七尾恵美の憂鬱

「チッ、またかよ……いい加減にしろバカ」


 七尾恵美ナナオ エミは、スマホを見るなり毒づいた。

 今、こんなメッセージが届いたのである。


(ヤッホー。ナナちゃん、元気かな。オレ、ナナちゃんと今夜もエッチしたくなっちゃった。今夜は、いつもツンツンしてるけど実はドMな爆乳女戦士でお願いね。衣装は、ナナちゃんが前に撮影で使ってた紐ビキニがいいなァ)


 また、あいつからの呼び出しだ。バカ丸出しのオヤジ構文には、いい加減うんざりする。

 このメッセージの送信者は……実のところ、地味で平凡かつ情けない風貌のオタク親父だ。背は低く小太りで、しかも独特の体臭と安い香水の混じった匂いをプンプンさせた男である。会話も、ドが付くほど下手くそだ。わけのわからないオタク趣味を、延々と一方的に語るだけ。七尾は、ひたすら相槌を打つことしか出来ない。普通なら、一緒に歩くことすらお断りというタイプである。

 しかし、この男の呼び出しは断れない。なぜから、彼には大物が付いている。七尾の、今後の芸能生活を左右するかもしれない存在なのだ。




 七尾が芸能界に足を踏み入れたのは、今から八年ほど前のことであった。

 地元でスカウトされ、グラビアアイドルとしてデビューした彼女。キュートな見た目と豊胸手術により作り上げたJカップの爆乳で、たちまち人気者になる。ナナパイなどという二つ名で様々なメディアに登場し、またたく間にトップクラスのアイドルとなった。

 だが三年もすると、その人気には陰りが出てきた。もともと、歌は上手い方ではない。ダンスも出来ないし、売り物になりそうな特技の類いもない。

 何よりひどいのがフリートークだ。喋らせてみれば、まず語彙が乏しい。反応も遅い。さらに、言葉選びのセンスもない。その上、話題が乏しく話も広がらないのだ。

 残るは演技だが、こちらの評判は悪くなかった。アドリブは利かないが、台本さえあれば完璧にこなせるタイプである。生き残るとしたら、本格的な女優への転身しかないかと思われた。

 人気に陰りを感じながらも、どうにか仕事を続けながら生き残りを図る日々……そんな矢先、とんでもない事件が起きる。

 ある日、中学生時代に制服姿でタバコを吸っていた画像がネットに流出してしまったのだ。それだけでなく、大麻を吸っていたという噂まで流れる始末だ。さらに、ヤンキーだった過去も暴かれてしまう。ここぞとばかり、彼女を叩く流れが加速し大炎上してしまった。ファンだった者たちも、徐々に離れていってしまう。

 七尾は、仕方なく記者会見を開いた。その席で、中学生の時にタバコを吸っていたことは認める。だが、大麻は吸っていなかったことを主張した。実のところ、中学生時代に大麻を吸ったことはある。だが、それを認めてしまえば全てが終わりだ。結果、事務所の判断により、全ての芸能活動を休止することが決定した。自宅にて、謹慎生活をすることとなってしまう。

 最初の半年ほどは、動画などを投稿し己の新たな売り出し方を模索していた。だが、どれも上手くいかない。そもそも、アドリブが利かずクリエイターとしての能力もない七尾に、ウケる動画など作れるはずがない。ネットでの評価は最悪だった。

 謹慎生活のスタートから三年が経ったが、事務所から復帰の話が来る気配はない。このままでは、セクシー女優への転身以外に道はなさそうだった。事実、数人の関係者から連絡は来ている。中には、一本数百万という提示もあったくらいだ。正直、彼女の心は揺れていた。

 ところが、ここに来て事態は急変する──


 三ヶ月ほど前、とんでもない話が舞い込んできたのだ。

 ある日、ツイッターのダイレクトメッセージに通知が来ていた。差出人は作家の朝倉風太郎だと名乗っており、是非とも直接会って話をしたい……という内容であった。

 七尾は最初、朝倉なる作家の存在すら知らなかった。調べてみると、ネットでは少し前から話題になっている作家で、作品が新人賞を取ったのだという。

 朝倉が何者であるかはわかったが、ここで新たな問題が浮上する。

 自分と会いたい……と言ってダイレクトメッセージをよこした人物が、果たして本物の朝倉なのか? という点だ。

 もし仕事が上手くいっている時だったら、七尾は無視していただろう。しかし、今の彼女は暇だった。その上、完全なるくすぶり状態だ。やることなすこと、全てが裏目に出ている。その上、復帰の目処も立っていない。事務所の方も、全くやる気が感じられない状態だ。

