第3話 燻り

「魔王様。実は、彼は――勇者が、人間共に処刑されました。魔人国家への侵略を止めた事で、国家反逆罪に問われたと」


 ほんの僅かな時間、漏らした本音などはまるでなかったかのように、宰相イェレは再び報告を述べていた。その中で、魔王の知らぬ世情せじょうを知らせるつもりで、彼はそう告げた。ほんの僅かな躊躇が見られた。


「ああ、それは私も知っている」


 魔王はそれを、穏やかな表情のまま受け止めると、少しばかり顔をしかめ述べた。


「なんと、ご存知だったとは――さすが魔王様」

「私が、こうしてこんなにも早く復活出来たのは、その勇者のお陰だ」

「んな……!?」


 魔王がそう告げた途端にだった。イェレは目を見開き、驚きの声を上げた。どうやら彼は、久々の魔王との対談に気が緩んでいるようだ。切れるナイフのような宰相の姿は、今や息をひそめている。そのように感情をあらわにしてしまうほど、彼は随分と驚愕きょうがくしたようだった。

 彼のそのような反応を横目で見ながら、魔王は更に続けた。


「勇者は、その力――魂、とでも言うのか? それが私の元へと流れ着いたのだ。奴とは何度も相見あいまみえた。すぐに、その力が勇者のものだと……エドヴァルドのものだと分かった。あんなに、私を殺す程の力を持った男が、そう易々やすやすられるわけが無い。あの場で私の願いを聞き入れてしまうような人間だ。裏切られ、あのようなものになったと推測するのは容易たやすかった」


 イェレは何も言葉を挟まず、ただそれを黙って耳を傾けていた。何かを耐えるように。あるいは、何かに気付いてしまったかのように。


「私はアレの名を呼んだ。アレに、呼び掛けたのだ。意識なんてものは無いだろうに、アレは私に応えた。力を、私にゆだねたのだ。単なる偶然ではないだろう。覚えのある私の気配に引き寄せられたのやも。

 今、アレは私の中で眠りについている。まだ、からだを与えるだけの余力が私には無い。だが――すぐに、取り戻す。そうすればアレは、もう私のものだ。誰にも渡さん」


 語って聞かせたその声は、まるで夢見心地のようだった。何かを思い出すように目を細めながら、魔王は更に続けて言った。


「もう二度と、人間の元へは返さん」


 そう言って、どこか嬉しそうに言った魔王の姿に、イェレは何とも言えない表情を浮かべた。


 彼等魔人にとって、勇者はかたきなのだ。勇者達には大勢の仲間を殺された。家族を、街を奪われた者だっている。例えそれが勇者にとって不本意な戦いだったとしても、逆らえずに仕方なくやったと言われたとしても、そう簡単に割り切れるものではない。

 しかし一歩で。ほろびの一歩手前まで追い詰められた彼ら魔人達が、イェレ達がこうして生きて居られるのはしかし、その勇者のお陰でもあるのだ。勇者の目的は魔王のみ、戦場で歯向かわなければ逃げても追うまい、と確かにそう言ったのは勇者だったのだ。イェレの複雑な気持ちは、とても言葉に表す事などできやしない。


 ただそうであっても。

 この戦いで最も苦しんだはずの魔王が、その勇者を受け入れているのだ。それ以上、イェレが魔王に対してかけられる言葉は無かった。イェレはなんとも言えない気分でその場にたたずみながら、魔王の命令を待った。

 例え魔王がどのような判断を下したとしても、イェレはそれをただ実行に移すだけ。それがどんなに自分に不本意なものだとしても、宰相イェレは必ずやり遂げてみせるのである。



 イェレの去った寝室で魔王アレクシスは、その顔に疲れをにじませつつも考えていた。

 イェレや魔人達の思いは知っている。多くの仲間を失い、家を失い、哀しみに暮れながらも必死に生き抜いてきたはず。そこまで自分たちを追い込んだのは、紛れも無い勇者の存在だ。彼が居たからこそ、彼等はここまで苦しい思いをした。もちろん、アレクシスもそれは理解している。


 だが、理解しているにも関わらず。魔王アレクシスは勇者エドヴァルドを憎めなかったのだ。

 世界の希望として向かわされ、個を殺し心を殺し、歯向かう者共を皆殺して魔王すらも殺し尽くしたそんな男が、どうしようもなく可哀想で仕方なかった。あんなに苦しそうな顔で、魔王に剣を突き立てたその姿はまるで。自分に剣を突き立てているかのようで。アレクシスはどうしてだか、その表情を忘れる事が出来なかったのである。

