疑似家族・他9編
今迫直弥
疑似家族
これから語るのは俺の夢の話だ。個人的には人並みだと思っているのだが、君達には荒唐無稽に聞こえるかもしれない。と、いうのも……
「かわせ! 親父!」
俺はそう叫んだ。大柄な親父は機敏な反応を見せ、咄嗟に後ろに身を引いた。その目の前を放たれた矢が猛スピードで掠めていく。
「やったぜ、親父!」
俺は快哉を叫んで親父に近付いた。
「あんな速い矢をかわすなんて凄いよ、親父!」
「ふっ、あんなの、口ほどにもないわい」
親父は照れ臭そうに、その実誇らしげに長い口髭を軽く撫でた。調子の良いことを言っているのは、まだまだ余裕のある証拠だ。
ざっざっざ、という砂を噛むような足音と共に、矢を撃った敵がのこのこと現れ出た。見た感じそいつはゾンビだった。差別はいけないとわかっているものの、ビジュアル的に非常に気持ち悪い。
「おぬし、なかなかやるな。しかし、油断は禁物だ。上には上がいるものだぞ」
ゾンビは妙に空威張りし、忠告めいたことを口にした。俺と親父は顔を見合わせた。
「何を抜かすか。いくら『上』がいたところで、それがお前ではない以上、負けはせんわ!」
親父は対抗するように言い放った。虚勢を張っているわけではなく、おそらくそれが本心なのだろう。
ゾンビはにやりと、いかにも意味ありげな笑いを浮かべた。
「それはどうかな」
致命的なことに、俺にはその笑いの意味がわからなかった。
次の瞬間、ゾンビのいる方向とは全く反対側から、初速二〇メートル毎秒を越えるスピードで放たれたと思しき矢がすっ飛んできた。
誰も反応出来なかった。
矢は、見事に親父の首に突き刺さった。親父の術式であるところの『対攻撃的飛道具用絶対安全装置付防御壁・バージョン二一八』はあっさり貫通したらしい。緊急時に役立たずして、何が絶対安全装置か。
「ぐあっ!」
短いうめき声をあげてその場に崩れ落ちる親父。血糊が粘性を持ってぬらりと広がって行く。水捌けはあまり良くないらしい。
呆然としていると、矢の来た方向からもう一体、別のゾンビがひょっこりと顔を出した。グロテスクな顔に、目一杯の歓喜の表情を張り付かせている。
「くっくっく、敵を一人だと思ったのが間違いだったな」
「畜生!」
俺は吐き捨てるように叫んだ。相手の言うことも尤もだった。武器を持った敵と呑気に会話などしたことが、そもそもの誤りなのだ。奴らは敵なのだから、敵対すべきだった。しくじりを悔いた。怒りに我を忘れ、ゾンビに突進しそうになった。
その時、そんな浅はかな俺を諌める様に、かすかな声が聞こえた。
「む、息子よ……」
なんということか! 首筋を矢で貫通されながら、親父はまだ生きていたのだ! さすがは俺の親父だ。健康だけを取り柄として無駄に長生きしてきたわけではない。
「息子よ、これからも親父を誇りに思い、明朗、快活、健康をモットーに、清く正しく健やかな生活を送ることを忘れずに、どうにかこうにか生きろ。咄咄怪事(非常に奇怪なこと、の意)がお前に襲い掛かろうとも、勇敢なる勇気をもって立ち向かい、知っている知恵をもって解決し、話に尾鰭をつけて誇張して回るのだ。そうすればお前のするべきことが自ずと自動的にわかってくる……はずだ」
親父は、含蓄のない耳障りな説法を一頻り披露した後、がくりと項垂れて動きを止めた。呼吸もやめた。
「うわああああああ!」
俺は絶叫した! 親の無念は子が晴らさねばならない。それは、人間が文明を持つより遥か以前、火の使い方に右往左往していた時期からの厳格な決まりごとだった。俺は、強烈な義務感に駆られた。立ち上がるなら今しかない!
