真相・村本修司と山口彰
死体と化した七尾に馬乗りになり、クスクス笑っていた美奈代。その姿は異様だった。返り血を大量に浴びた姿は、まさにホラー映画の殺人鬼である。
しかし、その場に乱入してきた者がいた──
「おい! お前誰だ! 何をやってる!」
喚きながら近づいて来たのは村本だ。上の階から聞こえてくる音や七尾の悲鳴から異変を察知し、階段を上がって来たのである。その後ろには、山口が恐る恐る付いて来ていた。
美奈代は、すぐに立ち上がった。ナイフを振り上げる。
「く、来るな! 来たら殺すぞ!」
言いながら、ナイフを振り回した。ところが、彼女の手は七尾の流した血で赤く染まっている。固く握っていたはずのナイフは、血で滑ってしまった。あっさりとすっぽ抜け、とんてもない方向に飛んでいく。
慌てて拾おうとするが、暗闇でよく見えない。それを見た村本は、迷わず突進していく──
「コラ! 動くんじゃねえぞ!」
途端に、美奈代は逃げ出した。階段を降り、二階へと向かう。
だが、二階に到着した時点で力尽きた。もともと体力のある方ではないし、主婦になってから運動などしていない。無駄な肉が付き、体重も増えている。しかも、先ほど七尾を滅多刺しにしたのた。この時点で、もうスタミナはゼロに近い状態だった。加えて、今の追いかけっこにより肉体的にも精神的にも限界に来ていた。
耐え切れず、その場に座り込む。
「コラ待て! 逃げんじゃねえぞ!」
喚きながら、後を追って来たのは追村本と山口だ。息をぜいぜいさせながら座り込んでいる美奈代を遠巻きにしている。無用心に飛び込む真似はしない。先ほど、目の前で人を刺し殺している者が相手だ。いくら単細胞の村本でも、さすがに用心しているらしい。
「おい! てめえは誰なんだよ!? なんで七尾を殺したんだ!?」
村本が言った途端、相手は顔を上げた。どうやら観念したらしい。
「やっぱり、あんたらは覚えてないんだね」
「んだと! てめえ、何を言ってるんだ!」
後ろから山口が怒鳴ると、美奈代はクスッと笑った。
「あたしが、本物の神崎……いや、木下美奈代だよ」
その途端、ふたりは思わず顔を見合わせた。
「えっ……」
呆然となりながら、間抜けな言葉を漏らしたのは村本だ。一方、山口は恐る恐る近づいていき、彼女の前でしゃがみ込んだ。顔を近づけ、じっくりと観察する。
ややあって、口を開いた。
「言われてみれば、確かにその通りだな。村本、こいつ本物だ。本物の木下だよ」
すると、村本はようやく我に返った。直後、凄まじい形相で怒鳴りつける。
「だ、だったら、なんで七尾を殺したんだよ! 友達だったろうが!」
聞かれた美奈代は、顔を歪めた。少しの間を置き、口を開く。
「あいつが、あたしの旦那と浮気してたからだよ。あいつのせいで、あたしの人生めっちゃくちゃだ。だから殺したんだよ」
「う、浮気?」
思わず聞き返したのは山口だ。一方、村本はさらに険しい表情になった。
「たかが浮気で、七尾を刺したのか!?」
強い口調で聞いたが、美奈代は答えない。無言のまま、うつむいている。
村本は、どすんと足を踏み鳴らした。美奈代はビクリとなる。
「お前、何を考えてんだよ!? たかが浮気くらいで、人殺しまでやるかよ! 普通はやらねえんだよ!」
喚き続ける村本を、美奈代は鋭い目で睨んだ。
「たかが浮気? あんたに何がわかるの? あたしの気持ちがわかる? よりによって、浮気相手があいつだったなんて……」
低い声で言い返した。だが、それが村本の感情の炎に油を注ぐ結果となっただけだった。その場で、壁に蹴りを入れる。ドスンという音が鳴ったが、美奈代は怯まない。
その態度に、村本はさらに逆上し怒鳴り付ける。
「はあ!? わからねえよ! お前の気持ちなんか知るか! 人殺しの気持ちなんか、知るわけねえだろうが! 何なんだお前! 頭おかしいんじゃねえのか!」
喚き散らす村本を、美奈代は憎しみのこもった目で見つめる。
ややあって、ゆっくりと立ち上がった。
「あんたには、何もわからないだろうね。わかって欲しいとも思わない。だいたい、ここの屋上で秋山とヤッてたくせに、あたしに説教する資格があるとでも思ってんの?」
それは、長いこと美奈代の心に秘められていたものだった。誰にも言えなかった秘密、その封印を解いてしまった。
