盲点
出産、というのは要するに需要と供給の問題なのだと思う。需要も無いのに供給が続けば余りが出るのは自明のことで、それは家庭規模でも国家規模でも同じことだ。この供給過剰の現状を誰にも止めることが出来ない以上、この国は崩壊するしか道が無い。
……僕を含め、同年代の子供はその煽りを食らって完全に飢えている。皆、バランスを考慮しなかった上の世代の人間が悪いのだ。恨んでも恨み切れない。
そもそもどうしてそんなことになったか、今からそれを説明しよう。
女性一人当たりが一生涯に生む子供の数の平均を平均出生率と言うのだが、この国のそれは三〇年前、一・二八だった。動物は番にならなければ子供を生めないから、つまりこれは夫婦二人で一・二八人生むということで、少々頭の回る国民なら気付くと思うが、このままいけば人口は着々と減少の一途を辿ってしまう。
これに危惧を抱いた政府は、子供一人当たり幾らの給付金を世帯主に送るよ、とか育児休暇のシステムを充実させるよ、とか、付け焼刃というのもおこがましい施策で乗り切ろうとしたが、奏功するはずもない。いっそのこと避妊具の生産を中止して若年層にもじゃんじゃん淫行を推奨すればいいんじゃないかと思わず口走った政治家が、大ブーイングを浴びて陳謝する憂き目にあっていたが、強ち間違ったことを言ってはいなかったのでないかと僕は思っている。子供が必要なら、本当にそれだけのことでよかったのだ。国家総出で悪魔と取引なんてする必要なかった。
そもそも、テレビによく出ていた塩野義とか言う霊媒系芸能人が発端となって動き出す国家プロジェクトという時点で実に胡散臭かった。その霊媒系芸能人の背後にどんな権力があったのか今となっては想像することしか出来ないが、ロクでもない利権が絡んでいたことは間違いあるまい。彼は最初から主婦のカリスマであっただけでなく、脱サラして現職についたという経歴からサラリーマンのシンパシーも集め、演歌を歌って老年層の人気も掻っ攫い、看板番組で若手タレントと絡み始めるとあっという間に若年層にも浸透し、挙句にアニメ化されて子供達のヒーローとなった。全く馬鹿げている。出来すぎた人気者だったわけだ。
ともかく、その彼が中心となって、少子化に歯止めを食い止めるためにあの世の何たらかんたらという長い名前の神様に皆でお祈りしましょうという企画が始まり、気が付けば国会のお偉いさんまで関わっており、あれよあれよと全国的なムーブメントになったまでは良かったが、国家の正式な政治活動に位置付けられていることに違和を覚える常識人が一人もいなかったことがこの国の命運を分けた。
実はその何たらかんたらという長い名前の神様は悪魔なんですよ、とその霊媒系芸能人がにやにや笑いながら口にした時には何もかもが手遅れで、取引はもう成立しましたから、と発表された時には既にその現象は始まっていた。
悪魔は確かにこの国の少子化に歯止めをかけてくれたが、代償として国から一人っ子の可能性を完全に奪い去った。
つまり、生まれて来るのが双子ばかりになったのだ。
次の年、平均出生率は一・二八から二・八〇に上昇した。それを喜ぶ国民は当然一人もいない。一度の妊娠で二人生まれて来るため、国民の負担は想像以上に増加した。
霊媒系芸能人はいつの間にかメディアから消え、おそらくこの世からも消されているだろうと思われたが、誰もその行方を気にする者はいなかった。
双子しか妊娠出来ないという悪魔の呪いが国民に知れ渡ると、それまで以上に妊娠に対して警戒心が高まり、翌年には平均出生率が二・二二まで減少したものの、悪魔はその傾向にいたく立腹したらしい。
その翌年、妊婦からは三つ子しか生まれてこなくなった。
さらに翌年、妊婦からは四つ子しか生まれてこなくなった。
生活苦を理由に心中を図る家族が激増した。子供を生む家庭は親が若い場合が多いので、この問題は深刻だった。政府は、『子供シェアリング』というロクでもない政策を打ち出したが、出産家庭の近所三軒で一人ずつ子供を受け持って育てろ、という乱暴なやり方には当然世論の賛同を得られず、早々に廃案された。後からなら何とでも言えるが、この時点で『子供シェアリング』の法案が通っていれば、まだことは穏便に済んだのだ。養子縁組の手続きの簡易化を強引に押し進めた点だけはかろうじて評価出来るが、政府は悪魔による呪いを舐めていたとしか思えない。
出産によって生まれるのが五つ子だけになると、出産時の負担から亡くなる妊婦の割合が激増した。これは洒落にならない。幸運というべきか不運というべきか、流産や死産の症例は何故か皆無となっており、国民に占める嬰児の率ばかりが増大して行く。
無論、医療業界も黙っていたわけではない。
妊娠初期に胎児を一人だけ残して残りを堕胎するという単純なやり口で解決する問題だと思われたのだが、何故かこれが上手くいかない。母体内では生理学的連結でもって全ての胎児が胎盤と血管を共有しており、以下数十枚に渡る小難しい話を一言で纏めれば、要は全員一蓮托生なのである。よりによってこれが分娩直前まで続き、つまるところ生まれて来るのはゼロか五か、という究極の選択を余儀無くされるわけである。