 ならば、ここは応じてみよう。ひとまず、メッセージにこう返答する。


(まず、朝倉風太郎さん本人だという証拠を見せるか、証明をしてください。でないと会うことは出来ません)


 送って間もなく、こんなメッセージが来た。


(では、明日ブログを更新しましょう。内容は、未成年の喫煙についてです。とにかく明日、僕のブログをチェックしてみてください)


 翌日、朝倉風太郎名義のブログをチェックしてみた。

 確かに更新されている。一ヶ月ぶりだ。しかも、この前に来たメッセージとほとんど違わぬ内容だった。中学生の時の喫煙により、干されたタレントがいる。過去に犯した罪は、いつまでつきまとうのか……という内容だった。

 間違いなく自分のことだ。七尾は、すぐさまメッセージを送る。


(わかりました。お会いしましょう)




 二日後、七尾は朝倉と会っていた。都内にあるマンションの地下で営業している喫茶店にて、ふたりは向かい合って座っている。

 七尾は、Tシャツにホットパンツという出で立ちである。体のラインが、はっきりと見える格好だ。このところの引きこもり生活で体に肉が付いてはいるが、それでもバストのラインは昔のままだ。一応、キャップとサングラスで顔は隠しているが……否応なしに目立つ。

 一方の朝倉はというと、こちらもTシャツにデニムパンツというスタイルだ。顔は確かにいい。だが、小柄で頼りなさそうな雰囲気を漂わせている。気も弱そうだ。七尾の好みは、違うタイプの男である。

 もっとも、この朝倉に気に入られれば、確実にプラスにはなるだろう。今は、タイプにこだわっている場合ではない。

 さて、どう出てくるか。七尾は、しおらしい顔を作り相手の言葉を待った。

 ややあって、朝倉が口を開く。


「はじめまして。七尾さんのことは、テレビでよく拝見していましたよ。でも、実物の方がずっと綺麗ですね」


 笑みを浮かべつつ、そんなことを言ってきた。胸元にちらちらと向けられる視線には、気付かぬふりをして笑みを浮かべる。


「あ、ありがとうございます。けど、謹慎生活の間にちょっと体型変わっちゃったんですよ。二キロも増えちゃいました」


 言った後、七尾は恥ずかしそうに下を向く。もちろん演技だ。


「そ、そんなことないですよ。七尾さんは綺麗です。だいたい、痩せていれば美しいという価値観は、もはや時代遅れのものですよ。今は、多様性を尊重する時代ですから。そもそも、細身の女性のみが美しいなどという固定観念は、今では崩れ去ろうとしておりますからね」


 朝倉は、そんなことを言ってきた。この男は、知的な部分をアピールするのが好きらしい。ならば、そこを持ち上げてやろう。


「多様性、ですか……やっぱり作家さんなんですね。考えていることが深いです。あたしたちとは、全然違うなぁ。本当に凄いです」


 言いながら、うっとりした目で見つめる。すると、慌てて目を逸らした。この男、簡単に落とせそうだ。朝倉との関係をマスコミにリークすれば、注目を集められる。上手くいけば、そこから芸能界復帰の目もある。こうなった以上、スキャンダルを武器にするしかない……そんなことを思いつつ、朝倉に熱い視線を送る。

 しかし、彼の口から出てきたのは、予想外のものであった。


「ところで……自慢するようで申し訳ありませんが、僕の作品『傷痕』に、映画化の話が来ているのですよ」


「えっ!? 映画化ですか!?」


 本気で驚いた。まさか、そんな話を聞かされるとは。何も言えない七尾に、朝倉は語り続ける。


「はい。ただし、これは絶対に秘密にしておいてください。万が一、この情報か漏れたりしたら……あなたの今後の芸能生活は、極めて厳しいものになると思います」


「わ、わかりました! 誰にも言いません!」


 慌てて答える。これは本当に凄い話だ。大金が動き、同時に大勢の人間が動くことになる。それだけに、もし情報を漏らしたりすれば大変だ。確実に信用を失う。復帰など、夢のまた夢だ。

