小国の第二王子

 どうしてこんなことになったのだ?


 ラザート連邦に所属するルーチェル小将校は目の前の景色を見てそう思った。

 簡単な仕事だったはずだ。相手は吹けば飛んでしまうような小国、軍の規模も兵力も国力も比べるに値しない相手。

 こんな楽な相手の国を制圧して自国の領土にするぐらい、ボードゲームをするぐらいの感覚。

 もちろん、五千人ポッキリで国を攻め落とせるとは思っていない。足掛かりの一撃を加えて連邦の勝利の立役者になるだけ。

 それなのに、何故———


『敵、前方500mまで迫ってきております!』

『小将校、指示を!』

『撤退を……このままでは、我が軍は全滅してしまいます!』


 部下達の必死な声がルーチェルの耳まで聞こえてくる。

 そんなの、言われなくても見れば分かる。500mなど、目と鼻の先なのだから。


「ふざけるなッ! こんな馬鹿な話があるかッ!!!」


 ルーチェルは拳を握り締めながら、500m先を見て叫ぶ。

 視界に映るのは、何千人もの兵士が倒れていく様子。それと、淡く光り輝く姿をした一人の青年と、霞むような霧に覆われた一人の少女。

 たった二人だ。二人しかいないのにも関わらず、ラザート連邦の優秀な兵士が何人も次々に地面へと突っ伏してしまう。

 これを悪夢と言わずになんて呼ぶ?

 数時間前の自分は「ここを踏み台にして、かの大国との拮抗を破る」と息巻いていたのに。


 ―――それが、このザマだ。

 夢を語るのはいいが、このままでは小国に負けたという汚名と恥を背負うことになる。


「それだけは……それだけは避けなければ……ッ!」


 だが、そもそも自分は汚名と恥を持って帰れるのだろうか?

 何せ自分はこの部隊を率いる長。戦争を終わらせようと思うのであれば、この大将首を―――


「ようやく辿り着いたぞ」


 ふと思考の海から現実へと引き戻される。

 それは、一人の少年の声が聞えてきたからによって。

 あぁ、考えている暇などなかった……やはり、500mなど目と鼻の先であった。


「大将首がわざわざ出向いたっていうのに、歓迎もなし? 困るなぁ、こっちは熱いファンコールに応じてここまで来たのにラザート連邦では労いって言葉がないのかね。小国のうちですら客には紅茶を出すぞ?」


 姿を見せたのは金髪の青年。

 琥珀色の鋭い瞳と、整った顔立ちがどこか威風を感じる。

 だが、注目すべき場所はそこではない―――チリッ、チリッ、と。弾けるように青白く体を覆う光。

 それこそ、目を引く一番の要因であった。


「ふふっ、敵に出す紅茶というのはないのでしょう。ぬくぬく小屋で育った豚さんは、今日も生きるので精いっぱいみたいですので」


 もう一人は、桃色の髪をサイドに纏めた少女。

 あどけなくも、それでいて端麗な顔立ち。吸い込まれそうな翡翠色の瞳と、お淑やかで上品な雰囲気、戦場には不釣り合いなメイド服。

 そして、霞む霧に覆われたような歪んだ輪郭———それが、異様で仕方ない。


「しかし、紅茶でもあればお茶請けを用意しておりましたので、一つティータイムができたのですが……」

「待て、お茶請け持ってきてんの? ここ戦場なのに? 自分で言っておいてなんだが、お手々取り合って仲良くティータイムなんか酔狂なことはできねぇよ。差し出されるのは血で汚れた剣先だけだって」

