まず先に短い方を口にくわえて適当にそう答えた。なんとなく、俺が証券会社に勤めていることは婆さんにバレたくないのだ。店の軒下にあるベンチに座りながら駄菓子やアイスを食ってると、落ち着く。毎日金持ちを相手にしているものだから、こうして釣り合いを取らないと頭がおかしくなりそうだ。


「…そういや婆さん。ちょっと知り合いから聞いたんだけど。」


「え?」


「婆さん、投資?みたいなの始めたんだって?」


なんとなく嫌な予感がしていたので、先日下柳から聞いた件について婆さんに聞いてみた。


「あー…。ええ、ええ。なんかねぇ、熱心な若い子が来てねぇ。良いって勧めるものだからついねぇ。孫の教育費の足しになるかと思って少しだけ…。」


「あっそう…。」


「先日配当金が入ってきてねぇ。銀行預金よりも全然儲かるのよ。」


「ふーん…。なんて名前の会社?」


「えっと…なんていったっけ…」


そう言いながら婆さんは店頭の引き出しを探し始めた。


「ああ、これこれ。」


…嫌な予感が的中した。

婆さんが引き出しから取り出した資料には、「絶対安全!高配当!金融庁公認!」という太文字が入っていた。この時点で金融商品取引法に違反している。確実にまともな業者ではない。


「JOSYOアセットマネジメント…っていうんだね。」


「そうそう。ジョーショー、ジョーショー。ここの若い人が熱心なのよ。」


「…そうなんだ。」


すぐにスマホを取り出し、金融庁のウェブサイトにアクセスした。金融商品を取り扱う業者は、金融庁に届け出を出し登録を受けていなければならない。登録済みの金融商品取引業者ならば、金融庁のウェブサイト「免許・許可・登録等を受けている業者一覧」に社名が掲載されている。ここに社名が掲載されていないにも関わらず金融商品の販売を行う業者のことを「無登録業者」といい、金商法違反業者だ。


「…やっぱり無いか。」


「え?何が?」


案の定、金融庁のウェブサイトにJOSYOアセットマネジメントなどという社名は無い。無登録業者である。ということは…婆さん、十中八九詐欺だよその業者…。


「その若い人って、日本人?」


「え?そうだけど…。」


外国人の集団じゃないとするなら、国内の半グレ連中だろうか。投資詐欺件数は直近1〜2年で爆発的に増えている。確か、令和元年に金融庁が受け付けた投資詐欺の相談件数は300件程度だったが、その翌年は件数が6倍強に増加し、今年はさらにそれを上回るペースで増加していたはずだ。投資詐欺に引っかかって警察に通報する者も多いが、警察はそう簡単に動いてくれないし、金は戻ってこない可能性の方が高いだろう。

婆さん…。孫のためとはいえ、なんであんたが…。大した資金も無いだろうに…。


「どうしたんだい?怖い顔して。」


「いや…なんでもないよ。ところで婆さん、実は俺もちょっと投資に興味あるんだよ。少しだけその資料貸してもらえる?」


「いいけど…。あんた、あんまり投資とかにのめり込んじゃダメだよ?」


「はは。その言葉は婆さんに返すよ。大丈夫だと思うけど、生活費切り崩してまで投資なんてすんなよ。」


「え…?ええ…。」


「婆さんの担当者はなんて名前の人?俺もその人の世話になろうかな。」


「えっと…確か半田さんって人だけど…。」


「JOSYOアセットマネジメントの半田さんね…。」


明日の訪問先は決まった。アポイントは無いが。

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