人工受精、所謂試験管ベビーという奴で多胎を切り抜けようと考える者は多かった。だが、本質的に過排卵によってただでさえ多胎しやすいところ、呪いまで加わればまさに鬼に金棒である。人工受精による妊娠は、国民に一〇〇パーセントの多胎を強く印象付けさせただけであった。
医学者も手を拱いていたわけではないのだが、何よりその現象が『悪魔の呪い』という非科学の極みに由来する事象だというのがいただけない。取っ掛かりすら掴めず、サジを投げるしかない。
この時点で平均出生率は四・六八。出産回数で考えれば一・二八の年を大幅に下回っている。
翌年、生まれて来るのは六つ子ばかりになった。
あらゆる専門医はこぞって産婦人科への転属を始めた。国民は余程のことがなければ出産に踏み切らないため、実に残念なことに堕胎件数が急増したのだ。産婦人科は濡れ手で粟状態である。
当然、里子やら養子縁組やらの出願件数も増加の一途を辿っている。養子に出す方も貰う方も、お互いに説明し得ない微妙な悔しさを抱えており、売り手市場とも買い手市場とも言えない曖昧な均衡があったが、まともなやり取りが交わされている間はまだ良かった。
その内、金満家が金に飽かせて愛人に子供を孕ませた挙句、養子を斡旋して裏金をせしめるなど、人身売買紛いの取引が始まると、さすがに法整備が進められ、業者の摘発が行われるようになった。これ自体に問題は無かったはずだが、あまりにもドラスティックに展開が進んだため養子縁組に対する世間のイメージが一挙に低下し、表立ったやり口での里子制度が完全に煽りを食って沈黙した。
捨て子が増え、身寄りの無い子供を育てる施設が次々に経営難に喘ぎ、潰れて行った。
生まれて来る六つ子が七つ子になり、七つ子が八つ子になり、八つ子が九つ子になった辺りで、平均出生率は二を割った。子供を生む女性は奇特な存在となった。もしかしたら一子だけ妊娠するかもしれない、という儚い希望に縋って孕んだ者も、超音波診断で多胎が発覚するとすぐに堕胎した。九つ子ともなると、母体への負担は筆舌に尽くしがたい。妊婦の産後生存率は絶望的に低かった。出産はまさに一世一代の大イベントだった。鮭のような生き方だ、と揶揄された。
呪いの効果がこの国の国民に限られていることは明らかで、国際結婚をした夫婦で妻が外国人のケースのみ、通常の妊娠が成立した。未婚男性はこぞって外国籍の女性を求めた。当然女性は、外国籍を求めた。皮肉なことに、この国の人口は減少の一途を辿った。
ところが、九つ子が十子になって、ようやく多胎の悪夢は終息を見せた。妊娠する胎児の数が一定でなくなったのだ。一から十まで全ての可能性が一律に提示された。
普通に考えれば分の悪い賭けだった。平均して五つ子が生まれて来る妊娠など、危険極まりない。だが、必ず九つ子を孕む状況より余程ましだ。この国の夫婦はここぞとばかり一斉に子作りに励んだ。超音波診断であまりに胎児が多過ぎた場合は堕胎したが、大抵の場合、三つ子以下なら手を打った。これまでの反動もあり、出産件数は激増し、結果的に平均出生率も飛躍的に増大した。むしろ単純に、この年に生まれた子供の数だけが異常に増加したのだ。あまり芳しくないベビーブームである。
この傾向は以降も続き、この国は数字の上では少子化の危機から完全に救われた。何しろ最低の時期から比べれば年間に生まれて来る子供は三倍以上になっているのである。人口の減少にも歯止めがかかり、むしろ一時期は多子化が問題視されたほどだ。
現在の平均出生率は三・五六。若干高過ぎるきらいはあるが、この数値を問題視する向きは無い。総体的な需要と供給のバランスは、際どいながらも保たれていると言えよう。
しかしながら、この国の問題は何一つ解決していない。むしろ、悪化の一途を辿っている。総合的な数字では見えないところに、手のつけられない異常事態があるからだ。
詳細に触れれば、それは一目瞭然である。
今年度の新生児出生数は三,八九五,六五四人。
うち、女児〇人。
国民の多胎化と同時期に、この国には女の子が生まれなくなっていたのだ。無論医療業界は黙っていなかったが、未だに改善されていないという事実が『悪魔の呪い』に対する医療の無力を何より雄弁に語っている。
……僕は生まれてこのかた、自分より年下のこの国の女性を見たことがない。たぶん、これからも見る機会はないだろう。何しろハーフの絲子ちゃんは決して綺麗な顔立ちとは言えないけど、町内唯一の女の子だという理由だけで小学校でモテモテだ。僕だって、残念ながら彼女の争奪戦に加わるしか道が無い。
もうおわかりだろう。出産とは要するに需要と供給の問題だ。この国はとにかく男子が供給過剰であり、若年男子がひたすら余っている。……バランスを考えなかった上の世代のせいで、僕達は常に女に飢えているのだ。
(了)
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