2-1 「叙述トリック」という語はどこからきたのか?

 前章で、同じ「叙述トリック」という語でも、いくつかの論者によって込められる意味が違っているのを確認しました。その理由として考えられるのは、おそらく、「叙述トリック」という語の由来や適用範囲の確認が、これまであまり行われてこなかったからではないでしょうか。もちろん我孫子や笠井の他にも、局所的に、あるいは名前を伏せたかたちで総論的に書かれたものもあるのですが、それを今、改めて、誰にでもわかるようなかたちでハッキリと書いてみたい、というのが、私の狙いです。

 本稿がもくろむアプローチをひとくちでいえば、「主に物語論の概念を用いて『叙述トリック』という技術の特性を明らかにする」というもので、検討の対象とするのはミステリ小説です。ここでいう「ミステリ小説」とは、探偵小説、推理小説、パズラー、サスペンス、ハードボイルド、など、一般的に「ミステリ」と呼ばれるもの全般を含みます。漫画やゲームなどのジャンルでも「叙述トリック」は確認できますが、あまり範囲を広げすぎると手に負えなくなってしまうので、さしあたり、元祖である小説に絞ります(ただし映画については、必要に応じて少々言及します)。

 具体的な小説作品に触れる前に、本章では、ミステリ小説をめぐる言説の中で「叙述トリック」という言葉はいつ頃から使われだしたのか、を簡単に眺めていきます。

 まずは権田萬治・新保博久監修『日本ミステリー事典』(二〇〇〇)「叙述トリック」の項を見ると。


【叙述トリック ミステリーの書き方、叙述の仕方、あるいは構成を利用したトリック。クリスティは1926年の『アクロイド殺人事件』で、物語の語り方に工夫を凝らし、結末の意外性で読者をあっといわせた。しかし同時に、このトリックはアンフェアであるという議論も起り、世界的に大きな反響を巻き起した。同様のトリックは17年にスウェーデンのドゥーセが『スミルノ博士の日記』ですでに試みているが、ストーリーが地味だったせいか当時ほとんど話題にならなかった。

 日本でも、必ずしもトリックとまではいえないにしても、語り口に斬新な工夫をしたものに都筑道夫の『やぶにらみの時計』(61)『誘拐作戦』(62)があり、トリックとして取り入れたものに、小泉喜美子の『弁護側の証人』(63)、斎藤栄の『紅の幻影』(69)などがある。このほか、叙述トリックを得意とする作家に中町信、折原一らがいる。(権田)】


 重要なのは〈書き方、叙述の仕方、あるいは構成を利用したトリック〉という部分ですが、よくよく見ると、この項の記述には亀裂があります。

 まず、『アクロイド』『スミルノ博士の日記』は記述者=犯人型ですが、次の段落では「トリックとまではいえない」として『やぶにらみの時計』『誘拐作戦』を挙げ、さらにサスペンス系の『弁護側の証人』、作中作を用いたメタフィクション系の『紅の残影』、中町信、折原一と続く。事典の一項目の記述としては仕方ないかもしれませんが、やはりこれらの間がどのような繋がりを持っているのか、気になります。

 結論からいえば、「叙述トリック」という語の現在のような使われ方の初出は、いまだ私には把握できていないのですが、早くとも一九七〇年代後半ではないか、と思います。つまり、『アクロイド』に代表される「本格系」、そして「サスペンス系」、「メタフィクション系」という、それぞれ異なる三つの流れが七〇年代に合流して、これらの筆法を「叙述」の「トリック」として包括的に捉える見方が発生したのではないか、ということです。

 この見立てを本当に実証しようと思えば、かなり厳密な調査が必要となるでしょう(単純に考えて、『スミルノ博士の日記』や『アクロイド殺し』の原著が発表されたのが一九一〇~二〇年代ですから、それらの作品に関する現地での評、そして日本での紹介、までを含めた文献渉猟をきっちりしないといけない)。

 が、ここでは取り急ぎ、「叙述トリック」という日本語の登場の仕方に焦点を当て、一九五〇年代、六〇年代、七〇年代の日本における言説を、それぞれ紹介していきましょう。

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