2-3 一九六〇年代の「ストリック」
日本人では、斎藤栄の「ストリック理論」も外せません。
斎藤栄は『紅の幻影』(一九六九)を発表する際、「ストリック」という概念を標榜しました(あとがき)。ストーリー自体がトリックになっているということを意味し、ストーリー+トリック=ストリック、というわけで、この概念に関する説明はのちに「ストリック理論の周辺」として『ミステリーを書いてみませんか』(一九九一)に収められます。
『紅の幻影』では、第一部で密室殺人事件が解決されたあと、第二部では第一部全体を作中作として取り込み、別の毒殺事件を扱うのですが、その際作中作の記述が「手がかり」として回収されます。しかし今の目で見ると、前半と後半の繋がりが薄く、単に二つの小説をくっつけただけ、というふうにも見えてしまう。斎藤はその後、新本格以降も「ストリック」理論に基づく実作を続けるのですが、私が読んだ限りでは、中井英夫『虚無への供物』(一九六四)や竹本健治『匣の中の失楽』(一九七八)のようなラディカルなメタフィクション、すなわち「虚構」と「現実」が互いに侵食しあい読者の感覚を揺るがす、というまでには至らず、その「現実」は安定的です。
しかし斎藤が「ストリック」という独自の用語を発明しなければならなかったのは、やはりこの時期、未だ「叙述トリック」という言葉がなかったからではないのでしょうか(もっとも、この当時はまだ、「メタフィクション」という言葉さえ定着していなかったのですが)。『能面殺人事件』(一九五一)で記述者=犯人トリックを大々的に用い、また坂口安吾の遺作を書き継いだ高木彬光も、斎藤栄の宣言以後、(私見では日本叙述トリック史において重要といえる)安吾『不連続殺人事件』(一九四八)の角川文庫版解説(一九七四)で、「ストリック」という語を使用しているのですから。
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