藤川亮の日常

 それから、十五年後──




「お二人は、同学年だそうですね」


 スーツ姿の女が、にこやかな表情で言った。その視線の先には、ふたりの青年がいる。テーブルを挟み、向かい合って座っていた。

 彼らがいるのは、お洒落な雰囲気のオフィスである。三人の周囲には、数人の男女が立っており成り行きを見守っていた。


「僕は、先月で三十歳になりましたが……では、先生も三十路に突入ですね。とても、そうは見えませんよ。お若いですね」


 藤川亮フジカワ リョウは、落ち着いた態度で語った。

 彼はブランド物の高級スーツに身を包んでおり、足を組んだ姿勢で椅子に腰かけている。身に付けているアクセサリーも、派手さはないが存在感のあるものばかりだ。温厚そうな表情を浮かべ座っているが、うちに秘めた圧倒的な自信は隠しきれていない。また、端正な顔立ちの持ち主だが、鋭い目つきはワイルドな雰囲気をも醸し出している。体格は中肉中背で足は長く、すらりとした体型に高級スーツがよく似合っていた。この見た目と巧みな話術により、マスコミにもたびたび取り上げられている人物だ。

 もっとも、この藤川はイケメン枠のタレントではなかった。今でこそワイドショーのゲストコメンテーターを務めたり、トークショーやバラエティー番組に出演するなどタレント活動も多くなってきてはいる。だが、彼の本業は違うものである。

 実のところ、この男の本業は青年実業家なのだ。それも、ただの実業家ではない。僅かな期間で巨万の富を得ており、この不況下において若者たちの絶大な支持を集めている人物である。

 藤川が代表取締役を務めている株式会社『マッドハリケーン』が開発したゲームアプリ『監獄都市エスメラルダ』は、発表されるや否や一大センセーションを巻き起こした。今も多額の売上を叩き出しており、マッドハリケーンの代名詞ともいえる作品だ。

 アプリのヒットに伴い、藤川の容貌とトーク術にも注目が集まる。マスコミの前でよどみなく流暢に語り、時には小洒落れた例えなどを用いて説明したりする姿が、アプリの売上をさらに伸ばす結果となった。下手なタレントよりも喋りが上手く、出演した番組では確実にいい仕事をしてくれる。不況が叫ばれ久しい現代において、藤川のシンデレラ・ストーリーは老若男女あらゆる世代の人間から注目されている。


「実は僕、三十路に突入するのは来年の三月です。でも、学年は一緒ですよ。もしかしたら学生時代、どこかで顔を合わせていたかもしれないですね。ただ、先生はやめてくださいよ。僕なんか、藤川さんとは比べ物になりませんから。先生と呼ばれるほどの者ではないですよ」


 一方の朝倉風太郎アサクラ フウタロウは、恐縮した様子で答える。こちらは、かなり小柄で華奢な体格だ。身長は百六十センチあるかないか、体重も五十キロ前後と思われる。Tシャツとデニムパンツ姿であるため、その痩せた体型が余計に目立つ。こちらも顔立ちは悪くないが、藤川に比べると幼く、気の弱そうな雰囲気を醸し出している。十代の少年だと言われても、違和感のない風貌だ。

 そんな朝倉もまた、若者に支持されている人物である。去年、彼の発表したウェブ小説が新人賞を取ったのだ。激しい暴力場面と暗い心理を丹念に描いていた。さらにリアリティーある裏社会の描写と、その作風とは真逆の可愛らしい見た目が話題となり、たちまちベストセラーとなった。先日、映画化の予定があることも発表されている。

 今回、ふたりの対談を企画したのは、朝倉のデビュー作『傷痕』を出版している現代社である。映画化を機に、さらなる増刷を……という目論みがあるのだろう。

 まあいい。それならば、こいつらの喜びそうな発言をしてやろう。


「いやいや、何をおっしゃるやら。学生時代、僕の周りはバカばっかりでしたからね。先生のような才能溢れる方とお会いしていたら、絶対に忘れるはずはありませんよ。次は先生に、うちのゲームアプリ向けキャラクターの原案などをお願いしたいですね」


「えっ、僕がキャラクターの原案ですか? いやいや、無理です。そんな大役、こなせる自信がありませんよ」


 困惑した顔でかぶりを振る朝倉を、藤川は熱い表情で見つめ口を開く。


「何をおっしゃるんですか。僕は、是非とも先生にお願いしたいです。ゲームアプリのキャラといえども、きっちりとしたプロフィールは必要ですからね。ただ可愛いやカッコイイだけじゃ、ファンの心は掴めませんよ。綺麗な絵と、作り込まれた背景……この二つが揃って、初めてキャラクターに生命が吹き込まれるわけですね。そのどちらが欠けても、人気は出ません。いわば、キャラクターの両輪ですね」


