第11話 慣れない眼差し

 帰りの馬車は行きと違い、思ったほど揺れなかった。

 それはそうだ。グルーバー侯爵家へ行く時、カーティス様は言ったじゃない「もうあまり時間がないんだ」って、それで「すぐに話がしたいから、馬車に乗ってくれ」とも。


 それなのに私は、またあの揺れを心配して、カーティス様の手を拒んでしまった。


 怯える白猫のために、到着してもすぐに降りるよう催促されなかったこと。

 その白猫のためにクッションを用意してくれたのは、ビックリしてちょっと怖かったけど、見方を変えれば、それだけ気遣える人であることが見て取れた。

 馬車に乗り降りする時も、白猫を抱いている私のために、手を強く引いてくれたお陰で、思ったより苦にならなかったことも含めて。


 それほど、紳士的な方に私はなんということを……。


 急に罪悪感が湧いて、カーティス様の方をチラッと覗き見る。水色の瞳は私を捉えると、優しい眼差しを向けてくれた。


 ぬいぐるみのように白猫を抱いている私の姿を、バカにしたわけではないことは分かる。子供っぽいとか、そういうたぐいのものでもないことも。


 それなのに私は、すぐ否定的に捉えてしまう。ずっと、そうだったから。

 猫憑きだからと怖がられ、嫌味を言われることはしょっちゅうだった。酷い時は獣のように揶揄やゆされたこともあったし。


 だから、カーティス様の視線は慣れなかった。なんとなく、むずがゆい気持ちにさせられるから。


「どうかしたか。まだ速度が速いようだったら言ってくれ。ゆっくり走るように伝えるから」

「い、いえ、大丈夫です。猫も今は、私にしがみついていないので」

「そうか」


 言葉を選んでも、行きの馬車は酷かったことを、どうしても匂わせてしまう。

 こんな状態で、さらにゆっくり走られたら……。考えただけでも、息が詰まりそうだわ。


「……俺が言うのもなんだが」

「はい。なんでしょうか」


 とにかくこの沈黙が一番堪えられない。何でもいいから話題を下さい。


「仮面舞踏会への出席を、マクギニス伯爵は了承してもらえるのだろうか」

「そのことでしたら大丈夫です。今回の依頼は、モディカ公園の猫を通した正式なものなので、そこで発生したものは依頼を受けた者、つまり私に決定権があります。いくらお母様でも口出しはできないんです」

「なるほど。マクギニス伯爵家の中で、そういうルールがあるのだな」


 まぁ、カーティス様は今回初めて依頼されるのだから、知らなくて当然だった。


「その、ちょっと疑問に思ったんですが、今回の依頼内容。もしかして事前にお母様と話し合われたんですか?」

「話し合っていたら、一週間以上モディカ公園に通い詰めると思うか」

「た、確かに。ですが、お母様は私に行くように言ったんですよ。おかしいじゃないですか。直接、私に来たわけでもないのに」


 思わず愚痴が出てしまった。しかし、カーティス様は気にしていないようだった。


「どういった過程で、依頼がマクギニス伯爵家に行くのか分からないが、猫たちの情報網で、粗方あらかた見当けんとうはついていたんだろう。だから、マクギニス嬢が適していると、判断したのではないか」

