秋山薫の過去と現在
十五年前──
秋山薫は、一糸まとわぬ姿で茂みを抜け歩いていた。その体には、大量の血が付着している。ここまで多いと、もはや赤いペンキを被ったようにしか見えない。
小柄な少年が、返り血で真っ赤に染まった裸体を晒し、憑かれたような表情で山の中を進んでいる……そんな異様な状況の中、車のエンジン音が聞こえてきた。音はどんどん大きくなり、さらにはクラクションの音まで響き渡る。
秋山の耳にも、はっきり聞こえていたはずだった。にもかかわらず、止まる気配はない。山道を、ひたすら歩き続ける。
やがて車は、秋山のすぐ隣で停まった。窓が開き、中年の女が顔を出す。
「ちょっと君! 大丈夫! 何があったの!」
その声に、秋山は立ち止まった。恥じらう素振りもなく、中年女の方を向く。
「どうもしません。クズをひとり殺しただけです」
無表情で、そう答えた。
やがて秋山は、賭けつけた警察官により保護される。タオルで体をくるまれパトカーに乗せられて、滝田警察署へと連行された。
取り調べに際し、秋山は自分のやったことを素直に喋った。
「山の中を歩いていたら、あいつが車で通りかかりました。いきなりナイフで脅され、小屋の中に連れ込まれました。それからずっと、あいつに犯され続けました。だから、我慢できなくなって殺したんです」
そう、藤川らのゲームが終わり、全裸のまま森を歩いていた秋山を見つけたのは、あの男だった。名前も知らぬ、醜い中年男。たまたま車で通りかかってしまったのである。
彼は、放心状態で歩いていた秋山に車で近づいた。ポケットから折り畳み式ナイフを取り出し、少年に突きつけ両手両足を縛り車で連れ去った。山小屋の中に監禁して暴力を振るい、秋山を自身の性奴隷として扱ったのだ──
以上のことを、何の感情も交えず、淡々とした口調で供述する。あまりにも悲惨な内容に、マスコミには詳しい内容を伏せ報道した。当然、秋山は少年のため実名は伏せられている。
秋山に殺害された
この時は五年の実刑判決を受け、殺害される一年前に出所した。刑務所の中で、彼が罪を悔い改めることはなかった。それどころか、他の受刑者たちから徹底的にいじめ抜かれ、人格がさらに歪んでしまったのだ。
その後は、田舎で両親の仕事を手伝っていたのだが……少年愛という性癖は、全く消えていなかった。それどころか、少年を暴力でいたぶりたい……という願望まで芽生えていた。五年間の刑務所生活は、彼を凶悪なモンスターへと変えてしまったのである。
そんな勝谷の犠牲になったのが秋山だった──
殺害現場からは、勝谷との性交によるものと思われる痕跡も多数発見された。また秋山の体からも、勝谷との性交の痕跡が見つかった。全て、少年の証言を裏付けるものだ。
結果、秋山は情状酌量により大幅に減刑された。しかも深い心の傷を抱えていると見なされ、医療少年院へと入れられる。そこで、行方不明になっていた母の死を知らされた。
以後、少年は復讐を誓う。少年院を出所してから、表面上はおとなしく生活していた。だが、暇な時間のほとんどを、藤川ら五人の情報を集めることに費やしていたのである。
そんな折、暇潰しのため書いていた小説が新人賞を獲得した。
事件から、十年以上が経過したある日の昼間。
秋山の前には、ひとりの女性が座っている。ごく平凡な顔立ちだ。不細工というわけではないが、美人というわけでもない。年齢は二十代半ばから三十代前半、髪は短めだ。身長は百六十センチあるかないか、体格はごくごく平均的な日本人女性のそれだ。それでも、秋山より背が高いかもしれない。白いTシャツにデニムパンツという地味な服装で、秋山を物珍しそうに見つめている。
そんな両者は、駅近くにあるカラオケボックスの一室にて、向かい合った状態で座っていた。もっとも、ふたりの間に流れる空気には若干の緊張感がある。少なくとも、秋山の方は真剣な表情だ。浮ついた雰囲気は微塵もない。
やがて、女が口を開いた。
「あたしのことを、どうやって知ったの?」
「僕は昔、医療少年院にいた。そこに入っていた人間から、君の噂を聞いたんだよ。ずっと、お会いしたいと思っていてね」
「それはそれは。で、何の用?」
「手伝ってもらいたいことがあるんだ。まずは、これを見て欲しい」
言った後、秋山はタブレットをテーブルの上に置いた。タッチパネルを操作し、画面を切替えていく。時おり操作を止め、画面を指差し説明していた。その間、女は余計な口を挟まず聞き役に徹している。
全ての説明が終わると、女はようやく口を開いた。
「ちょっとわからないんだけど、ラストはどういう形で締めくくるつもりなの?」
「わからない。最後にどうなるかは、その時の状況次第だね。神のみぞ知る」
「なるほどね。あんた変わってるわ。あと、引き受ける前に、これだけは確認しておきたいの。最後までやり切る覚悟は、本当にある? よく考えてみた方がいいよ」
「あるよ」
