第2話 死に至る私と来訪者

 庵にきて2ヶ月がたった。

 もう鈴家の者も家の中にすら立ち入らない。門前に荷物が投げ込むように置かれているだけだ。

 その中身も段々と減っている。ここに移り住んだ当時は菓子や肉や魚、味は感じないにしても、それなりの夕餉を取ることができた。酒やお茶や茶菓子も準備されていた。

 今はもう、いつ汲んだかわからない生温い水と干し餅と干し肉くらいしか残されていない。


 内容に自体に関しては構わない。どうせ何を食べても腐った味しかしないのだ。しかし、自分が見捨てられていくというこの感覚、崖下に落ちそうなところに掴んだ縄をヤスリで擦られているような緩やかな絶望感。これは少々応えた。


 父も、母も、もう死んで自分達を自由にしてくれと思っているのかもしれない。生きてていいことは何もないのだ。

 死んでしまってもいいかという思いはある。自分でもわかる。後、数日で動けなくなる。死が近くなったからだろうか、腐敗した身体に、黒い靄のような物が見えるようになった。それは、現在腐敗した部分から、その際のまだ健康な部分にまで絡みついている。おそらく、靄の絡みついている部分が次に腐敗する場所なのだ。身体だけではない。寝台にも、家自体にもうっすらと靄が染み込んでいる。瘴気とでもいうのだろうか。肩まで進んだこの腐敗が、靄の通りに胸に達した時、おそらく私は死ぬ。そうして門前に置かれた荷物が回収されなくなって、漸く私は死んだということが皆に認識されるのだろう。


 もういいだろうか……、そんなことを考えていた時に、玄関で音がした。


 扉を叩く音がする。鈴家の者ではあるまい。迷い人だろうか? 辛うじて動く手足を動かして玄関を開ける。そこには、やや私より年上だろう、目つきの鋭いきっちりした身なりの青年が立っていた。


「酷い臭いだな。お前、もう長くないぞ。自分でもわかるだろう。死にたいなら帰る。死にたくないなら、生かしてやるから俺にお前の人生を寄越せ」


 男は、不躾なほど直裁な言葉を、刑の執行を告げる官吏の様に淡々と告げてくる。


 一瞬、何を言われているのかわからなくて、思考が止まる。今、なんと言った?

 だと? そんなことが可能なのか?

金目当ての呪い師ならこんな言い方はしないだろう。何より、死にかけの私を詐術にかけても意味がない。


 妖魔の類だろうか? 男を観察する。邪気は感じない。鍛えられた体をしている。服は少し昔の流行りだが、いい仕立てのものだ。かなりの富裕層かも知れない。独学で呪術を学んだボンボンが腕試しに来たというところだろうか。


「警戒しているのか? 上手い話にホイホイ飛びつくほど馬鹿ではないようだな。一応自己紹介しておこう。俺の名は奏。呪い師だ。別に治らなければ対価は必要ない。治った場合は力を貸してもらうが、奴隷にするわけではないから安心しろ。人並みの生活は保障する」


「治……治るのですか?」


「絶対とは言い切れないが、お前が死ぬ気で頑張るのならば治せる可能性は高い」


 その言葉を素直に信じるには、絶望を味わいすぎた。どんな治療も、どんな祈祷も効果はなかったのだ。だが、奏という男の言葉には、粗雑な割には誠実さと品が感じられた。


 どうせこのまま死ぬのなら、縋ってみてもいいかもしれない。少なくとも、この男の印象は悪くない。半年前から飽きるほど向けられた嫌悪も、蔑みも、同情も、憐憫も、優越も、この男からは感じなかった。ただ、言うべきことを言ったという風情。そんな者が居てくれるのならば、死ぬ間際が一人でないというだけ上等というものだろう。


