第4話・ハイウェイ

 車という乗り物がある。私が生まれた頃には既に自動運転技術が確立されており、物心ついた頃に道路を走っていたのは全て自動運転の車だった。


 もちろん昔に自動運転なんて代物が無い事は私だって知っていて、その当時は乗りて自らが車を運転したと聞く。「運転」という言葉さえ、今では死語になりつつある。それだけ人間の回りの物が自動化されたという事だろう。


 であるから、私が知っている車という物は人が操作する必要も無く、コンピューターで制御された車体が、道路に引かれた発光するガイドラインをなぞるようにして走行する乗り物だった。


 しかし、このカマロという車は、私の知っているそれでは無い。


 まず第一にうるさい。道路を走る他の車は直流モーター式の電気自動車ばかりなので、タイヤが道路の凹凸を拾うゴロゴロとした音しか鳴らさないのに対し、この車は走る時、あまつさえ止まっている状態でもドロドロとした内燃機関の音を絶えず鳴り響かせている。


 昔はこういう車が道路を埋め尽くしていたらしいが、想像してみて身震いした。夜にもこんな車が走っているとなると、うるさくて眠れたものでは無いではないか。


 次に、真っ直ぐに走らない。人が操作しているからだろうとは思うが、この車は常に左右どちらかに流れて行こうとする。アッシュが細かくハンドルを回し、出来るだけ真っ直ぐに走らせようとしているのだが、自動運転の車と比べると、どう見ても不安定に振れている。


 速度も安定しない。周りの車がほぼ同じ速度で流れていくのに対して、このカマロは加速減速を繰り返し、周りの車を右へ左へ縦横無尽に避けて走り抜けていく。


「ちょっと! もっと丁寧に運転して!」


 私は後部座席を転げまわった末、助手席の背もたれにしがみついて叫び声を上げた。運転席に座るアッシュがチラリとルームミラーを仰ぎ見たが、車を減速させる素つもりは無いようだ。


「ねぇ!? 聞いてる!?」

「悪いが、そう悠長なこと言ってられねぇんだ」


 彼はサイドミラーに目を向けながら言う。ガベルがその視線に気づき、助手席から身を乗り出して後ろを覗き込んだ。


「あぁ、マズいね」


 彼がそう言った途端、再び車体が急加速した。前方に迫るテールライトを右へ避け、凄まじい勢いで追い越す。 


 私は助手席から離れ、後ろを確認しようと後部座席で頭を上げる。その瞬間、飛んで来た弾丸がリアガラスを突き破り、私の頭上スレスレを飛びぬけた。ヒュンという風を切る音がハッキリと耳に響く。


「バカ野郎ッ! 頭下げてろってんだ!」


 アッシュの怒号が飛んだ。ガベルがシートベルトを外し、転がるようにして後部座席へ移って来る。


「伏せて!」


 彼が叫ぶのと同時に、私は後部座席の上でうつ伏せになり、両腕で頭を抱えた。その途端、雨あられと降り注ぐ鉛の雨にリアガラスが粉々に砕かれ、鉄の車体が悲鳴を上げる。


 ガベルが私を抱きかかえ、そのままフロアマットの上へと転がり落ちた。


 カマロが弾丸を避ける様に右へ左へと揺れ、少しして速度を落とした。マフラーから出るエンジン音が車体のすぐ後ろで反響している。後ろにトラックでもいるのだろうか。


 顔を上げて窓の外を見ようとすると、ガベルの右腕が私の頭に回され、そのまま彼の胸元へ引き寄せられた。


「まだ駄目」

 

 それだけ言うと、彼は息を殺すようにして私を抱え込む。顔が赤くなるのが自分でも分かった。


 車の左後ろから甲高い音が近づいて来る。甲高いモーター音がよく響く事から考えるに、いつの間にかトンネルの中に入ったらしい。


 時間が止まったかの様な一瞬の後、運転席で銃声が上がる。あの大砲の様な銃声はアッシュの銃だ。


 それに応戦するかのような、ダダダダダダッという連続した銃声がカマロのすぐ隣で上がる。しかし、それはすぐに収まり、タイヤのスキール音と共に耳を塞ぎたくなるような衝突音が鳴り響いた。