「そうですか。いやあ、さすが藤川さんですね。言葉のひとつひとつが勉強になります。令和のシンデレラボーイと呼ばれる方の発想は違いますね」


 朝倉は、本気で感心しているらしい。ウンウンと頷いた直後、何を思ったかメモ帳とペンを取り出した。困惑する藤川や女たちの前で、メモを取り始める。

 対談の最中にメモを取るとは、面白い男だ。藤川は苦笑した。この天然ぶりも、人気の一因なのかもしれない。


「いえいえ、何をおっしゃっているんですか。こんなの、ウチの業界じゃ常識ですよ」


 藤川が言った時、司会進行役の女性記者が口を挟む。


「では、今後お二方のコラボの可能性にも期待できるわけですね?」


「もちろんです。僕は、ファンの期待には応えます。ファンが望むなら、どんな犠牲をも支払うつもりですよ。儲けるという字は、信じる者と書きます。僕は今、正直に言って儲かっています。つまり、僕を信じてくれている者が大勢いるということですよ。その信じてくれている者たちの気持ちに応えること、それこそがビジネスにとって一番大事なものです」


 藤川は、力強い口調で語る。まるで、自己啓発セミナーの講師のようなセリフだ。その表情は自信に満ち溢れており、 

 向かい合っている朝倉はというと、完全に真逆の態度であった。一応は笑顔で頷いているものの、その笑顔は引き攣っている。恐らくは緊張しているのだろうが、見ようによっては嘲笑しているように受け取れなくもない。

 少なくとも、いい笑顔と呼べるものでないのは確かだ。この朝倉という男、あまり表に出ない方がいいかもしれない……と藤川は思ったが、もちろん顔には出さなかった。


「いずれは、僕の半生を先生に小説化していただきたいですね」


 そう言って、藤川はニッコリわらう。





 対談は、穏やかな雰囲気のまま終了する。最後に、立ち上がっての握手した姿を撮影した。心のない形だけの挨拶をすると、藤川は現代社のオフィスを出ていく。

 帰り際、ちらりと振り返ってみる。朝倉は、まだ出版社の人間と話しているらしく、ペコペコと頭を下げているのが見える。卑屈な男だ。

 そんな朝倉の隣には、若い女が立っていた。彼と同じく、Tシャツにデニムパンツという格好だ。身長は、朝倉とほぼ同じである。地味な顔立ちで、年齢は二十代半ばから三十代前半。髪は短めである。格好から察するに、出版社の人間ではない。となると、朝倉のマネージャーだろうか。

 それにしても、見れば見るほど平凡な顔だ。ミス・一般人というミスコンがあったら、グランプリを取れるだろう。藤川なら、あんな地味で面白みのない女を周囲に置いたりはしない。

 と、その女が不意にこちらを向いた。藤川の視線に気づいたのだ。にこやかな表情で会釈する。その瞳からは、妙な自信が感じられた。

 藤川は、思わず首を捻る。あの自信に満ちた目は何なのだろうか。いや、朝倉の周囲で芸能人などと仕事をしているうちに、自分も凄い人間だと思い込んでしまったのかもしれない。

 そう、こういう業界にいると、勘違いしてしまう人間は珍しくないのだ。大物と仕事をしている自分も大物、そんな錯覚に陥った人間を、藤川は大勢見てきた。

 まあ、どうでもいい話だ。すぐに目を逸らし、エレベーターに乗り込む。

 地下に行き、駐車場に停めてあるランクルの後部席に乗り込むと、ハアーと大袈裟に溜息を吐いた。


「はあ、やっと終わったよ。本当に面倒くせえ」


 その声を聞き、運転席にいた浮田友梨絵ウキタ ユリエがこちらを向いた。

 彼女の年齢は二十六歳。引っ詰め髪に落ち着いたスーツ姿だが、そこらのアイドル顔負けの美貌をいささかも損なってはいない。むしろ、パンツスーツ姿により、魅惑的な体のラインを強調している感さえある。朝倉のマネージャーとは真逆のタイプだ。


