第3話 覚醒する私と呪いの核

 4日目、いよいよ約束の日が来た。


 緊張して奏を待つ。彼は白い導師服を着て庵にやってきた。


「覚悟はできたか?」


 3日、身体を清めながら考えた。生きたい。そう、素直に思える。奏の目をみて、ゆっくりと、確認するように頷く。


「では、手順を説明する。お前の腕から出ている黒い靄の様なもの、それが呪いの発する瘴気だ。見えているだろう」


「はい」


「死の際に近づく事で、瘴気が見える様になっている。では、その瘴気を押し返すことはできるか? お前は無意識に瘴気の進行を遅らせているが、身体の中の黒くて重いものが段々と膨らんでいるはずだ。それを腕の方に戻す。俺が符と呪で後押しする。身体から呪いが飛び出すときは激痛だろう。だがその時には決して声はださないこと。それに耐えて呪いを全て取り除く事ができれば解呪完了だ」


「そんな、いきなり言われても……!」


「心配するな。今のが大まかな流れだ。一つづつやっていくぞ。まず、いつもと同じ様に場を清め、符の上で調息を行う。できる限り清浄な場を作り、呪が留まりにくい環境をつくる。ここまではいいな」


「はい」


「次に、調息を行いながら、身体の中の澱みを感じろ。俺が同調して呪の境目に圧をかける。そこに意識を集中しろ」


 調息を行いながら、目を閉じて身体の内部に集中する。澱みがあるのはなんとなくわかるが、動かそうとしても手応えがない。いや、ないわけではないが、酷くもどかしい。身の丈ほどもある箸で豆粒を皿から皿に移している様な、長く垂らした糸で砂山を崩していく作業をしている様な感覚。


「熱くなるぞ、そこが境界だ」


 奏が背中に手を添える。肩口に熱い塊の様な感覚が産まれる。意識を向けるとさっきよりも手応えがあった。腕にむかって押していく。動く、だが、重い。


「動かせているな、ならばまず全身から肩より先に動かしていくぞ」


 奏の手が右足のつま先に触れる。そこから上にゆっくりと動かしていく。澱みはあまりないが、ないわけではない。奏の腕に合わせて、身体の熱を集める様に動かす。先ほどの大きな塊に比べれば随分と楽に動く。身体の中の余分な物を、溶けた飴を掬い取るようにねっとりと集めていく。腰まで動かすと、次は左足、右腕、頭。末端から胴に集めた澱みの塊を左腕に動かしていく。粘る塊を肩に集める頃には汗だくになっていた。息が荒い。


「よし、ここからは口を閉じていろ。ちと痛むぞ」


 左肩に集中した澱みの塊を動かす。鳥もちのように粘る、そして熱い。どんどん熱を持ってくる。肩からほんの僅か、小指ほどの距離を動かすのに全力を使った。ハアハアと息をつきながら、歯を食い縛る。肩に手を当てた奏が掌から後押しをするとズルリと澱みが動いた。奏が符を動かす。どうも、符は動かした澱みが戻らないようにする栓のような物らしい。何度か繰り返して、肘の先まで澱みを動かした頃には夕刻になっていた。肘から先は澱みを凝縮したせいか、真っ黒になっている。そして、動かした澱みが圧縮され、破裂しそうに脈動している。痛い。ドクドクと脈動するたびに腕をちぎられるような痛みが走る。熱した鉄球が腕の中を跳ね回っているようだ。


「よく頑張った。今、身体中から集めた呪が、出口を求めて暴れておる。ここからが正念場だ。清めた刀を手のひらに刺せば、呪は出口から噴出する。お前は痛みに耐えながら呪を絞り出せ。俺は、溢れた呪を浄化する」


 奏が腕を中心に五つの符を配置する。言われるがまま、掌を上に向けて開く。


「いくぞ」


 掌に焼けた感触。一瞬後にがそこから噴出する感触。


「〜〜〜〜!!!!」

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!


 歯を食いしばって、声を出さないように我慢する。痛いなんてもんじゃない。さっきまで熱した鉄球が腕の中を跳ね回っていたのが、内側から傷口を広げながら、鉄球が、いや、肥大化する鉄の棒が無理矢理出てこようとしている。


 あまりの痛さに涙が溢れる。右腕で左肘を思い切り握りしめる。両足を広げて踏ん張る。早く終わるように、身体から出て行けとばかりに澱みを押す。絞り出すようなイメージで、どんどん身体から抜けていくのがわかる。だが、最後の、芯のような物が引っかかって出てこない。


 勢いをつけたというのも変だが、意識の勢いをつけて引っ掛かりを押す。ピクリとも動かない。痛みは強くなっている。身体が痛みで反り返る。


「もう少しだ。外に出たものは全て浄化した」


 掌を刺した小刀で、噴出する澱みを切り払っていた奏が、手首に符を貼りながら声をかけてくる。符を貼った手首を符ごと右手で押さえ、左手を手の甲に添えて奏が澱みを押し出す後押しをする。


 痛い! 何かが出口で引っかかるような感覚。涙で視界が滲む。歯を食い縛りすぎて血の味がする。! 半年ぶりになる腐敗していない味わい。血液だが、私にはそれが至上の美味に感じられた。呪いが解けてきているのだ! もう少しという実感が湧く。体に活力が漲る。意識を集中して澱みを押す。強い手応えがある。引っかかる感じはあるが、もう少しで超えられそうな感覚。


 押せ! 押せ! 押せ! 押せ! 私に味覚を! 嗅覚を! 左手! 音楽を! 夢を! 未来を返せ!


