過去からの鎮魂歌

板倉恭司

プロローグ

 日の沈みかけた山道を、一台の軽トラックが走っていく。

 運転しているのは、特徴的な髪型の中年男だ。てっぺんの髪は綺麗に抜け落ち、左右に残った髪は長い。まるで落ち武者のようである。口の周りには無精髭が目立ち、作業着に包まれた体はガッチリしていた。半袖の作業着から覗く二の腕は太いが、腹もポコッと出ている。お世辞にもカッコいいとは言えない体型だ。

 そんな中年男の顔には、いかにも楽しそうな表情が浮かんでいた。この先に待っているもののことを考えたら、思わず笑みがこぼれてしまう……そんな様子で、男はハンドルを握っていた。




 しばらくして、軽トラックは停まった。中年男は、ドアを開け車を降りる。

 彼の目の前には、木造の小屋があった。古びており、あちこちガタが来ているが、雨風をしのぐ役には立ちそうである。閉められた引き戸には、鉄製の大きな南京錠が付けられていた。防犯よりも、中にいる者を出さないための物のように見える。

 小屋の周りには木が生い茂っており、地面は土だ。周囲には、それ以外は何も見当たらない。見渡す限り、緑と土に覆われている。民家はおろか、人工物の気配すらなかった。当然、人の気配などあるはずもない。車の音も聞こえなかった。

 そんな中で、男はポケットから鍵を取り出した。引き戸に付けてある南京錠を開けると、さらに引き戸を開く。

 中に入ると、ニヤリと笑った。


 そこには、異様な光景があった──

 小屋の広さは、六畳ほどだろうか。薄暗い室内に、家具らしきものは何もない。汚物と体臭と腐った食べ物の入り混じった嫌な匂いが漂っていた。床にはホコリが目立ち、部屋の隅には大きなバケツと皿が二枚置かれている。バケツの周辺では、カサカサという小さな音がしていた。恐らくは、虫の足音だろう。

 そんな小屋の中には、ひとりの少年がいる。入ってきた男に向かい、ペこりと頭を下げた。一糸まとわぬ姿で床の上に正座し、彼を見上げていた。幼さの残る中性的な顔立ちであり、色は白く、体つきは華奢である。

 あまりにも異様な光景である。しかし、中年男に怯む気配はない。それどころか、ニヤニヤ笑いながら服を脱ぎ始めたのだ。上着を脱ぎ捨てたかと思うと、下着に手をかける。すぐに脱ぎ、無造作に放り投げていった。

 やがて、男は全裸になった。毛深い体だ。薄い髪に反比例するかのように、体毛は濃い。体つきはがっちりしているが、腹にはたっぷりと脂肪が乗っている。目の前にいる少年とは、真逆の体である。

 少年の方は、下を向き正座したままだ。動く気配がない。男は、下司げすな表情を浮かべて口を開く。


「おい、いつまで座ってるんだ? いつもみたいにご奉仕しろ。人間、働かざる者は食うべからずだぞ。お前の仕事は、俺に奉仕することだ」


 とんでもないセリフである。だが、中年男の口調から判断するに、冗談ではないらしい。

 すると、少年は立ち上がる。中年男を見つめ、はっきりと言ったのだ。


「あんたへの奉仕は、もう嫌だ」


 直後に、右手を振り上げる。その手には、ボールペンくらいの大きさの木片が握られていた。小さく細いものだが、先は尖っている。物騒な動きだが、少年の顔には笑みが浮かんでいた。先ほどの中年男と同じく、この先に待っているもののことを考えたら、思わず笑みがこぼれてしまう……そんな雰囲気か漂っている。

 その異様な行動に対し、男はポカンとなっていた。今まで、少年は自分に対し完璧に服従していたのだ。反抗など、絶対に出来ないはずだった。逆らえば、殴られ蹴られ恥ずかしい思いをさせられる。これまで、そうやって調教したはずだった。