途端に、村本の動きが止まる。その体は、微かに震えていた。
「えっ……ちょっと待ってくれよ。何だそれ」
間の抜けた声を発したのは、横にいる山口だ。彼もまた、唖然となっていた。まさか、そんなことがあったとは……。
「は、はあ? う、嘘つくんじゃねえよ……」
その時になって、どうにか言葉を搾り出した村本だった。しかし、美奈代は即座に言い返す。
「嘘じゃないよ! あたしは見たんだからね! あの日の朝、あたしもここの屋上に来たんだよ!」
「おい木下、どういうことだよ」
口を挟んできたのは山口である。すると、美奈代は顔を歪めながら語り出した。
あの日に見た、おぞましい光景を──
「みんながまだ寝てる間、あたしもここの屋上に来た。秋山のことが心配だったからね。でも来てみたら、先客がいたんだよ。村本がズボン降ろして、裸の秋山とヤッてた。しかも無理矢理ね」
その途端、山口も顔を歪める。
「マジかよ……村本、お前ホモだったのか。いや、がっかりだわ」
大袈裟な態度でかぶりを振った。だが、その目には異様な輝きがある。強者であるはずの村本に対し、優位に立てる材料を見つけたのだ。これが、笑わずにいられるだろうか。
しかも、この男はチンピラである。そのチンピラに、
「ち、違う」
声を震わせながら、必死で否定する村本だったが、美奈代は止まらなかった。
「違わないよ。あたし、秋山からも聞いたんだから。あんた、嫌がる秋山の腹をぶん殴って、無理やりヤったんでしょ。こんなのがバレたら、終わりだよね」
「うわあ……俺、ショックだわ。俺、お前のこと応援してたんだぜ。リングでバチバチ殴り合う姿を観て、カッコいいな……って思ってたんだぜ。そのお前が、実はホモだったなんてよお、超ショックだよ」
言ったのは山口だ。両手で頭を抱え、体をくねらせている。完全にからかっているのだ。この男は今、自分より遥かに立場が上である村本をいたぶることに、暗い快感を覚えていた。さらに頭の中では、どうやって強請るかについても考えを巡らせていた。
その姿を見て、美奈代も笑い出す。
「本当だよね。偉そうにテレビなんか出ちゃってる奴が、実は同級生の男の子をレイプしてました……なんて知られたら、大炎上は間違いなしだろうね。あんた、みんなの前でカミングアウトすれば?」
勝ち誇ったような口調だ。その時、村本が口を開く。
「るせーよ」
低い声で、呟くような言葉を発した。明らかに、先ほどとは違う空気を漂わせている。
山口は、何が起きたか瞬時に察知した。ピタリと口を閉じる。村本は、追い詰められたらとんでもないことをしでかすタイプだ。これ以上、つつかない方がいいと判断したのだ。
残念なことに、美奈代はそこまで考えが回らなかった。
「ん? 何? 今なんつったの?」
聞き返した美奈代は、空気が変わったことに気づいていなかった。彼女は、暴力とは無縁の生活を送ってきた。そのため、村本の顔つきが変化していたことも、体が怒りのあまり震えていたことにも気づかなかった。
「るせーって言ったんだよ!」
喚いた直後、村本の蹴りが飛ぶ。左ミドルキックが、美奈代の脇腹に打ち込まれた──
ミドルキックは、プロの試合では一発KOになることは少ない。しかし、実のところ凄まじい威力を秘めている。ヘビー級選手のミドルキックは、衝撃力が二トンにまで達する。大げさでなく、素人相手ならミドルキック一発で殺すことも可能なのだ。
村本は中量級の選手だが、それでも蹴りの威力はかなりのものだ。確実に一トン近くはあるだろう。そんなミドルキックを、美奈代はまともに受けてしまったのだ。
しかも、男性と女性ではダメージに耐える力も格段に違う。一発の蹴りが、致命傷になってしまったのだ。肋骨は折れ、内臓も破裂してしまった。当然、立っていられるはずがない。ばたりと倒れ、床の上でぴくぴく痙攣している。
しかし、村本に収まる気配はない。うずくまる美奈代を、狂ったような表情で蹴飛ばした。
瞬間、美奈代の体が浮いた。蹴りの衝撃によるものだ。彼女の口からは、ガハッという呻き声が漏れる。声と一緒に、ドス黒い色の血液も漏れた。内臓の破裂により、内出血している
それでも、村本はやめる気配がない。むしろ猛り狂い、なおも蹴り続ける。