「何もしないで死ぬのなら足掻いてみてもいいでしょう。対価は何も出せませんが、それでよければ。助かれば貴方のために尽力することは鈴家の名にかけて約束しましょう」


扉を開けて男を迎え入れる。


「よし、では急ぐぞ! 時間がない」


 男が庵に入ってきた。その瞬間、壁や床に染み込んでいた黒い靄が消え失せた。


「はぁ?」


「随分と澱んでいるな。清めるぞ」


 何が起こったのか分からず、思わず呆けた声を上げた翠蓮を置いて、奏は荷物から酒と塩を取り出して何やら呪を唱えながら部屋に撒いていく。それが終わると、札を取り出して柱と梁に貼り付けていく。


「すごい……」


 奏が動くたびに、黒い靄が薄くなっていく。長くいた寝台に澱む靄はまだ残っているが、部屋の靄はほとんどなくなっていた。


「時間がない。俺の見立てではお前の命は後七日程だ。三日準備をする。可能な限りこの場とお前の身体を清める。四日目体力が残っているうちに解呪を行う。あとはお前次第だ」


 そう言い残すと、奏は身の丈程もある紙を広げて何やら書きつけるとそこに翠蓮を座らせ、寝台の敷布一式を持って山の上の源流に向かった。


 おそらく大きな呪符なのだろう、紋様とまじないの書かれた紙の中心で、教えられた調息を行い待つ翠蓮は、奏のことについて考えていた。何者なのだろう。物言いは粗雑だが、身なりや動きには品がある。呪術の腕前は今まであった呪い師の中でも群を抜いている。国家お抱えの秘密の腕利き呪い師集団? まさか! 物語でもあるまいし。我ながら子供っぽい思いつきに頭をふる。しかし、奏という名前からして偽名っぽい。太祖の名前を一文字もらったその名は、諒国の男子に最も多い名前だ。


 考えているうちに、奏が帰ってきた。敷布を清水に晒して瘴気を抜き、太陽に干してきよめ、清水を壺に汲んできたそうだ。水に呪符を浮かべ何やらつぶやくと、奏はこちらを向いて言った。


「身体を清める。服にも瘴気が染み込んでいる。包帯と今着ている服は処分するから、出来るだけ使っていない内衣に着替えておけ、包帯もしなくて良い」


 十五の乙女になんという言種だろう。いや、勿論命には変えられないのだが、もう少し申し訳なさそうにしてもいいものを。


 思っていたことが顔に出ていたのだろう。奏は、庵に来て始めて表情を緩めた。


「淑女に対してなんという言葉遣いをするのか、もう少し言い方があるものだろう。そんな顔をしているぞ」


 面白そうにこちらを見る。そうしていると、官僚のような固さがなくなり、年相応の青年のようだった。


 言い当てられて顔を赤らめる。以前の私なら心情を顔に出すことなどあり得なかった。自分がコントロールできていない。死の淵に臨んで本性がでてきたのだろうか。淑女として育てられて、完璧な「鈴家の令嬢」であった自分の、案外子供っぽい思考に笑みがこぼれる。そうして私は、半年ぶりに笑うことができた。



 奏が外に出ている間に一番綺麗な内衣にきがえる。包帯を外すのはどれくらいぶりになるだろう。外すとひどい腐臭がした。かろうじて原形はとどめているが、輪郭はもはやとろけて肉か汁か分からない状態だ。


 脱ぎ捨てた内衣と包帯を奏が外で燃やした。瘴気が染み込みすぎて清めるより燃やした方がましだったそうだ。


 新しい敷布を敷いた寝台で着替えて奏を待つ。差し出された清めた水を飲んで驚いた、腐敗臭がしない。いや、匂いも味もあるが比べ物にならないほど軽くなっている。

 それから清めた綺麗な布で身体を清めてくれた。内衣だけの姿をみられたがもはやどうでもよかった。恥ずかしさもない。襲われたらその時の話だ、その時はせめてこの腐れた左腕をこいつの口にぶち込んでやろうと思っていたが、奏は礼儀正しく、丁寧に身体を清めてくれた。何度も綺麗な布を巻き腐汁を吸わせては交換した左腕は、包帯を巻き上から呪符を貼り付けてもらうと随分と痛みが軽くなった。