 しかし、驚くのは早かった。朝倉は、声をひそめて語り出す。


「ここからが大事な話です。映画化の暁には、ヒロインにあなたを抜擢したいという話が出ているのですよ。もちろん、これもここだけの話ということでお願いします」


「わ、私をですか?」


 愕然となった。まさか、自分がヒロインに抜擢とは……想像もしていなかった言葉に、彼女はしばし我を忘れる。何も言えず、それまでの演技も忘れ、ただただ目の前の若者を見つめることしか出来なかった。


「七尾さん? 大丈夫ですか? 僕の話を聞いていますか?」


 声をかけられ、ようやく我に返る。


「は、はい! もちろん大丈夫です! ちゃんと聞いていますよ!」


「嫌でしょうか? この役は、受けられないですか?」


「いえ! そんなことはありません!」


 勢いこんで答える。断る理由など、どこにもない。芸能界復帰の第一歩としては、またとない話だ。

 朝倉の方は、冷静な口調で語り続ける。


「ただ、先ほども言いました通り、この話は内密にお願いしたいんですよ。もう少ししたら、事務所の方にもお伝えします。しかし、今は黙っていてください。まだ、確定の話ではないので……」


「わかりました」


 即答した。闇営業というわけではないのだし、黙っていたところで問題はないだろう。確定した時点で、事務所の方に連絡はいくはずだ。

 そんなことを考えている七尾に向かい、朝倉は話を続ける。


「もうひとつ、少し面倒な条件があるんですよ」


「何でしょうか?」


「失礼ですが、傷痕はお読みになりましたか?」


「はい、読みました」


 嘘ではない。が、真実とも言えない。一応、朝倉との顔合わせの前に、作品を読んでおこうとはした。だが、彼女の生活に読書という習慣はなく、しかも紙の本を読んだことなどない。したがって、読みきるのに異様に時間がかかった。その上、内容をあまり理解できていない。ヤバい連中が登場するヤバい話だ、ということはわかった。しかし、それ以上の感想はない。

 頭をフル回転させ、気の利いた感想の言葉を捻り出そうとする七尾に向かい、朝倉は一方的に語り続ける。


「あなたに演じてもらいたいのは、矢野愛菜ヤノ アイナです。彼女に、どんなイメージをもちました?


「えっ、いや、あの……」


 必死で思い出そうとする。確か矢野というキャラは、貧乳だが普通に可愛いキャラだった……という印象しかない。後は……と頭を回転させ言葉を選んでいると、朝倉はくすりと笑った。


「まあ、急に言われても答えられないでしょうね。矢野は、自由奔放で従来の価値観にとらわれない複雑な内面を持つヒロインです。もちろん、女性としての魅力もあります。そんなキャラクターを演じてもらうにあたり、あなた自身の性的な魅力をチェックしておきたいのですよ。濡れ場のシーンも、避けて通れませんから」


 ピンと来た。何やらもったいぶった言い方をしてはいるが、要はヤらせろということだろう。以前にも、似たようなことを言ってきた業界人はいた。

 いいだろう。これで役がもらえるなら安いものだ。万一、約束を反古にされたとしたら……マスコミに「作家の朝倉風太郎さんに、役が欲しいならと体を要求されました!」と訴えればいい。用心のため、会話は密かに録音してあるのだ。


「ええ、構いません」


 答えた後、目を逸らし俯いた。恥じらう乙女、といった風情だ。言うまでもなく演技である。

 しかし、またしても想定外の発言が出てきた。


「十分後、ここに僕の知人が現れ、この席に座ります。彼の言う通りにしてください。念のため言っておきますが、彼は業界でもそれなりの発言力を持つ人物です。怒らせないようにしてください」