即答した秋山に、女はくすりと笑った。だが、直後に顔つきが変わる。ポケットからシガーレットケースとライターを出した。
ケースからタバコを一本取り出し、口に咥え火をつける。
「ひとつ言っておく。あたしは、土壇場で腰が引けて使い物にならなくなった男を大勢見てきた。口先だけの決意表明は、誰でも出来る。でも、その決意を最後まで貫ける奴は少ない」
そこで、彼女は口から煙を吐き出す。
「あたしとしては、そういうのは非常に困るんだよ。もし、あんたが土壇場でビビって、気が変わった、もういいから……なんて言い出したら、あたしはあんたを殺す。これ、脅しじゃないからね」
言いながら、女は人差し指を青年に向ける。その顔には、冷ややかな殺意があった。秋山も、彼女の言葉が嘘でないことを知っている。この女は、そこらのヤクザや半グレとは違う。本物のモンスターなのだ。事実、医療少年院には、彼女を怒らせたばかりに「去勢」された者が収容されていた。
冷酷な目を青年に向けつつ、話を続ける。
「それでもいいなら、あたしは引き受ける。やめるなら、今のうちだよ。今なら、なかったことにしてあげてもいい。どうするの?」
その問いに、秋山は静かな口調で語り出した。
「奴らのせいで、僕は人をひとり殺す羽目になった。それだけじゃない。奴らは、僕の大切な人を死に追いやったんだ。その報いを受けさせたい。そのためには、どんな犠牲も払う。何なら、僕の命をあげてもいい」
言った後、秋山は彼女を見つめた。
すると、女はもう一度タバコを咥える。煙を吐き出した直後、火のついた部分を二本の指でつまむ。常人なら、触れた瞬間に熱さのあまり放り投げているはずだ。
しかし、女は表情ひとつ変えない。二本の指で、タバコの火を揉み消してしまった。
次に、もう一本タバコを咥え火をつけた……かと思いきや、女は動いた。一瞬で秋山の手を握り引き寄せる。その腕力は見た目より強い上、動きは尋常ではない速さだ。秋山は、抵抗できずされるがままになっている。
続いて、女は火のついたタバコを、秋山の手に押し付ける。
タバコの先端が、肉を焦がす。凄まじい熱さを感じているはずだ。にもかかわらず、秋山は表情ひとつ変えない。その目は、女をしっかりと見つめている。
すると、女はニッコリ笑った。
「わかった。引き受ける。契約成立だね」
・・・
そして現在──
秋山は、目を開けた。カーテンの隙間から射してくる日の光が眩しい。
上体を起こして、辺りを見回す。狭い部屋だった。秋山は今や、書いた作品が映画化される売れっ子作家……のはずなのだが、彼の自宅は安いボロアパートである。部屋は狭く、家具は生活に必要な最低限の物しか置かれていない。今いる部屋にもベッドがなく、床に布団を敷いて寝ている状態だ。
そして台所からは、調理しているような音が聞こえてくる。
秋山は起き上がり、台所へ行った。
そこにいたのは、朝倉風太郎のサブマネージャーを務めている
そして彼女こそ、カラオケボックスにて彼の手に火傷の跡を作った女なのだ。
「おはよう」
声をかけると、山田は振り向いた。飾り気のない平凡な顔立ちだ。身長は百五十センチ強、小柄な秋山と、ほぼ同じか少し高いくらいだろう。細身だが、しなやかな筋肉に覆われた体つきである。
この女、秋山と藤川との対談の時にも同席していた。藤川は見れば見るほど平凡たと心の中で評していたが、それは大きな間違いだった。山田は、平凡どころか裏の仕事もこなせる女なのだ。実際、今では秋山のボディガードのような役割も担っている。
さらに、この女は廃墟の中にもいた。事件のあった日に廃墟に入り、様々な工作を
もっとも、その事実を知っているのは秋山と女のふたりだけだった。
「おはよう、にはちょっと遅いよ。ご飯食べる?」
砕けた口調だった。山田は秋山より年下であり、立場も下である。だが、敬語を用いるような間柄ではない。
そう、このふたりの結び付きは……極めて特殊なものだった。世間一般でいわれる恋人や愛人とも、また異なるものだ。
「いや、まだいいよ」
そう言うと、秋山はベッドから上体を起こした。スマホを手にして操作する。画面には、藤川の入院する病院の画像が映し出されていた。今、世間の注目を集めているのが、四人が廃墟にて怪死した事件だ。
この事件は、今や世間の関心を一手に集めてしまっていた。そもそも、事件現場からして普通ではない。閉鎖病棟の廃墟なのだ。この時点で、様々な層の興味を引くこととなった。
しかも、全員の体内から覚醒剤の反応が出ていた。廃墟内でドラッグをやり騒いでいたバカな若者のグループが、変死体で発見される……まさしく、B級ホラー映画の設定そのままである。
さらに、死んだ四人のうちふたりが有名人であった。かつてグラビアアイドルとして一世を風靡していた七尾恵美と、有名格闘家のSYUJIこと村本修司だ。
七尾は三年前まで、グラビアアイドルとしてテレビ番組などに出演していた。しかし、中学時代に喫煙していた画像が流出し、事務所より謹慎処分を言い渡される。さらに、大麻を吸っていたという疑惑もあった。覚醒剤をやっていたと言われて、疑う者などいない。