「ざけんじゃねえぞコラ! てめえなんか人殺しじゃねえか! 旦那を寝盗られて七尾を殺したクズが、偉そうにすんな!」
喚きながら、爪先での蹴りを叩きこむ──
だが、反応がなかった。まるで物体を蹴っているかのようだ。村本は異変に気づき、動きを止めてしゃがみこむ。手を伸ばし、美奈代の体に触れた。彼女の胸に耳を当て、鼓動をチェックする。
やがて、顔を上げた。山口の方を向き、口を開く。
「こいつ、死んでるよ」
その声は、震えていた。
「マ、マジかよ……」
山口は、そう返すのがやっとだった。目の前で、村本が美奈代を蹴り殺したのだ……刑務所を出入りしているとはいえ、山口はしょせん口ばかりの臆病者だ。ヤクザにもなれない中途半端なチンピラである。そんな半端者に耐えられる状況ではなかったのだ。
村本の方は、じっと美奈代を見下ろしていた。死体と化した彼女を、鋭い目で凝視する。
やがて、村本は立ち上がった。その顔には、どこか吹っ切れたような表情が浮かんでいる。彼は、棒立ちになっている山口に近づいていった。
「おい山口、てめえも何か言ってたなあ」
低い声で凄んだ。途端に、山口はビクリとなる。
「い、いや、あれはほんの冗談だよ。な、冗談だからさ。悪かったよ、ごめん」
泣きそうな顔で言ったが、村本はにこりともしない。
危険を感じた山口は、思わず後ずさる。が、壁に背中が当たった。壁際に追い詰められた体勢だ。もう、逃げることは出来ない。
とっさに両手を前に出し、愛想笑いを浮かべる。だが、その笑顔は引き攣っていた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。お、俺まで殺す気か? ふたりも殺したら、ただじゃすまないぞ。なあ、やめようぜ。俺、誰にも言わないからさ」
山口は、必死で語りかける。このままだと、確実に殺されるだろう。どうにか説得を試みるが、村本に止まる気配はない。
「さっき、秋山が言ってたよな。忘れたのか。ここにいる全員を殺せば、ゲームクリアだって言ってたんだよ」
そう、はっきりと言っていた。その言葉が、今の村本を突き動かしている。木下美奈代は死んだ。七尾恵美も死んだ。ならば、あとふたり殺すのも一緒だ。
「待てよ。なあ、許してくれ。俺、絶対に言わないから」
顔を歪め許しを乞う山口に向かい、村本は恐ろしい形相で言い放つ。
「七尾と木下は死んだ。後はお前と藤川を殺せば、クリアなんだよ。お前もさっき言ってただろうが。これがバレたら、俺は終わりなんだよ。ほら、かかって来いよ」
「やめて……許して」
懇願する山口だったが、村本は容赦しなかった。いきなりの左ジャブを放つ。
突然、飛んで来た左拳。これまで、幾度となくサンドバッグに打ち込まれ、凶器と化した拳である。軽い左ジャブでも、スピードとキレは凄まじいものだ。山口は為す術がなかった。まともに顔面で受けてしまい、激痛が走る。同時に、前歯が折れ鼻血が吹き出した。
しかも、ほぼ同時に右の拳も放たれていた。腰の回転を利かせ、体重を乗せた右ストレートが炸裂する。いわゆるワンツーだ。キックボクシングの基本である。
もっとも、プロの格闘家の放つ基本技は、高い殺傷力を秘めた凶器なのだ。速く鋭いジャブに続き、強烈な右ストレートを受けた山口は、あえなく崩れ落ちた。覚醒剤でボロボロになった体は、村本のパンチに耐えられるはずもない。一撃で脳震盪を起こし、意識を失った。
もっとも村本には、気絶させただけで終わらせる気はない。倒れた山口の腹を、爪先で蹴りまくる。
その目には、異様な光が宿っていた──
やがて、山口も動かなくなった。村本は動きを止め、その場にしゃがみ込む。
山口の死を確認すると、ゆっくりと下に降りていく。あとひとりだ。この四人の中で、もっとも憎い男。あいつを殺して罪に問われないなら、万々歳だ。
この際、藤川亮を永遠に消し去る──
・・・
十五年前、廃墟の屋上──
不意にドアが開く音がした。
秋山はハッとなる。ようやく、彼らが来てくれたのだろうか。
どのくらいの時間が経過したのだろう。気がつくと、いつのまにか眠っていた。
姿を現したのは、村本だった。ホッとした秋山は、安堵の笑みを浮かべ立ち上がった。
だが、その目付きが尋常なものでないことに気づく。思わず後ずさりした。