「どうでした、噂のイケメン作家は? 実物はカッコよかったですか?」


 目を輝かせ聞いてきた浮田に、藤川はかぶりを振る。


「何がイケメンだよ。実物は、ひ弱そうなチビだったぜ。気も弱そうだしな。今は、ああいうタイプが仔犬系とか弟系とか呼ばれてウケるんだろうな。でもよ、ああいうタイプに限ってとんでもない変態だったりすんだよ。あいつはたぶん、君のオシッコを飲ませてくれ! とか言ってくるタイプだな」


 真面目な顔でそんなことを言うと、浮田は顔をしかめた


「えええっ、そうなんですか? ファンだったのに、ショックだな」


「いや、マジでキモい奴だったよ。見るからにイジメたくなるタイプだったしな。ガキの頃に俺と同じクラスだったら、完璧にイジメてたね。いや、あんなのが部下だったら、今でもイジメるな」


 その言葉が示す通り、藤川は根っからのイジメっ子気質である。自分はドSだと公言しており、部下に対してもパワハラ寸前の扱いをしている。もっとも、この男はバランス感覚にも優れていた。ムチだけでなく、アメもちゃんと与える。そのおかげで、部下に訴えられることなく社長とタレントという二足のわらじを履いていられるのだ。


「そんなことより……」


 言いながら、藤川は座席越しに彼女に顔を近づけていく。


「なあ、まだ時間あるだろ? こっち来いよ。会社に戻る前に、スッキリしたいんだ」


「ちょっと社長ってば……また車の中ですか?」


「仕方ないだろ。ホテル行ったら目立つからな」


 そう、ホテルだと人目がある。ここまで有名になってしまった以上、目立つことは出来ない。


「もう、しょうがない人ですね」


 浮田は溜息を吐きつつも、彼に言われた通り後部席へと移ってきた。藤川は彼女を抱きしめ、唇を合わせた。その手は、荒々しく体をまさぐる。

 やがて、車はギシギシ揺れ始めた。傍目に見ても、はっきりとわかるくらいの揺れ具合だ。揺れはどんどん大きくなったかと思うと、数秒後には収まった。




「そういえば社長、格闘家のSYUJIとも同級生だったんてすよね。どんな感じなんですか?」


 コトを済ませ、ふたりして車の中で身だしなみを整えていた時だった。浮田が、そんなことを言ってきたのだ。

 藤川は思わず顔をしかめた。この女、有能だし顔も体も素晴らしい。ただ、少々喋りすぎるのと有名人に弱いのが欠点である。


「SYUJI? ああ、そうだよ。あいつ本名は村本って言ってな、当時からケンカは強かった。けど、ものすげえバカだったぜ。本当、バカばっかりやってたよ」


 そう、SYUJIこと村本修司ムラモト シュウジは本当に頭が悪かった。一緒に悪さをしていても、頭の悪さゆえにちょいちょい足を引っ張られていた。一度など、放置してあるバイクに村本が火をつけたところ、残っていたガソリンに引火し爆破させてしまったことがあるのだ。慌てて逃げ出したが、結構な騒ぎになったことを今も覚えている。

 他にも、あちこちでバカをやらかしては、藤川らに迷惑をかけていた。だいたいにおいて、真っ先に騒ぎを起こすのが村本だ。その後始末をするのが、藤川たちである。本当に、どうしようもない奴だった。奴とツルんでいたのも、結局のところケンカの腕を買われグループの用心棒代わりをさせていただけだ。

 一般的に、好かれるバカは可愛いげがあるものだ。しかし、村本は可愛いげのないバカだった。付き合っていると、本当に疲れる。


「えっ? SYUJIってバカなんですか?」


 素っ頓狂な声を出した浮田に、藤川は思わず苦笑する。


「あいつの顔を見ればわかるだろ。バカすぎて、入れる高校がなかったんだよ。だから、あいつ中卒なんだぜ。脳筋とは、まさに奴のことだな。格闘技やってなかったら、ヤクザの鉄砲玉になるか半グレの用心棒やるしかなかったろうな」


 これも本当のことだ。藤川は中学生の時、ほぼ毎日遊び歩いていながらも、あっさりと第一志望に合格した。しかし、村本は違う。受けた高校には全て落ち、どこにも入れなかったのだ。自分の名前さえ書ければ合格、という最底辺の学校すら入れなかった。彼の頭は、学校教育には不向きだったらしい。

 やがて村本は上京し、そこでキックボクシングを始めた。しばらくしてプロデビューし、順調に勝ち星を重ねていく。一時は『暴虐のカリスマ』などと呼ばれ、マスコミに騒がれたりもしていたのだ。

