2-4 一九七〇年代の「叙述のトリック」

 先日、作家の笛吹太郎氏のTwitterで「叙述トリック」という語の一九七二年時点における使用例を知りました(https://twitter.com/fuehuki/status/1514553417511104520)。評論家の瀬戸川猛資によるもので、広瀬正『T型フォード殺人事件』に対する評です。


【ざっとこんな趣向で、決して凡手ではない。クライマックスの盛り上げ方なぞ巧いものである。もっとも、特に秀れているわけでもなく、解明はわりに平板、最後に仕掛けた叙述トリックもさして効果をあげていない。(瀬戸川猛資・松坂健『二人がかりで死体をどうぞ』盛林堂ミステリアス文庫、二〇二一)】


 現状、私が知っている「叙述トリック」という語の最も古い例は、ここです。

 しかしもちろん、この時点で「叙述トリック」という用法が一般的だったとはいえません。同じような意味合いでも、「叙述トリック」とは異なる語が使われる場合もその後に見られるからです(前節で挙げた高木彬光の一九七四年時点における「ストリック」という用法はその例です)。

「叙述トリック」の一般化に先駆けて見られるのは、「叙述のトリック」という言い回しです。私が今のところ把握している古い例は、中村勝彦監修・慶應義塾大学推理小説研究会著『推理小説雑学事典』(一九七六)で用いられた記述で、『アクロイド殺し』『スミルノ博士』の他、レオ・ぺルッツ『裁きの日の王(最後の審判の巨匠)』(一九二三)が作例として挙げられています。

 その後、山口雅也による『殺人交叉点』の紹介「何が彼女を走らせたか?」(一九七九年二月)、権田萬治による高木彬光『能面殺人事件』の解説(同年同月)でも「叙述のトリック」という言葉が用いられ、八〇年代には文藝年鑑ほか非ミステリ系媒体でも、「叙述のトリック」という用例がいくつか見られます。

 次節で紹介する折原一(一九九一)や我孫子武丸(一九九二)になると、「叙述のトリック」ならぬ「叙述トリック」という語はもはや(少なくとも、マニアの間では)あたりまえ、という感じです。

 

 現状の見通しをまとめると。

 一九五〇年代後半、バリンジャーらサスペンス系の作品の邦訳が始められた段階ではまだ、「記述者即犯人」トリックとは結びつけられていませんでした。

 それが七九年二月には、『殺人交叉点』(サスペンス系)と『能面殺人事件』(本格系)という異なる流れに「叙述のトリック」という同じ言葉が用いられています。すなわち、この七〇年代後半までに「叙述のトリック」という言い回しで両者が捉えられ、八〇年代にはもはや(マニアの間では)「の」付きではかったるい、ということで、「叙述トリック」と、どこかの段階で名詞化され、それが普及していったのではないでしょうか。

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