 しかし少年は、はっきりと拒絶の言葉を口にしているのだ。その上、直後に右手を振り下ろした。

 握られていた木片が、男の左目に突き刺さる。眼球を、一瞬で刺し貫いた──

 男は、きょとんとなっていた。己の身に何が起きたのか、とっさに把握できなかったらしい。

 だが、一秒後──


「ぎゃああぁぁ!」


 ワンテンポ遅れて、悲鳴を上げた。直後に、両手を突き出し少年を突き飛ばす。恐らくは、本能的な行動だったのだろう。少年の華奢な体は、呆気なく吹っ飛び壁に叩き付けられた。

 しかし、少年は痛みで顔を歪めながらも、すぐに立ち上がる。その手には、先ほどの木片が握られていた。体液とも肉片ともつかないものが、先端にこびりついている。

 中年男の方は、両手で傷を押さえうずくまっていた。口からは、悲鳴とも嗚咽ともつかない声が漏れでている。

 そんな男に向かい、少年は木片を振り上げる。

 何のためらいもなく、一気に木片を突き刺した。木片は、男の背中に深々と刺さる──


「い、いでえぇ! や、やめろひょ! 許ひてくれえぇ!」


 叫びながら、男は腕をばたばた振り回す。弾みで、木片は折れた。半分は男の体内に刺さったままである。

 だが、少年にやめる気はないらしい。ひいひい叫んでいる男を尻目に、彼の服をまさぐる。

 やがて、目当てのものを取り出した。ポケットに入っていた折りたたみ式のナイフだ。

 少年はナイフの刃を出し、男に視線を移す。

 次の瞬間、笑みを浮かべ襲いかかった。男の体に、刃を突き刺す。それも、一度では終わらない。ナイフを引き抜くと、またしても突き刺す。綺麗な顔に似合わぬ恐ろしい形相で、刃を突き刺していく──


「た、助けてくれえぇ!!」


 悲鳴が響き渡った。中年男は四つん這いの体勢になり、少年から少しでも離れようとはいずり回る。その動きに伴い、大量の血が流れ出ていった。床板は、真っ赤に染まっていく。放っておいても、出血多量で死んでしまうだろう。

 だが、少年にそちらの選択をする気はないらしい。すぐに追いつき、中年男の背中に容赦なくナイフを降り下ろしていく。その瞳には、狂気の光があった。


「やめてください……許してえぇ……」


 許しを乞いながら這っている中年男の体に、ナイフが深々と突き刺さっていく。悲鳴があがり、またしても血が飛び散る。半ば本能的な動きだろうか。四つん這いの体勢で、どうにか小屋の扉を開けた。全裸のまま、外に逃げようとする。

 少年は、それでも攻撃をやめない。さらにナイフを引き抜き、また振り上げた。男の体に、ぐさりと突き刺していく。

 大量の血は、いつしか少年の体をも真っ赤に染めていった──




 やがて、中年男の動きは止まった。

 先ほどまでは、刺すたびにピクッと反応していたのだ。しかし今は、何の反応も示さない。どうやら、完全に死んだらしい。

 少年は、ぎこちない動きで立ち上がった。その拍子に、ナイフが手から落ちた。音を立て、床の上に転がる。そのナイフを、じっと見つめた。

 数秒の後、少年は改めて周囲を見回した。

 殺風景な部屋だ。さほど広くない室内には、大きなバケツと皿以外に何も置かれていない。窓は閉められ、木製の壁はむき出しだった。まるで独房のようである。こんな部屋に、ずっと閉じ込められていたのだ。今が何月何日の何曜日か、それすらわからない。

 床には、死体が転がっていた。中年男の無様な死体。その体から流れでた大量の血は、今や床一面に広がっている。出入り口から、外へと流れていった。

 そんな中、少年はゆっくりと動き出す。開いていた扉から、外に出ていった。

 緑に覆われた山の中を、少年は全裸のままで歩いていく。裸足で、一歩一歩を確かめるかのように進んでいった。

 全身に返り血を浴びた姿で、憑かれたように歩いている少年。その姿は、ホラー映画のモンスターのようだ。

 歩きながら、少年はボソッと呟いた。 


「お前ら全員、地獄を見せてやる」




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