第8話 忠犬の苦悩(1)(カーティス視点)

 昨日のこと。


 王城の一室の扉を閉めたのと同時に、俺はため息を吐いた。


「その様子だとダメだったみたいだね」


 部屋の主が、今日の俺の成果について、楽しそうな声で言った。

 その人物は日差しが入ってくる窓の前にいるからか、逆光に照らされていて顔までは見えない。しかし、誰だかは確認しなくても分かる。


 サラッとした銀髪を一つに縛り、楽しそうに笑いながら紫色の瞳で俺を見ているのだろう。そんな人物はこの王城の中に、一人しかいない。

 このメゼモリック国の王子、ヴェルナー・メゼモリックだ。


「あぁ、だが理由が分からない。どういうわけか俺を見ると、逃げていってしまうんだ」


 一時間ほど前の出来事を思い出し、俺はまたため息を吐きたくなった。



 いつものように午前八時にモディカ公園に着くと、湖が一望できるベンチへ向かう。

 ここ一週間ほど通っているせいか、慣れ親しんだベンチには、案の定、誰も座っていない。もう、俺の定位置だと周りが認識しているようだった。

 その証拠に、他のベンチはすべて埋まっていた。


 腰かけて一休みする。早い時間帯だからか、湖にはボートの姿すらない。

 朝日を浴びて、美しく輝く湖面を独り占めするとは、なんと贅沢なことだろうか。


 傍に猫がいてくれたら最高なんだがな。ふとそう思うも、傍どころか近くにすらいない。

 ため息を吐く代わりに、背もたれに体を預けて、俺は空を仰いだ。


 マクギニス伯爵家への連絡手段として用いられるモディカ公園。猫に餌を与えられれば、園内のどこでも構わない、らしい。

 さらにその猫も決まっていないという。

 ならば、簡単に連絡を取れるんじゃないか。始めは、そんな安易に考えていた。が、現実は甘くない。


 一匹の白猫が目の前を通り過ぎる。


「食わないか?」


 懐から取り出した煮干しを見せる。けれど、一瞥しただけで逃げて行ってしまった。


 好きではなかったのか、と沈んでいると、ふと視線を感じて、顔を右に向ける。すると、そこには白と黒のブチが、こちらを窺うように見ていた。

 さっきの白猫のように、煮干しで誘い出そうとしたが、結果は同じ。ブチにも逃げられた。


 なぜだ……。


 そもそもモディカ公園の猫たちは、誰にでも愛想を振り撒くわけではない、と聞いた。マクギニス伯爵家への連絡係を務めていることに、誇りを持っているからだという。

 つまり、俺はその資格がない、と見なされているのだろうか、猫たちに。



「なるほど。でも一応、猫はいるんだよね、モディカ公園に」


 そんな俺の気持ちとはお構いなしに、ヴェルナーは勝手に推理し始めた。


「カーティスを見て逃げるってことは、単に猫に嫌われているのか。もしくは依頼を受けさせたくない、本能みたいなものを察したのかな」

「どうだろうな。確かに、昔から猫に好かれている方じゃなかったが。ここまでくると、嫌でも気づく」

「うん。嫌われている方だね」


 ヴェルナーは執務机に肘を付いて、また楽しそうに笑っていた。

 そう、ここは王城にあるヴェルナーの執務室だった。

 すでに王太子の儀も済んでいるため、内政を半分ほど任されている。

 お陰で、机の上には書類の山が沢山あり、減っている様子はない。それでも本人は涼しい顔のままだった。


「でも、動物全般に嫌われているわけじゃないんだろう? 馬たちには人気だと、他の騎士たちから聞いているよ。カーティス用の馬がいるのに、どの馬たちも乗せてもらいたがって、大変なんだってね」


 そう言われて、王城にある厩舎きゅうしゃを思い出した。いつも行くと、歓迎してくれる馬たちの姿を。


「気分転換に走りに行くからな。馬たちも体を動かしたいのだろう」

「私も仕事が溜まっていなければ、一緒に行けるんだけどね。見てみなよ、やってもやっても、この書類の山が消えることがない。まるで魔法がかかっているんじゃないか、って思うんだけど、どうかな」

「どうもこうも、それは疲れている証拠だ」


 とはいえ、休めとも言い辛い。


「やっぱりそう思う? 本当ならドリスの件も、私が動けたらいいんだけど。いつも悪いね」


 妹の名前を口に出した途端、ヴェルナーの顔は困った表情へと変わる。


 最近、悩みの種となった、五歳離れたヴェルナーの妹、ドリス・メゼモリック王女殿下。すでに成人した彼女なら、この書類の一部を肩代わりできるだろう。

 いや、その前に王太子妃を迎えれば、解決するんだがな。そんな暇さえ、今のヴェルナーにはなかった。


「内政のことは、手助けできないからな。肩代わりできることなら、喜んでやるさ」

「すまないね。動けない私の代わりをしていたら、いつの間にか忠犬なんて、あだ名をつけられたのに。私は良い部下を、いや友を持ったよ」

「気にするな。俺にできることは、それくらいしかないんだから」

「……そのドリスのことなんだけど」


 ヴェルナーはそう言うと、机の引き出しから書類を取り出した。


「今日も仮面舞踏会に行くらしい。それもローマンと一緒にね」

「またか。シュッセル公爵も何を考えているんだ。公子が毎日のように、王女殿下と仮面舞踏会に行っても注意しないとは」


 ドリス王女殿下の幼なじみで、婚約者候補の一人である、ローマン・シュッセル公爵令息。

 そういった事情からか、周りの者たちも表立って注意することができなかった。


 毎日のように行くのが舞踏会であるのなら、大目に見ることもできただろう。シュッセル公子との婚約話を進めたい、という意向も推測できるからだ。


 だが、仮面舞踏会はどうだろうか。良くない噂が流れているような場所に行くため、ドリス王女付の侍女がヴェルナーに相談してきたのだ。


 シュッセル公子との逢瀬だけで済むならいいが、その他のことに巻き込まれている可能性もなきにしもあらず。

 考えられる出来事は山の数ほどあり、下手をすれば手遅れになってしまうかもしれない。


「注意するどころか、私の仕事を増やして妨害しているようにも見える」


 悪意を感じてしまうほどに、とヴェルナーは書類の山を睨んだ。


「ドリスの元に行かせたくないのが見え透いていて、嫌になるよ」

「やはり、早々に手を打たなければならないな」

「カーティスが、マクギニス嬢に固執しなければ、早く終わると思うんだけどね」

「そ、それは」


 俺が言葉に詰まると、ヴェルナーはまた楽しそうな表情に戻った。さっきまで睨んでいた人物とは思えないほどに。

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