 この半年のことが脳裏をよぎる。一時は自死まで考えた。腹の底からクツクツと怒りが込み上げる。今までで最大の力を込めて、澱みを押す。


「ふっざけんじゃっ! ないわよぉーっ!!!!」


 ズルリと、掌から何かが抜けた感覚が伝わった。一気に出口まで力が動く。身体から、ずっと感じていた重さと倦怠感が抜けていくのがわかった。やったのだ!


 「よくやった! これでお前の身体から呪いは祓われた!」


 奏の声が庵に響く。

 生きられる! 生きられるのだ!

 全身を歓喜が包む。両手で自分の体を抱きしめて、嗚咽する。身体は熱っぽいが、先ほどまでよりははるかに軽い。身を起し、奏に礼を言おうとしたところだった。目の前に、がいた。


 見ただけでわかる。黒く、邪悪な気配。先程まで腕にいた呪いと同質の、いや、言わば核となるような存在。

そいつが、話しかけてきた。


『サテ、ホントウニ、ソウカナ?』


 黒い靄よりも一段と濃い瘴気の、禍々しい存在、目や耳がついているようには見えないが、何故か、こちらを見ていることはわかった。声を発するわけではないが、頭に言葉が響く。


『マサカ、サンビャクネン フウジラレル トハ オモワナカッタ、ダガ、トウダイノチカラハ アノオンナ二 トオクオヨバン ココデトウダイヲ コロシテシマエバ、ダレモ ノロイヲ トクコトハ デキマイ』


 奏が、私を庇うように前に出て、小刀を青眼に構え、「呪いの核」に反駁する。


「お前もお仲間も、300年経っても懲りない訳だ。ちょうどいい、お前ら全員、今度は封印ではなく消滅させて、俺の呪いも解いてもらう!」


 理解が追いつかない。300年前の呪い? 建国の八英雄と戦った妖魔? であれば、この妖魔は鈴水花様に封じられた八体の妖魔の一人? では、奏は?


 混乱する私に、奏が何かを投げてきた。


「鈴翠蓮! 呪いは祓った! 約束は果たしてもらう! 今より俺のために働け! 手始めに奏でよ! 浄化の曲を!」


 受け取ったのは、銀で装飾された最高級の竹で作られた龍笛だった。どこかで見たことのある紋様が描かれている。事情はわからないが、アレが邪悪なものであることはわかる。そして、鈴翠蓮の名にかけて、誓った約定は果たされねばならない。


 半年ぶりだったが、呪いの解けた指は以前のように動いてくれた。


 全身を込めて、龍笛を吹く。邪気を払うという清めの曲。体内の澱みに意識の圧をかけたように、曲に「意」を乗せて「呪いの核」を清めの曲で縛っていく。


「ナンダト トウダイハ ジュ モ カンチ デキナイ レッカ ミコ ノ ハズ」


 笑みが溢れる。「浄化の巫女」鈴水花様程ではなくても、私の浄化の曲に効果があるようだ。そして、この力は、お前が半年をかけて私に与えたものだ。これが、笑わずにはいられようか。お前たちに苦しめられたから、お前たちに対抗する力を手に入れられた。存分に使わせてもらう!


 龍笛に意識を込める。「呪いの核」抑えるように、削ぎ落とすように、圧縮するように。


「素晴らしい。完全に使いこなしているな。想定以上だぞ。鈴翠蓮!」


 奏が感嘆の声を上げる。

 縛った「呪いの核」に奏の小刀が斬りつける。靄が薄くなる。効いている!


「キサママデ ジョウカノ チカラヲ ツカウトハ……」


「300年あれば、人は成長するんだよ」


「ヨウヤク フウインガ トケタトイウノニ メッサレテタマルモノカ!」


 「呪いの核」が何かを放つ。禍々しい気配。圧縮した瘴気のようなものだ。避けようとして、龍笛にあたってしまう。慌てて手を放すと、龍笛が煙を上げて腐敗した。


「コレデ ジョウカノキョクハ カナデレマイ!」


 抑え込んでいた瘴気が吹き上がり、「呪いの核」が更に速度を上げて攻撃してきた。小刀で軌道を逸らす奏だが、流石に小刀と飛び道具では、分が悪い。


 何か、何かできることは……、楽器は他にない。

 いや、ある!


 歌う! 喜びと希望の歌を! 龍笛よりも更に想いを込めて、「意」を乗せて! これは私の大好きな曲だ!


「これは、水花の、『旅立ちの歌』か。懐かしい……」


 先程よりも更に強く「呪いの核」をとらえる。歌を歌うほど、瘴気は消えていく。やれる! 浄化できる!


「ナントイウチカラ コンナ コンナハズデハ ヤメロ! ソノウタヲ ヤメロォォォ!」


「鈴翠蓮! 初仕事にしては上出来だ! これだけできるのならば、『浄化の巫女』の名を与えよう! 見事なり!」


 奏が、小さくなった呪いを小刀で十字に斬った。


「オオオォォォ! ノロウ! ノロッテヤル! コノママデハ スマサン ガァァァァァ!」


 断末魔が上がる。

 急速に掠れていく「呪いの核」。


「もう呪いは間に合っておるわ。浄化は成った。我らの勝利よ」


小刀を納めた奏が、厳かに告げた。

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