「縦横無尽に天つ原を駆け渡る勇猛果敢な幾千万の英雄達よ! その堅忍不抜の魂をもって、我に力を貸し与えん!」
台本通りに意味のわからない文句を口走り、腰に鞘差した聖剣を抜き放つ。ぎらりと鋼の刃が剣呑な光を撒き散らした。あまりにも多くの魔物の血を吸って、禍々しいオーラが透けて見える。もはやどこが聖なる剣なのかはついぞわからないが、名は体を表すという諺を信じるしかない。不死のゾンビにも有効な、酔いどれ神父による洗礼を受けた武器であることを願うのみだ。
不思議と、迷いはない。
「覚悟せよ、呪わしく醜い三流不死者どもよ!」
気合一閃、俺は上段の構えで二体のゾンビに向かって突進を開始した。一秒後、一刀の元に切り捨てられているだろう二体の末路を考えてほくそえむ。悠々と決めのポーズをとる自分に一足早く酔う。
雑念を振り払う必要すらなく、戦いは終わるはずだった。
――ところが。
「ちょっと待ったああああああ!」
鼓膜が破れるかと思わんばかりの喧しい声が辺りに轟いた。俺は突進を中断し、全てを台無しにした元凶の姿を探した。即座に見つかった。彼奴は俺のすぐ背後にいた。その姿を確認し、睨みつけるつもりだった目が、大きく見開かれる。
「わしはこのくらいでは死なん」
なんと、親父が首に矢が刺さったままの状態で立ち上がっていたのだ。心なしか顔面が蒼ざめているが、大勢に影響はないようだ。
「親父……」
呆然と呟く俺。おそらく俺も顔面が蒼ざめている。ただそれは、断じて心臓が止まっているせいではなかった。早速襲い掛かった咄咄怪事に度肝を抜かれたためだ。勇敢なる勇気をもって立ち向かい、知っている知恵をもって解決を図ることとする。
そんな折、黙って成り行きを見守っていたゾンビの一人が脈絡なくその場にひれ伏した。頭を地面に擦りつけながら言う。
「も、もしやあなたは、伝説の
もう一人のゾンビもその言葉を聞き、慌てて相棒に従って平身低頭する。
おいおい、どういうことだ。伝説のアンデッド様って何だ? 俺にはさっぱり状況が読めないが、どうも親父の位置付けがゾンビより上位にあるらしいことだけはわかった。
「ふふふ、その通りだ。今頃気付いたか、痴れ者めが!」
親父はノリノリだ。ゾンビ二人の前に、王者の如き風格で君臨している。くるりと俺の方を向いて言った。
「どうだ息子よ、びっくりしたかい?」
「びっくりしたかい、じゃねえよ!」
俺は声を荒らげた。詐欺だ、こいつは詐欺だ。どうして俺の親父が伝説のアンデッド様なんだ! 俺は生まれてこのかた正常な人間をやっていたはずなのに!
ただでさえ空回り気味の脳をフル回転させて思考した。この場をどう切り抜ければ良いのか、無い知恵を絞って考えた。文字通り必死の俺は、不死者に囲まれて唸った。
恐るべきことに、二秒と経たずに解答は見つかった。奇抜な発想が、ピンと音をたてて一つの結論にまとまったのだ。
「そうか。ゾンビの親玉とわかった今、お前は俺の親父なんかじゃない! むしろ敵なのだ」
俺は、左手の人差し指で親父を指差しながら、きざに告げた。右手の聖剣は肩に担いでいる。決めポーズの一つだった。
あまりに突然な俺の翻意に唖然としている親父。
俺の二つのまなこはその隙を決して見逃さない。
チャンスだ! 勝機と書いて、チャンスだ!
俺は聖剣を両手でむんずと握り、青眼の構えで親父に向かって猛進した。呼応するように聖剣から重さが消え、伝説の力が伝説たる圧力を持って刃に宿り加速させる。
「お命頂戴!」
ズシャ。
剣を振り下ろしざま、相手の真横を駆け抜ける。
肉を切り、骨を断ち、まさしく一刀両断。斬った感触は軽すぎて、いまいち覚えていない。気付いた時には返り血に塗れ、真っ赤な血を滴らせた聖剣を片手に放心したように立ち竦んでいた。
振り返る。鈍い色をした空気が、淀むように俺の周囲に渦巻いている。渦巻くように淀んでいる。どちらにしろ矛盾している。
親父は、血の海の中で二つになって倒れ伏していた。その姿を見たゾンビは、ただでさえ悪い顔色をさらに悪化させ、
「今日のところはこのくらいで許してやるぜ」
と、わかりやすい捨てゼリフを吐いて風のように去って行った。俺はその背に向けて手持ちの機関銃を乱射して憂さを晴らすと、我に返って親父の二つの体に対峙した。
忌まわしき聖剣は、どうやら不死者にも効果を発揮したらしい。親父は今度こそ本当に致命傷を負ったようだった。
二度目のダイイングメッセージを遺そうと上半身が苦心している。
「む、息子よ。か、身体には気をつけなさい。汗をかいたらしっかりと拭き、衛生管理には気を配ること。病気になって注射をうつ時でも出来るだけ泣かないこと。逆立ち健康法は眉唾ものだが、だからこそ実施する……こ……と。がくり」
首が力無く折れる擬態語を自分で口にしたのだから間違いない。親父は力尽きた。本当に死んでしまったようだ。
親父ぃぃぃぃ!