村本もまた、かつて不良少年だった過去がある。更生して格闘家となった、というのが彼の売りだった。しかし、その経歴ゆえ薬物をやっていたとしてもおかしくない……というのが、世間一般の見解である。
その上、同じ場所で死体となっていた山口彰には、薬物の逮捕歴があったことも報道された。覚醒剤の所持使用で、二度の実刑判決を受けている。五人全員が中学生時代の不良仲間という点もまた、事件への関心を深める結果となった。
警察は、廃墟でドラッグパーティーを開催したところ、幻覚や幻聴を見てしまった。挙げ句に頭がおかしくなって殺し合い、四人が死亡した……と、事件の概要を発表する。
そうなると、マスコミが放っておかなかった。連日、この事件を仰々しく報道する。「芸能界の麻薬汚染」「薬物が引き起こした狂気の連続殺人」などと大仰な見出しが、ネットやテレビや雑誌などを賑わせていた。
コメンテーターたちは、ここぞとばかり攻撃する。「もはや、芸能界は定期的な薬物検査が必要」「番組の出演時には、薬物検査をセットで行うべき」などという意見が飛び交った。
さらには、タレントたちも売り込むチャンスとばかりにコメントする。中には、たいした関係もないのに「七尾さんは、昔から奇行が目立っていたんですよ。何かやっているんじゃないかと思っていました」「SYUJI、やっぱりやってましたか。試合の時は、目つきが尋常じゃないんですよ。やたら気も荒くなってましたしね。前から変だなあと思っていたんです」などとデタラメなことを吹聴する者もいた。当然、擁護する者などいない。
事件の唯一の生き残りである藤川亮には、殺人と覚醒剤使用の容疑がかけられている。ついこの前まで、金も地位も名誉も手に入れたイケメン社長……ところが今では、犯罪者として警察の取り調べを受けている。成功者が、天国から地獄へ一気に引きずり落とされる……大衆にとって、これほど溜飲が下がる話題もないだろう。ここぞとばかり、藤川を叩く者が現れた。
法律や刑事事件に詳しいコメンテーターたちは、口を揃えて「藤川容疑者は、実刑判決を免れないでしょう。確実に八年以上の刑は受けるでしょうね」と語った。離婚も成立し、会社の代表取締役という地位も失った。ネットでは、ここぞとばかりに藤川に対する悪口や罵詈雑言が書き込まれる。中には「俺は昔、藤川に覚醒剤を売っていた」などと書き込む者までいた。
かと思うと、「藤川は無実だ。とある重大な陰謀に巻き込まれたのだ」などと、陰謀説を主張する者もいる。神崎美奈代の夫である達俊が行方不明になっていることも、陰謀説に拍車をかける結果となった。
もっとも、この事件の真相を知っている人間は、秋山と山田だけである。
全てを知っている女は、くすりと笑った。
「どう、復讐を遂げた感想は?」
「不思議な気持ちだな」
秋山は、のほほんとした口調で答える。これだけの大事件を引き起こした人間にしては、のんびりした表情であった。
「は? どういうこと?」
尋ねる山田に、秋山はにこやかな表情で答える。
「映画なんかで、よく言ってるじゃん、復讐は空しい……とか。でも、今の僕は清々しい気分なんだよ」
「清々しい?」
「うん。呪縛から逃れられた気分だ。ようやく、僕の本当の人生を歩める気がするよ。やっと、普通の人間に戻れた気がする」
淡々とした口調で語った。すると、山田はくすりと笑う。
「あんた、やっばり変わってるね。あたしも、いろんな男を見てきた。でも、あんたがナンバーワンの変人だよ」
「いや、君も相当なものだと思うよ。依頼の報酬の一部が、僕のサブマネージャーになることなんてさ」
「だってさ、あたしみたいな人間が、表社会の華やかな場所に出入りするなんて、なかなか経験できないことだよ。本当に面白かった。むしろ、こっちから金払いたいくらい」
山田は笑いながら言っていたが、まんざら冗談でもなさそうだ。ずっと闇の中で生きてきた彼女にとって、秋山との生活で体験したことは貴重なものだったのかもしれない。
「そう? だとしたら、僕も嬉しいよ」
そう言った後、秋山はリモコンを手に取る。
「なーに、またアレを観るの?」
苦笑する山田だったが、秋山は構わずスイッチを押す。
「うん。何度観ても飽きないからね」
やがて、テレビの画面に映像が映しだされる。廃墟の中を映したものだ。
あの廃墟の中には、あらかじめカメラがセットされていたのである。全ての階の部屋と廊下を映し出せるよう、複数がセットされていたのだ。もちろん、警察の捜査が入る前に回収してある。
秋山が観ている映像は、別々のカメラに映っていたものを上手く編集し繋いだ映像である。これで、あの廃墟内で何があったかがわかるのだ。
そう、これは秋山と女しか知らない真実であった。
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