村本の方は、異様な表情を浮かべて近づいてきた。明らかに普通ではない。その目には、欲望があった。何に対する欲望か……それは、考えたくもないものだ。
なおも後ずさる秋山だったが、背中に何かがあたる。柵だ。事故防止の金網が張られていたのである。
「逃げんなバカ」
低い声で凄むと、村本は自身のベルトに手をかける。
ベルトを外し、ズボンとパンツを下ろした。
その瞬間、秋山は目の前の男が何をする気なのか、はっきりと悟る。男同士の性交……知識としては知っている。だが、自分が体験するのは嫌だ。
それだけは、絶対にしたくない──
「嫌だ……やめてよ……お願い」
必死に懇願するが、村本に聞く耳はなかった。
「るせえ、黙れ。このことを誰かに言ったら殺す」
言いながら、手を伸ばしてくる。秋山は、ヒッと声を出した。どうにか手を払いのけ逃れようとする。だが無理だった。村本の腕力は強い。あっさりと腕を掴まれ、引き寄せられる。
次の瞬間、腹にパンチを食らった──
「おとなしくしろ。でないと、マジ殺すぞ」
痛みのあまり悶絶した秋山の耳元で、村本が囁く。
昨日から何も食べておらず、異様な環境で放置され……体力気力ともに底をついている状態の秋山には、それ以上の抵抗など出来るはずもない。しかも、相手は村本である。
やがて秋山は、村本の欲望のままに扱われた──
獣じみた性交の途中、秋山の視界の端に見えたものがあった。木下美奈代だ。ドアを開けた体勢のまま、その場で硬直している。村本は腰を振るのに夢中で、気づいていないらしい。
助けて、と言おうとした。だが、声が出ない。しかも、ドアはすぐに閉ざされる。木下は、自分を見捨てて帰ってしまったのだ──
「いいか、これを誰かに言ったらマジ殺す」
念を押すかのように言った後、村本は帰っていった。
しばらくして、秋山は立ち上がった。全身がひどく痛い。だが、そんなことはどうでもいい。
母は言っていた……ここを引っ越す、と。そうだ、引っ越すのだった。不登校になってしまった息子のため、環境を変える決意をしたのだ。
早く、こんな忌まわしい場所から出ていこう。何も考えず、早く家に帰ろう。
秋山は、ふらふら歩き出した。服がどこにあるかわからない。全裸で外を歩いていたが、それがおかしい行動だという意識もない。
それ以前に、まともな思考能力すら失っていた。昨日から今までの異常すぎる体験は、ひとりの少年が受け止めるには大きすぎるものだった。何も考えず、ただ歩くことしか出来なかった。
その頭の中には、早く帰ることしかなかったのだ。
しかし、秋山の凶事は、それだけでは終わってくれなかった。外に出て間もなく、勝谷政弘に出会ってしまう。
少年愛という生まれながらの性癖を抱えながらも、どうにかごまかしつつ生きていた勝谷の目の前に、降って湧いたかのごとく出現した天使のごとき存在……そう、美しい顔立ちの少年が、全裸で森の中を歩いているのだ。
それを見た瞬間、理性というストッパーは吹き飛んだ。刑務所でのつらかった体験も、彼には逆に働いていたのだ。
他の受刑者から、さんざん暴力を振るわれ嫌がらせを受けたことにより、勝谷の人格には新たなる変化をもたらす結果となっていた。自分がされたように、暴力で少年を支配したい……そんな願望が芽生えていたのである。
車を降りると、少年に近づきナイフを突きつける。
「声を出したら殺す。おとなしくしていろ」
その言葉に、秋山は抵抗など出来なかった。
「もし逃げたら、お前の親を殺す」
監禁された秋山に、勝谷はそう言い続けていた。狭い物置小屋で世間から切り離され、洗脳状態にあった少年は、言われることに従うほかなかった。
だが、勝谷が偶然に持ち込んだ一枚のチラシが、彼の運命を変える。そこには、こう書かれていた。
(秋山美登里さんと秋山薫くんの親子が行方不明になっています。お心当たりの方は、最寄の交番まで)
自分はともかく、母まで行方不明とは……外で、何が起きているのた? この疑問が、秋山を洗脳に近い状態から解き放ったのだ。
そして彼が逃げるために選んだ手段が、勝谷を殺すことだった──
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