「ですが、過度な労働は身を壊してしまいます」

「だったら戦場に行かせないでくれる!? 俺ってば王子! 過度な労働が最も似合わないボーイなんだけども分かるぅ!?」


 まるで緊張感のないやり取り。

 だが、それを止めようとする人間はいなかった。何せ、500m先の光景を実際に目撃してしまったのだから。

 しかし、先に現実へと戻ってきたルーチェルだけは飄々としている二人に苛立ちを覚えた。

 それは「小国如きが……ッ!」という思いもあったのかもしれない。

 ルーチェルは周りにいた部下の兵士に向かって指示を飛ばした。


「な、何をしておる!? 相手は弱小国家の王子! ここで首を刎ねれば、我々の勝利だ!」


 その声で、一拍間が空いてしまった部下達は意識を戻して一斉に青年達へと斬りかかる。

 数はざっと数十人。二人を相手にするにはかなりの大盤振る舞いであった。

 けど、二人は臆さない―――ただため息を吐いて、それぞれ動き始める。


「『濃く青い黄色は弾丸の如くル・アルガンテ』」


 青年は向かってくる兵士に指を向けた。

 その瞬間、纏っていた青白い光が兵士達の胸へと貫通するように突き刺さる。

 胸に光を通してしまった兵士達は、皆一様に口から焦げ臭い煙を吐いて地に倒れてしまう。

 一方で───


「あら、レディーに向かって剣を向けるなんて……ご両親からしっかりと教育を受けてこなかったのでしょうか?」


 少女は、兵士達に向かって腕を振るった。

 その腕から現れたのは、濃く煙のように揺らいでいる霧。触っても、特にこれといったものはない。

 それが逆に兵士達の戸惑いを誘った。

 だが、それはこんなに優しく無害なものではないと……青年は知っている。


「『氷固サーブル』」


 兵士達の体を覆っていた霧が一瞬にして氷へと姿を変えていく。

 全体を覆われた者は氷のオブジェに、一部だけ覆われていた者は氷に挟まれや箇所を切断させられた。


 阿鼻叫喚。

 青年や少女が起こした状況に、何十人もいた人間は叫び狂う。

 ましてや、生き残った何人かは背中を向けて逃げ始めていた。


「あーあ、敵前逃亡しちゃってまぁ。お兄さんがそんなに怖ったのかね? お化けのコスプレしているわけでもないのに」

「ふふっ、私も「トリックオアトリート」と言ってみましょうか。帰って膝枕をしてくれないと、片腕切っちゃいますよ?」

「可愛い笑顔を浮かべて何を言ってるのかね君は!? それはおねだりじゃなくて可愛さの欠片もないただの脅迫ですことよ!?」


 青年はそれを追おうとはしない。

 ただ、呑気な会話をしながらゆっくりとルーチェルの下へ歩くのみ。


(な、なんなのだこいつらは……ッ!?)


 小国の第二王子、顔ぐらいは知っている。

 若干十八歳にしてウルミーラ王国の軍のトップに就いた男。

 それでいて───小国を勝利へと導く


(侮っていた……完全に、弱小国家だからといって侮っていたッ!)


 魔術とは、魔法の極地。

 既存の属性、様々なレベルの呪文全てをマスターし、オリジナルへと昇華を果たしたものが魔術と呼ばれる。

 そこに至った者は、世界でも数少ない。

 魔法大国のルーゼンですら、魔術を扱う人間はたった十数人しかいないときた。

 それぐらい魔術師になるには難しく、既存の魔法を超えるのは困難なのだ。


「魔法士もいない、熟練の騎士もおたくらご自慢の次世代兵器すらもなくてそこいらの騎士だけで攻めてくるって馬鹿か? 無駄に王都から歩け歩け大会してきただけじゃねぇか。別に座りっぱなしで運動しないと体に悪いとか嘆いちゃいねぇんだよ、こっちは」


 その言葉はようするに───「楽勝だったよ、いえーい☆」という意味。それがどれほど屈辱的か。

 軍を率いる長のルーチェルは思わず歯ぎしりをした。


「こ、この……弱小国家の王子風情が!」

「この豚……ご主人様を、馬鹿にしましたね?」

「待て待て待て。ここで殺しちゃあかんでしょ。知らんけど、殺してあとで何か言われるぐらいなら生かしておいた方がいいって」


 手を振ろうとした少女を、青年が制す。

 そして───


「まぁ、そっちがどんな大義名分でっち上げてきたか知らんけどさ」


 青年は、ルーチェルの頭を掴んで顔を覗き込んだ。




「……こっちには帰る家がある奴らがいっぱいいるんだ。私利に塗れたくだらねぇ戦争は、さっさと終わらせようや」

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