 ずっと完璧でいることを己に課していた。誰かに面倒をみてもらうなどどれくらいぶりだろう。視界が潤んだが、奏に気づかれないように下を向いていた。


 奏が来て1日目が終わった。随分と庵が明るくなった。気分もいい。痛みも少ない。その日は久しぶりによく眠れた。


  2日目、清めた部屋の中、昨日と同じように奏の持ち込んだ身の丈ほどもある符の上で調息を行う。身体が軽くなっている。これだけで、今まで何人も来ていた呪術師よりも信頼できた。食事の代わりに清めた水と少しの塩を口にする。内部からも身体を清めるのだそうだ。

 奏は忙しく部屋を清め、私を清め、庵の外でも何かをやっている。この庵自体に邪を払う結界のようなものを作っていたと、夜、食事の代わりに水を飲みながら聞いた。


 呪術のことは詳しくはないが、鷹州最高の祈祷師よりも、軍の呪術師よりも腕がいいように思える。本当にこの男は何者なのだろう。


 3日目、2日目と同じように、場所を清め、身体を清め、調息を行う。準備はできたようだ。いよいよ明日だ。最後になるかもしれないと思い、聞いてみた。


「貴方は何故私を助けてくれるの? 腕がいいことはわかった。父が力を尽くして連れてきた軍の呪術師よりも凄いと思う。貴方は何者で、何が目的なの?」


「そうだな。どちらにせよ明日で終わりだ。明日に集中する為に、答えられることには答えてやろう。お前を助けるのは慈善事業ではない。まずその『腐敗の呪い』、それは相当に強力な呪いだ。通常なら7日ほどで死に至る。それをお前は半年耐えた。呪いに対して耐性を持っていると言うことだ。その力が欲しい。次に俺の目的だが、俺もお前と同じで強力な呪いを受けている。呪術に詳しいのは自分の呪いを解こうとして学んだからだ。お前が明日を生きながらえるなら、俺の呪いを解く為にお前の力を貸せ」


「耐性? 私が?」


「ああ、聞いてみれば龍笛は邪気を払うなどと言われていたのだろう。お前には呪いに対抗する力がある。伊達に鈴水花の子孫ではないと言うことだ。腐敗の呪いを受けて生き延びた者がいると聞いたから急いでここを訪れたのだ」


「貴方の呪いというのは?」


「それは秘密だ。明日生き延びれたら教えてやろう。」


「答えられることには答えるんじゃないの?」


「解呪には、呪いを乗り越える己の強さが要る。俺の事情を聞いて、迷いを持つようなら逆効果だからな。明日は手助けはするが、お前が自分の力で呪いに打ち勝つ事だ」


「呪いに打ち勝つ……」


「生き延びたらやりたいことはないか? お前から未来を奪おうとする呪いに腹は立たないか? お前を呪った誰かに反撃したくはないか? 呪い関係なしでもいい、何か夢はないのか? 今夜は自分を見つめ直して、生きたい理由を探しておけ」


心に引っかかっていた幼い夢が、口の端から溢れた。


「旅に出たい。高祖様のように、冒険をして、いろいろなものを見たい。呪術を使う者を、貴方は何とかできるんでしょう? 悪い呪術師を倒すために、貴方に力を貸して旅をするっていうのはいいわね」


 奏が何とも言えない表情で答える。


「俺が悪い奴だとは思わないのか? 解呪と交換にお前を利用しようとしている」


「悪い人はそんなこと言わないわよ。短い付き合いだけど、貴方、口は悪いけどいい人だわ」


 奏は虚をつかれたように動きを止め、それから少し遠くを見るような表情を浮かべた。


「そんな事を言われたのは久しぶりだな。懐かしい」


 どうやら照れているらしい。やっと一矢報いた気がして嬉しくなった。久しぶりに気分が高揚する。


「そうね、やりたい事がひとつできたわ。あたし、今とても気分がいいの。龍笛と歌は宮廷にお呼びがかかるくらいだった私の自慢なの。身体が治ったら、奏に歌を聴いてもらいたいわね」


 奏は柔らかく微笑んだ。


「そいつは楽しみだ。綺麗な声をしているものな」


 胸が暖かくなる。そう、なんとかして明日を生き延びよう。


 

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