 そう言うと、朝倉は立ち上がった。軽く会釈すると、こちらに質問する間を与えず去っていった。

 七尾はポカンとなりながら、今の言葉について考えてみる。どうやら、朝倉ではなくその知人とやらの相手をしなくてはならないらしい。

 しばらくして、ひとりの男が現れた。緊張した面持ちで、目の前に座る。


「ど、どうも、はじめまして。な、七尾さんだよね?」


 聞いてきた男は、自分より確実に年上だ。冴えないオッサン、その一言につきる。着ているスーツも安物だし、お世辞にもイケメンとは言えない。この男が、朝倉の言っていた知人だというのか。業界人らしさは感じられない。

 だが、朝倉の知人というなら下手なことは出来ない。七尾は、ニッコリ微笑んだ。


「はい、七尾恵美です」


「朝倉さんから、話は聞いてるよね? じゃあ、行こうか」




 それが、今田勇治イマダ ユウジとの初顔合わせである。会話の後、ラブホテルに行きやることをやった。

 その後、何度か呼び出されホテルに行った。そして今日も、今田に会わねばならないのだ。

 真面目を絵に描いたような風貌の今田は、七尾にのぼせあがっていた。会うたびに、いやらしい表情で全身をなめるように見てくる。ホテルでは、様々な衣装を身につけたままでのプレイを要求してきた。しかも、どこで仕入れてきたのか、毎回しょうもない衣装とオタクの妄想満載な台本持参で現れるのだ。今田は、その台本通りのプレイを要求してきた。

 その上、本番の方も下手ときている。早い、小さい、下手……どこにも褒めるところがなかった。一応、演技でイッたふりはしているが、はっきり言って苦痛でしかない。

 それでも、役のためなら仕方ない。いざとなれば、このネタを週刊誌に売ればいいだけだ。そうすれば、少なくとも話題作りにはなる。次の足掛かりになってくれれば、それでいい。

 そんなことを思いつつ、化粧をしていた時だった。スマホがブルブルと震え出した。何かと思えば、新しいネットニュースの通知だ。


(新進気鋭の作家・朝倉風太郎と若きイケメン社長・藤川亮が対談。いずれ若き才能のコラボを約束)


 見たとたん、七尾は思わず顔をしかめた。

 藤川亮……かつての同級生であり、つるんで悪さをした仲でもある。

 芸能デビューしてからは、忙しくなり連絡も昔のようには取りあっていなかったが、それでも交友関係は続いていた。

 しかし、七尾の仕事が減っていくのとタイミングを同じくして、藤川は急激にのし上がっていった。さらに、スキャンダルにより仕事を干された彼女と、若き成功者である藤川の立場は完全に逆転する。やがて、連絡しても無視されるようになってしまった。

 本当に腹の立つ話だ。藤川がスキャンダルに見舞われたら、それだけで数日は飯が美味いだろう……そんなことを思いつつ、七尾は化粧をして身支度を整える。

 やがて、彼女は家を出ていった。



 帰ってきたのは、夜の八時過ぎだった。マンションのポストを見ると、郵便物が来ている。

 どうせ。業者からのダイレクトメールだろう……と、深く考えずひとまとめに掴み取り、エレベーターに乗った。

 部屋に戻り、ようやく一息つく。ふと、郵便物の中に見慣れぬものを見つける。分厚い茶封筒だ。差出人の欄を見ると、秋山薫と書かれている。


「秋山薫?」


 誰だろうか。確かに見覚えのある名前だ。しかし、誰かは思い出せない。

 不思議に思いながら、封筒を開けてみた。途端に表情が歪む。

 中には、写真が入っていた。自分と、今田が写っているものだ。しかも、ラブホテルに入ろうとしている姿がはっきりと写されている。

 しかも、写真は一枚ではない。十枚近く入っていたのだ。いずれも、七尾と今田がホテルに入っていく姿、あるいはホテルから出ていく姿が写されている。

 誰に撮られたのかは知らないが、これはマズい。万一、これがおおやけになれば……ヒロイン役どころの話ではない。おそらく、自分の芸能人生は終わりだ。

 そう、彼女はいざとなった場合、この事実をバラすつもりではいた。しかし、それはあくまで最後の切り札だ。今、この段階で世間にバラされたら……マイナスにこそなれ、プラスにはならない。

 どうするか……思わず奥歯を噛み締めていた時、同封されていた便箋の存在に気づく。

 震える手で、彼女はそれを拾い上げた。便箋には、ただ一行こう書かれている。


 お前は人殺しだ




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