本来なら、親父の骸を抱いて大声で叫ばなければいけないところだったが、事情が事情だけに自粛した。ちなみにその事情とは、親父の死因が贔屓目に見ても俺の斬撃であること、これ以上血に塗れるのは御免であること、深夜の住宅街であまりにも近所迷惑が過ぎることの三点があげられる。
俺は、親父の服の裾で聖剣を綺麗に拭い、鞘に収めた。人の生き血を吸えたことで、心なしか剣も喜んでいるようだ。
体中にべったりと付着した血は、削岩機でその場を掘り返したら都合よく湧いて出た温泉で洗い流した。残念なことに温泉は五分で枯渇したが、なかなかいい湯だった。リウマチも快癒した。
湯冷め対策のストレッチが終わったところで、俺は目的地の盆地を目指して北北東に進路をとった。験を担いで、静かな道路を右足から歩き始める。
そういえば、突然思い出した。
五年くらい前のことだったろうか。俺がまだ司法書士として現役で活動していた頃だ。動く歩道を逆向きに歩いていると、前方からパンダの着ぐるみを来た奇想天外な奴がボウガンを構えながら走って来たのだ。ぬわあ、何事か、と身構えるよりも先に、そいつは俺に向けて引き金を引いた。あまりにも突然のことで対応に迷っていると、突然後ろから、
「横に跳べ、息子よ!」
という声が聞こえた。俺は咄嗟に右に跳び、おかげで致命傷を免れた。ボウガンの矢は俺の右腕に突き刺さるだけに留まったのだ。
「うぐっ」
慣れない痛みに悶絶している俺を放って、パンダ野郎は俺の真横を通り過ぎ、すぐ先にあるおいしいと評判のベーカリーに駆け込んだ。そのまま二度と出てこなかった。
俺に声をかけてくれた奴が走り寄って来た。あまりにも怪しげな風体で、間違いなく犯罪者か変質者だと思ってしまった。
「大丈夫か、息子よ」
そいつはそう言って俺の傷の手当てをしてくれた。ボウガンの矢を無理矢理抜いて、傷口をアルコール消毒してくれた。最初、それが食用酒かと思って憤慨してしまったが、正体はさらに悪くみりんだった。
俺は、感謝の念で胸がいっぱいになるより先にそいつの頭を力任せに殴りつけていた。中指の関節を痛めたが、今となっては良い思い出だ。
それが、俺が屠ったあの親父との最初の出会いだった。
……ああ、そうだった、そうだった。どうして忘れていたんだろう。つまり、あの親父は俺の父親を騙っていただけであり、実の親父などではなかったのだ。何しろ苗字からして違っている。親父は塩野義、俺は誉。
興醒めである。心の中で、俺のモラルの欠片が萎んで行くのがわかる。
俺は、自らを絶望の淵に叩き落とした親殺しというあまりにも罪深い行為にあっけなく赦しをいただいたことで、身も心も軽くなった。全てから解放されたような気分になり、欠伸混じりの涙を零した。こんな安心感を覚えたのは久しぶりだった。一五歳の誕生日に、突然俺が女であることを友人に指摘されて以来だった。その時初めて、X染色体を二つ持っていることの理由がわかったのだ。
俺は、心なしか歩くスピードを上げた。音の壁にぶつかるまで加速するつもりだったが、地平線の彼方から浮かび上がるように登場した何者かの姿がそれを思いとどまらせた。
「何だ、あれは」
俺は思わず呟いていた。九・八という驚異的な視力により、その『何者か』がどの程度の大きさなのか、すかさず判断することが出来た。
『身長一九八センチメートル、体重八七キロ、社交的な性格』
それが俺の出した答えだった。明らかに人間だった。オートボウガンを構え、こちらに時速一六キロメートルで接近を続けている。サルのお面をつけて漆黒のマントを羽織ってさえいなければ、すぐにでも通報されているところだろう。
何なのだろうか。やはりあいつも、『場当たり的乃至通り魔的乃至やつ当たり的暗殺行為を考案から実行に至るまで全て独力で成し遂げる委員会』通称『長すぎて名前覚えられない委員会』の手のものなのだろうか。
……いや、それはありえない。俺はすぐに首を横に振った。何故なら、そんな委員会はこの世に存在しないからだ。アンデッドや聖なる剣がこの世にないのと同じくらいに非現実的だ。
ともかく、もっと近付けば奴が何者であるかははっきりとするだろう。俺は警戒を滲ませながら足を進めた。