 途端にカマロが加速し、音が後ろへ過ぎ去って行く。


「もういい?」

「いや、まだだ」


 ガベルが言い、アッシュが答えた。


「まだ来てる?」

「あぁ、ファンの皆様勢揃いって感じだ」

「はぁ、追っかけはうんざりなんだけど」


 溜息混じりに答えたガベルに、アッシュは小さく笑って返した。追いかけられることに慣れている者の声色だった。


「ガベル、フロアマット捲れ」


 アッシュが言うと、ガベルは私を後部座席の上に押し戻してマットを捲る。その下に隠されていた緑色のケースを開いた。


「これ何?」

「機関銃。軍の払い下げ品」

「これでどうしろって?」

「ファンサービスってヤツ?」


 アッシュが言うと、ガベルは鼻で笑いながらその機関銃をケースから取り出し、二脚を立ててトランクの上に置いた。


 銃の上部を開き、下部に取り付けられた鉄の箱からベルトで束ねられた弾丸を引っ張り出して、開いた部分に挟み込む。側面に飛び出たハンドルを手前に引き、前へ戻す。


 私は恐る恐る割れたリアガラスから外を覗き込んでみると、カマロから少し離れた位置に見慣れた形状の自動運転車が列を成しているのが見えた。


 車列の車はボディの節々に取り付けられた発光パーツが赤く光っている。マニュアル運転モードで走行している印だ。コンピューターに任せた自動運転モードの時、そこは緑色に光るようになっている。


 今までアッシュが追い抜いてきた車は、全てそのパーツが緑に光っていた。


 ガベルが銃把を握り、狙いを定めながら言う。


「さっきの連中?」

「だろうな」

「随分としつこいね」

「礼儀知らずを熱烈歓迎だ」


 リズムに乗せながら、どこか楽し気に言ったアッシュをガベルは鼻で笑った。


「了解」


 彼が機関銃の引き金を引き、トンネルの中に銃声が反響する。列の一番前を走っていた車が容赦なく穴だらけされ、バッテリー部分から火を吹いて車列から脱落していく。


 その車を避け、二番目の車が加速した。目に見える勢いでカマロに急接近する。ガベルが照準を合わせ直すのと同時に、その車に乗っていた連中が車内からサブマシンガンを構え、私達に向けて弾丸をばら撒いた。


 ガベルは舌打ちして機関銃を放し、連中の射線と私との間に割って入る。咄嗟に顔と胸を覆い隠すように曲げた彼の鋼鉄の左腕が弾丸を何発か弾き返したが、致命傷を避けて飛んで来た弾丸が、彼の左のわき腹をかすめた。


「ぐッ……!」と彼は苦し気に息を詰まらせる。


「ガベル!」


 私は一瞬だけ力の抜けた彼の身体を潜り抜け、血が滲む脇腹を力いっぱい押さえた。シャツを貫通して、彼の着ているコートにまで血が染み渡っている。手の平が真っ赤になり、ヌルヌルとした感触に私の方が気を失いそうになるが、頭を振って堪えた。


「クソッ!」


 運転席のアッシュが口汚く罵声を上げる。ブレーキを踏んでカマロを減速させ、スーツの連中が乗った車を前方に出す。右手のレバーを動かしてから再度加速し、左手に持った銃を窓から突き出して、連中の車へ向けて乱射した。


 車外に身を乗り出したまま、弾を込め直していたスーツの一人に弾丸が命中し、その男は糸が切れた操り人形のように自動運転車から転がり落ちて来る。


 カマロが走行する車線の方へ転がって来たので、アッシュはハンドルを左に切り、連中の車の後ろについて人身事故を回避する。


「ガベルの様子は!?」


 運転席から大声が上がる。「血が出てる!」と答えようとした私をガベルが手で制し、柔らかな笑みを浮かべながら言った。


「大丈夫。かすり傷だよ」

「大丈夫って、こんなに血が出てるのに……」

「いつもの事さ。気にしないで」


 そう言った途端、彼は再び呻き声を上げた。ハイウェイのつなぎ目を乗り越え、車体がガタンと揺れたのだ。放しかけていた手をもう一度彼の傷口に押し当てようとすると、ガベルはその手を払いのけ、言った。