「あり得ない話ではないですね。むしろお母様ならやりそうだわ」


 おのれ~。知っていたのなら、先に教えてくれれば良かったのに! 騙すような真似をして。

 ますます、早めに隠居してもらいたくなったわ。


「その、仮面舞踏会に行くに当たって……ルフィナ嬢と呼ぶことを、許可してもらえないだろうか」

「え?」


 あっ、そうか。仮面舞踏会の会場で、堂々と家名を呼ぶのは危険ですものね。

 だからカーティス様は、グルーバー侯爵邸に入る時、私に呼び方を変えるように言ったんだわ。

 言葉には出されなかったけど、様を外してほしいようなニュアンスもしていたから。


 そうであるなら、私も敬称を取ってもらうように言うべきかしら。いいえ。これは令嬢なら誰しも付ける敬称だから、必要ないわよね。多分。


「構いませんが、その、会場内では敬称を取った方がよろしいのでしょうか」

「……そこまでする必要はないだろう。身分が分からなければいいのだから」

「では私の方は、このままカーティス様とお呼びしますね」


 良かった良かった。この短期間で、様を外すなんてことは、さすがにできないもの。


「あぁ。こちらこそ、よろしく頼む、ルフィナ嬢」

「っ、はい」


 またあの眼差しを向けられて、私はむず痒い気持ちになった。



 ***



 馬車はグルーバー侯爵邸を出て、二時間もかけてマクギニス伯爵邸に到着した。


 なぜ二時間なのかというと、ゆっくり走ったからではない。

 グルーバー侯爵邸とマクギニス伯爵邸の位置が、元々離れているのだ。

 首都の中でも貴族街に住んでいるグルーバー侯爵家と違い、マクギニス伯爵家は郊外に近い場所に邸宅を構えていた。


 頻繁に猫の出入りを許可するマクギニス伯爵邸が貴族街にあるのは、何かと問題なのである。

 皆が皆、猫が好きなら問題はないし、猫の方もお行儀が良ければトラブルは発生しない。


 そんな世界、どこにあるというの? だから我が家は貴族でありながら、貧乏貴族のように繁華街からも離れた場所に住んでいるのだ。


 お陰で遠いのを言い訳に、登城を拒んだりしているんだけどね、お母様は。私も伯爵になったら、使おうと思っている手だから、非難はしないけれど。


「着いたようだな」


 馬車が止まったのを確認すると、カーティス様は先に席を立って扉を開けた。

 あとに続いて扉に近づく私の手を、当然のように掴む。もう片方の手は、腰に触れるか触れないかの位置にあった。

 恐らく、いつ、バランスを崩しても対応できるようにしているのだと、すぐに気がついた。私が白猫を抱いたままだったから。


 そのさりげない気遣いに慣れなくて、胸がギュッとなった。


「ありがとうございます」

「どういたしまして。ルフィナ嬢に怪我がなくて良かった。白猫も大丈夫なようだな」


 とても自然に、空いた方の手で白猫の頭を撫でるカーティス様。

 白猫も、モディカ公園で避けていたとは思えないほど、その手を受け入れていた。


「来週、その、迎えに行く前に、できるだけ情報を集めるつもりなのだが、連絡はどうしたらいいだろうか。手紙か。それともモディカ公園の猫たちの方がしやすいだろうか」

「えーと。この場合、猫を介するんですが……何と言いますか……」


 言葉に詰まった。

 モディカ公園で依頼を引き受けた後、依頼人とのやり取りは主に、猫を介することになっている。

 つまり、貸し出しているのだ、猫を。それも野良猫を。

 彼らはマクギニス伯爵家の使いという立場を理解しているため、きちんと仕事を遂行するので問題はなかった。


 だが、今回はどうだろう。カーティス様の元に行ってくれる猫がいればいいけれど。

 一応、私に憑いている猫、ピナの頼みであれば、言うことは聞く。だけど、強制はしたくなかった。


 私が困惑していると、急に白猫が腕の中から飛び出した。床に着地するのはお手の物。

 恐らく、自分の役目は終わったと思い、モディカ公園に帰るのだろう。そう思ったら、なぜか馬車の中へと入ってしまった。


「も、申し訳ありません。すぐに呼び戻します」

「ダ~メ~。その子は連絡係に名乗り出てくれたんだから~。降ろしちゃダメ~」


 頭上から聞こえてきた声に、私は真っ青になった。声の主は気にしない様子で、さっきまで白猫がいた位置まで降りてきた。


「ピナ」

「お帰り~。ルフィナ~」


 そう。私に憑いている猫のピナだった。

 ど、どうして現れたのよー! カーティス様がいらっしゃるのにー!

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