 学生時代の藤川は、そんな村本の活躍を苦々しい目で見ていた。

 藤川が大学に入学し上京した直後には、村本とよく会っていた。彼の試合を観に行ったりもしていたのだが……マスコミに取り上げられたことをきっかけに、あの男は段々と傲慢になっていく。天狗といつ言葉は、まさに当時の村本のことを表している言葉だった。その傲岸不遜な態度に不快なものを感じ、疎遠になっていった。

 しばらくして、状況は一変する。村本が初の敗北を喫しスランプに入った時期に、藤川は起業した。その後は、まさに順風満帆だった。あっという間に業績を伸ばし、あれよあれよという間に会社は大きくなっていく。

 やがてマスコミから、藤川に取材の依頼が来るようになる。今では、地上波のテレビ番組にも出演している。両者の知名度は、完全に逆転してしまった。

 今の藤川にとって、村本など取るに足らない存在だ。もっとも、お気に入りの秘書である浮田の口から、彼の名前を聞くのは気分のいいものではないが。


 今の藤川は、まさに絶好調であった。実力はもちろんのこと、運まで味方につけた自覚がある。

 三十歳にして、地位と金と名声を手に入れた。タレントでもないのに、今週だけで地上波テレビ番組の収録が三本決まっている。本業の方も、順調そのものだ。株価の方も、どんどん値上がりしている。このままいけば、一部上場企業の仲間入りも夢ではない。

 家に帰れば、妻と子供がいる。こちらも申し分ない。仕事も家庭も順風満帆だ。しかも、会社には口の固い美人秘書もいる。体だけの相手としては、実に素晴らしい女だ。また、他にも体だけの関係の女が何人もいるのだ。その全てが、連れて歩けばたいていの男たちが思わず振り向いてしまうような美女である。

 そう、同じ年代の男たちなら、誰もが羨むであろう幸せを自分は手にしている。その意識が、絶大なる自信となって藤川を支えていた。




 翌日、藤川は会社へと出勤した。

 いつものごとくパソコンをチェックし、様々なメッセージに目を通す。これまた、藤川の朝の日課である。その時、浮田が近づいてきた。


「社長、こんなものが届いていました。どうします?」


 言いながら、彼女が渡してきたのは……分厚い荼封筒だった。差し出し人の欄を見ると、秋山薫と書かれている。


「あきやまかおる? どっかで聞いたような気がするぞ……誰だっけな?」


 藤川は首を捻った。見覚えのある名前だ。しかし、誰かは思い出せない。

 頭の中にある記憶の引きだしを、片っ端から開けてみた。確かに聞き覚えのある名前だ。ところが、顔は出てこない。どんな人間であったか、具体像も出てこないのだ。

 藤川は苦笑する。彼は、記憶力には自信があった。一度でも顔を合わせ、言葉を交わしたことのある人間の姿と名前は、ほぼ完璧に記憶していたのだ。藤川が短期間でここまで会社を大きく出来た理由、そのひとつが記憶力による人脈作りだ。

 しかし、この秋山薫だけは顔を思い出せない。


「こいつ、誰だったかな。本当に思い出せねえよ。なあ、秋山って名前に聞き覚えは?」


 念のため、浮田に聞いてみた。だが、彼女は首を横に振る。


「知らないですね。調べてみます?」


「いや、いいよ。ひょっとしたら、どっかのバカのいたずらかもしれないしな」


 呟きながら、封を開けてみた。だが、その顔は一瞬にして引きつる──

 中には、数枚の写真が入っている。ブランド物のスーツを着た男が、若い女とともに多目的トイレに入っていく場面が写されている。この男が誰か、藤川にはよくわかっていた。自分自身だ。女の顔にも、自身の行動にも覚えがある。いつの間に、こんなものを隠し撮りされていたのだろう。

 同封されていた便箋には、文字が書かれている。たった一行、こう記されていた。


 お前は人殺しだ


「な、何だよこれ……どういう意味だ?」


 その声は震えていた。すると、浮田が眉間に皺を寄せる。


「どうしました?」


 異変を感じとったのか、こちらに近づいて来る。藤川は、慌てて写真を隠した。


「何でもない。ただのいたずらだよ。ただの……」


 その時になって、ようやく秋山薫が何者か思い出した。中学生の時、同じクラスにいた生徒だ。

 あの日以来、存在すら忘れていた男──

 



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