そして奴が俺との距離を三〇〇メートルまで縮めた時だった。奴の指先がオートボウガンの引き金を引くのがはっきりと見えた。各種メディアが殺到し、某テレビ局の独占生中継によって世界中に報道されたおかげだった。CM明けすぐだったので、俺も見逃さずに済んだ。ボウガンには明らかに殺人用の改良が加えられており、初速は通常の数倍に跳ね上がっている、と解説者が冷静に説明した。実況のアナウンサーの声は、矢が打ち出される音で掻き消された。
矢は、まるで最初からそうなる運命であったかのように、一直線に俺の心臓に向かって飛んできた。あまりに出来すぎていたので、これ自体が何らかの暗喩である疑いがあったし、巧妙な伏線が張られていたのではないかという期待もあった。だが、全く見当外れに終わった。純粋に俺を殺そうという腹づもりらしい。
すぐに避けることは出来た。そうでないなら、何のために俺が延々と長旅を続けて来たのか、という話になってくる。修行の成果を存分に見せつけてやらなければなるまい。
ところが、俺の気負いも虚しく、不意をつく声が俺の左側から聞こえてきた。
「右へ跳ぶんだ! 兄貴!」
可愛い弟の頼みとあっては無碍には出来ない。右には千尋の谷がぽっかりと口を開けており、飛び込めば命が無いことは明白だったけれども、正面からは矢も迫っている。俺には端から選択肢がないのかもしれない。
肝心の左側には、俺にアドヴァイスをくれた見たことのない弟の他にも、見たことのない妹と見たことのない兄と見たことのない姉と見たことのない母と見たことのない父と見たことのない祖父と見たことのない祖母と見たことのない叔父と見たことのない伯父と見たことのない叔母と見たことのない伯母と見たことのない従兄弟と見たことのない従姉妹と見たことのないはとこがそれぞれ二〇人ずつくらい、ずらっと並んで好き好きに喚声を上げている。揃いのTシャツを着ているはずなのに、勝手なジャンパーを羽織っているせいで全てが台無しになっていた。
ふと、これまでずっと胸に掻き抱いていた見覚えのない息子と娘のことが心配になった。目をやる。本当にいた。顔付きを見たら双子であることに気付いたが、そんなことはこの期に及んでどうでも良かったので、ひとまず千尋の谷に突き落とすことに決めた。谷底では俺の本当の家族が待っているに違いない。上手くキャッチしてくれるといいな。
「右へ跳ぶんだ! 兄貴!」
五月蝿い、わかってるって、弟よ。
たとえお前が俺よりどう見ても年上であってもお前は弟だし、俺がどう見ても女であっても俺は兄だ。
なあ、そうだろう。今はそれでいいんだ。
矢は迫る。実況が朗々とこの場の状況を説明している。俺の偽りの家族達が熱狂している。聖剣が血を求めて疼いている。どこかの国では飢えた子供がこの一秒にも死んでいる。俺は何も考えない。声に従ってただ右に跳ぶ。二人の子供を抱いて飛ぶ。
視界の隅で俺にボウガンを撃った相手がサルの仮面を剥いでいる。おどろおどろしいBGMと共に下から出て来たその顔は、何故か俺が殺した親父のものに瓜二つだった。ぼろぼろと涙を流している。号泣している。そいつの腕に注射針さえ刺さってなければ、俺も純粋に感動したことだろうさ。それくらいで泣くなよ。
親父が何か騒いでいる。残念だけれど聞こえない。
俺は耳を塞ぎ、目を瞑り、浮遊感に身を委ねている。
言うべきことは、何もない。それが俺の遺言だ。
漏れ聞こえてきた実況によると、ボウガンの矢は見事なヘアピンカーブを描いて親父の眉間に突き刺さったらしい。けれど、その時の俺には既にどうでもいい話だった。
……なんていう破天荒な現実を生きてきたこの俺が、今や『慎ましやかな家庭を築きたい』なんて薄幸な少女みたいな可愛い夢を夢見ているんだからな。
分不相応な願いだってことは、重々承知している。どうやっても実現不可能だ、なんて君達は思うかもしれない。
けれども、俺は絶対に諦めない。何故かって? 諦めなければ夢はいつか叶う。俺はそう信じているんだ。どうだ、たまには良いことも言うだろう?
……さて、これで満足したかい?
満足したのなら、みんなもう寝るんだ。明日の朝も早いぞ。無意味に四時起きだからな。
……お休み、俺の可愛い息子、そして娘。
さらには俺の五親等以内の血族を名乗る八百万の疑わしき民草よ。
安らかに、眠れ。
(了)
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