Dream restart

鈴ノ木 鈴ノ子

Dream restart

時代が移り変わっても営みは変わらない。

 平成の御代が終わり、令和の御代が始まって数年が過ぎているが、生活にそれほど影響を与えることはない。

 それよりも新型の感染症によって起こる欠員と補充に明け暮れる日々に少々嫌気がしていた。

 医療従事者の義務感と良心に縋り、それを当たり前のように享受する世の中、バタバタと同僚が疲弊して倒れていくさまは見ていて痛々しいく、巣立ったばかりの若鳥達はその羽を大きく羽ばたかせる前にこの坩堝へと堕ちていく、同僚や若鳥からその大切な姿や命の灯明が消えたこともあった。

 東京という大都市圏でこのような状況なのだから、地方はさらに状況は過酷だ。大学を出て地方へと就職した同期達のさながら怨嗟のような話を聞くたびに、今の環境はまだ恵まれているのだと思い込んでしまうが、それは所詮、そう思い込みたいだけかもしれない。

 

 そんなことをふと考えた帰り道に住宅地の合間に細い路地が目についた。

 

 路地口にお皿型の少し錆びのある雨除けをつけた裸電球の街路灯の光がスポットライトのように地面を照らしている。

 ブロック塀に囲まれた路地は遠くまで長く伸びており、両脇に建つ家々から夕食時のやさしい香りが漂ってきていた。なんとも言い表すことのできない感情が日頃の疲れた心と身体から溢れてきて、緩んだ涙腺から涙しそうになるのを唇にギュッと力を入れて堪えたると、不意に路地の奥から私に呼びかける声が聞こえてきた。


「おーい」


 声の先に私のよく知っている懐かしい面影が居た、遊びすぎたためか薄汚れた体操服を着てショートカットの短い黒髪が特徴の幼い頃の私が、こちらへ手招きしながら呼んでいる。


「おねーさん、こっち、こっち」


 その手招きに誘われるかのように私は裏路地へと足を踏み入れ歩いてゆく。

 アスファルトでできていた路地は途中から砂利道となり、やがて土埃を少し上げる踏み固められた野晒しの地面になっていった。


「ようこそ、おねーさん」


 幼い私が嬉しそうにそう言って私の手をしっかりと握ってきた。

 その柔らかい温もりが、少し前に若い命を見送った手を温かく包んでくれる。その温かさに縋るように思わず優しく包み返すと幼い私は満遍の笑みを讃え嬉しそうに笑った。

 

「元気ないね、おねーさん」


 幼い私が体操着のポケットに手を入れて何かを探し始めた。この頃にはよくポケットには飴玉が入っていたことを思い出して、私はゴソゴソと探しものをする幼い私から視線を外してあたりを見渡した。


 夕日の落ち始めた遠くの山々とそこからまるで伸びるように広がる芒の野原が一面に広がっていた。黄金色の光に照らされて穂先を揺らす芒たちが風にそよぎ、虫たちの音色があちらこちらから聞こえてきている。川のせせらぎが遠くから細く水音を上げては、少し冷たい風が私の元へと届けてくる。

 

 哀愁漂う風景に心の琴線が音を奏ると頬から滴が流れてきた。


「どうしたの?おねーさん?、泣かないで元気出して、これ食べたら元気でるよ」


 幼い私が心配そうな顔でこちらを見つめ、ポケットからようやく探し出したヨレヨレの手のひらほどの小さな紙袋を差し出してきた。幼い頃によく行っていた駄菓子屋でバラ売りの菓子を買うたびに、今は亡き店主のよしばあちゃんはこの手作りの小さな紙袋に菓子を詰めてくれた。

 紙袋を受け取った私が小さな紙袋から取り出したのは、砂糖を塗した水色の飴玉だった。水色のお気に入りの飴玉だ。


「どーぞ、舐めたら元気でるよ」


 幼い私のことだからきっと食べるまでしつこく言うであろう、お礼を言って受け取るとそのまま口へと運ぶ。


 甘露が舌の上を優しく撫でてゆき、久しく食べていなかった懐かしい飴玉の味が広がった。


「美味しいでしょ、お気に入りなんだよ」


 和かに笑う幼い私に私も頷いて笑った。


「景色も綺麗でしょ!元気の出る風景だよ」


 芒の野原に顔を向けた幼い私がそう言ったので、私は物悲しさが漂う風景ではないかなと分かりやすく伝えたところ、小さな首をゆっくりと左右へ振る。

 その仕草はちょっと自慢げでもあった。


「おねーさんもさっきの私と同じだね。でもね、違うんだよ。よしばあちゃんがね、この景色は夢を叶える景色なんだって教えてくれたの。芒さんも夢を叶えたから実をつけた柔らかいふわふわになったり、虫さんは夢を叶えるために鳴いて頑張ってるから綺麗な音色になるんだって。あとね、虫さんは鳴いて彼女を探してるんだって・・・」


 恥ずかしそうに頬を染めた幼い私の言葉に思わず頬が緩む。

 そうだ、この頃初恋の男の子がいた。

 物静かで本ばかりを読んでいる気難しそうな男の子、それでいて間違ったことが大嫌いで、年上だろうと食ってかかる一面を持った子だ。初恋は男の子の転校によって実りはしなかったけれど、社会人となって暫くして偶然の出会いによって前進しやがて実を結んだ。でも、ここのところの忙しさなどによって、小さなすれ違いが微妙な歪みを生じさせている。


 好きな子がいるのかな?と幼い私に聞いてみると顔を染めた幼い私が頷いた。


「うん、いるの。本ばかり読んでる子だけど、やさしくて、すごく頑張る子なの」


 そうだったと思い出した。今も昔もそれは変わっていない。

 幼い私は真剣にそして楽しそうに身近に起こった話を取り止めもなく話しては、今の生活を忘れさせてあの頃の楽しかった記憶を私の中で次々と甦らせてゆく。色褪せることのない懐かしい過去があの頃の私の口から語られていくたびに記憶の上映会は加速度的にフィルムを進めて映し出していくのだった。

 初めての入学式から運動会、学芸会などなどの話を聞いていく中で幼い私の言葉が輝きを見せた。


「今日ね、なりたいものを見つけたの!」


 そう言って膝小僧についている包帯を指さした。

 ああ、そうだった。

 学校で派手に転んで怪我をした私は、学校の先生と母親と一緒に近所の医院へ行ったのだ。泣くのを我慢して処置を受けて受けて、ひと段落してほっとしながら待合室で待っていると処置にいた看護師さんが駆け寄ってきて、子供用のシールと頑張ったことを頭を撫でて優しい笑顔で褒めてくれた。

 ただ、褒めてくれた。

 ただ、それだけだったのに、その姿は幼い私の心を打ったのだ。


 それが夢の始まりだった。忙しさに忙殺されて忘れてかけていたが、しっかりと思い出すことができた。


「あ、そろそろ帰らないと」


 いつの間にか日が落ちかかっていた。

 辺りは薄闇に包まれ始めて、虫の音色がさらに数を増して鳴いている。

 気をつけて帰りなさいと幼い私に言いながら頭を撫でる。柔らかな髪の感触も懐かしい。

 幼い私は頷くと互いに手を振り合って、私は路地へと、幼い私は別の道を歩いていく。


「あ、おねーさん!」


 少しして大声が聞こえてきたので振り返ると幼い私がこちらへと叫んでいた。


「おねーさんは、なんのお仕事をしてるの!」


 元気の良い声がそう問いかけてきた。


「私はね、看護師をしてるよ!」


 久しぶりに叫んだその言葉に、少しだけ、誇りを感じた気がした。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Dream restart 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