「いいから、自分の身を守る事を考えて!」


 彼に語気を強めて言われ、私はたじろぐ。車の前に目を向けると、運転席のアッシュが左手の拳銃を再び窓から外に突き出して、前の連中に応戦していた。


 相手の車内から、いくつかの銃口がこちらを向いているのが見える。アッシュが彼等に頭を出させないよう抑えているのだ。


 後ろに目を移す。カマロの少し後方から、また別の自動運転車が近づいて来るのが見えた。


 発光パーツの色は赤。敵だ。


 ガベルは座席の上に力なく足を伸ばし、カマロのピラーに背を預けている。が、私の視線の先を見て「クソッ」と舌打ちすると、機関銃の銃把を握ろうと身を起こした。


 私は息を大きく吸い込んで、そして吐いた。


 銃把に掛かろうとしていた彼の手を払いのけ、私は機関銃を握る。ガベルがやっていた構えを見よう見まねでやってみて、照準を合わせる。生まれてこの方、銃なんてものを触ったことが無いので、これで合っているのかはわからないが。


「お姉さん、何を――」

「いざと言う時、頼れるのは自分だけ。でしょ?」


 彼の真似をして笑ってみたつもりだが、上手くできたかどうかはわからない。


 でも、ガベルは思った通りの笑みを返してくれた。


 私は叫び声を上げながら、機関銃の引き金を引く。腕の中で五キロの鉄塊が暴れ回り、振動が頬を震えさせる。視界が上下左右に揺れ、まともに弾を飛ばせているのかもわからない。


 それでも引き金を引き続けているうちに、照準の先の車から火が噴き上がるのが見えた。小さな爆発と共にボンネットが跳ね上がり、みるみるうちに後方へ小さくなって行く。


「よし!」


 私は小さくガッツポーズを決め、それから重い機関銃を抱え上げた。それをほとんど引きずるようにして、先程までガベルが座っていた助手席に移動する。


「おっと、何だ?」


 拳銃を車内に戻し、器用に運転と再装填を同時にこなしていたアッシュが、突然前に来た私の方を見て言った。


「窓、割るよ」

 

 そう言った私が機関銃を携えてるのを見て、彼は私の意図を察してくれたようだ。


「上等じゃねえか」

 

 彼は私の方を見て、ニヤリと笑いながら言った。


 弾を込め直した左手の拳銃でフロントガラスを撃つ。一、二、三発撃ったところでガラスがヒビで真っ白になり、私はそこに機関銃を突き出す。フロントガラスが粉々に砕け散り、私は起こした二脚をカマロのボンネットの上に立てた。


 凄まじい風圧が私達を襲う。


 アッシュはジャケットのポケットからサングラスを取り出して掛けた。風が鬱陶しかったのだろう。


 再装填を終えたスーツの連中が、私達の方へ銃口を突き出しているのが見えた。


 私は一瞬息を呑み、意を決して引き金を引いた。鉄塊が再び暴れ出し、機関部からはじき出される薬莢が慣性に乗って車内へ流れ込んでくるが、気にしている暇はない。


 撃って、撃って、一心不乱に打ち続けた。


 ガチャン、と機関部から聞き覚えの無い音が上がる。その途端、機関銃がうんともすんとも言わなくなった。引き金を引いても反応なし。


「弾切れだ」


 助手席で私が焦っていると、アッシュが前を見ながら言った。


「上出来だ、嬢ちゃん」


 彼は続けて言う。私が前に視線を戻すと、穴だらけの自動運転車がフラフラと走っているのが見えた。まるで酔っ払いの千鳥足のようだ。


 アッシュは割れたフロントガラスから拳銃を突き出すと、前の車に向けて撃った。弾丸がタイヤを撃ち抜き、破裂音がトンネル内に響き渡る。


 スキール音と共に自動運転車の態勢が乱れ、トンネルの壁に突き刺さる。


 衝撃音。


 跳ね転がる車体を、アッシュは華麗なハンドル捌きで躱し、彼はカマロを加速させる。


 トンネルを抜け、音の反響が消える。その途端、私のすぐ右でヘリのローター音がやかましく鳴り響いた。


 私もアッシュも、後部座席のガベルもその音の方に目を向ける。


「軍用ヘリだと……?」


 アッシュが戸惑いを隠さずに言った。黒と灰色の迷彩柄を施したヘリコプターが、並走するようにカマロのすぐ隣を飛んでいるのが見えた。


 




 



 


 








 




 




 


 



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