 それが今、自分の中にいる。それはとても、幸運のように、あるいは運命のように思えてならなかった。

 自室でひとり夢見心地に目を閉じながら、体の中のその気配に意識を傾けるのだった。



◇ ◇ ◇



 彼はその時、肌に当たるなにかを感じて、意識が浮上していくのを自覚した。

 ふわふわとした心地好さがずっと続いていた。そんな中、その微睡まどろみから彼を引き離す者があったのだ。少しだけ億劫おっくうに思うも、そろそろここを出ていかなければならないと、そんな自覚があった。

 まるでからだを引っ張られるかのように、意識がどんどん浮上していく。彼の向かう先は、もうすぐそこだった。浮上すればするほど、彼の視界が途端に明るくなる――



「エドヴァルド」


 柔らかい声に誘われるがまま、彼はそっと目を開けた。まず彼の目に映り込んできたのは、真っ黒な美しい長髪を垂らし、切長の目から真紅色を怪しく輝かせる美丈夫びじょうふの顔だった。

 はて、この人は一体誰だったか。彼の頭は何故だかひどく重く、ろくに動きもしなかった。ぐるぐると回る視界と同じように、堂々巡どうどうめぐりを繰り返す。この男を知っているが知らない、そんな、ロクに回らない頭を必死に働かせつつ、彼は何度もその目をまたたいた。

 これほどまでに美しい人間、一度見たら忘れるはずもないのに。不思議とさっぱり思い出せなかった。見覚えはあるのだ。ただ、思い出せないだけ。思い出さなければならない気がするのに、思い出せない。

 彼はそれが勿体無くて歯痒くて、眉間にしわを寄せたのだった。

 そのような彼の様子が随分ずいぶんとおかしかったのか、目の前の男は唐突にフッと笑みを浮かべた。優しげな、労わるような眼差しだった。


「寝起きにそのような顔をするものではない。今までお前は肉体を失っていたのだ、記憶すらなくても無理もない。私の事は、ゆっくり思い出せば――否、思い出さなくても良いのだ。ずっと、忘れたままでも良い。過去など思い出さずとも良い。お前はそのままでいれば良いのだ」


 言われると同時に、彼の額には口付けが落とされた。突然の事に何をされたのか理解すら出来なくて、けれども彼は、衝動のままに口を開いた。


「お――、いっ――、――?」


 俺は一体、どうなってしまっているのか。そう問おうとした彼の口からは、ただ、空気の吐き出されるようなガラガラとした音が少し漏れただけだった。声が出なかった。


「今、言っただろう。お前はつい先程まで肉体を失っていたのだ。肉体と魂との繋がりもまだ完全ではない。無理に動こうとしてはいけない。しばらく安静にしていろ」

「そ――」


 そうか、と音にならない言葉を呟きながら、彼はゆっくりと力を抜いた。そんな彼の様子にホッとしたような表情を浮かべると、男はそして彼に問い掛けた。


「ところでなんだが……お前の名はエドヴァルドだ。分かるか?」


 聞かれてふと考えた。だが今の彼には、一切の――生き返る前の記憶がない。己の名前すら、思い出すことは叶わない。自分のものだとは思えないその名前に、彼は頭を横に振った。

 男はそうか、と少しだけ残念そうな顔をした。思い出さずとも良い、そう言ったはずの男はしかし、どこか寂しそうにも見えた。

 男は、そんな気配を誤魔化すかのように、彼の頭を優しく撫でながら言う。


「ともかく、今は何も考えずにゆっくり休むのだ。お前は、良くやってくれた――我が、恩人よ」


 そう言って、男は横になっている彼のひたいにそっと口付けを落とす。それを微睡んだ中で受け止めながら、彼は胸の内にギュッとした奇妙な感覚を覚える。その感情が一体何だったか。思い出しそうで思い出せなくて、彼はひどく不安定な気分を味わった。


 しばらくそうしていた男は、散々彼の頭を撫でたかと思うと。何かに気付いたように意識を扉の向こうへと向け。彼に行ってくる、と告げると、その部屋から出て行ってしまったのだった。

 それを寂しく思う。男は離れていってしまったものの、変わらず彼の心は暖かかった。今はそれだけで十分だと思えたのだ。



 男が出て行った扉をぼんやりと眺めながら、しかし彼はひとつ、気が付いてしまった。

 ドロドロとした汚らしい感情が、自分の奥底に眠っていることを。これは多分、絶対に消える事はないだろう。何もかも消してしまえ、破壊しろ、人間を殺せ、一人残らずと、そううめくような小さな声が。

 何も思い出せないのにも関わらず、彼はそれが、自分の心からの叫びである事だけは理解できた。

 チリチリと焼け付くような胸の違和感はやがてハッキリと形を現すに違いない。それは、遠くない未来の予感だった。

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