第41話 あの日交わした約束に
「これでよし、と。」
篠宮良子は司書教諭室の小さなオフィスチェアに身体を預けると、大きく伸びをした。
新誠学園高等学校の旧校舎は、彼女のいる旧図書室の一角だけを残して暗く静まり返っている。
いつからそこにあるのかわからないほど古びた木製の壁掛け時計が、静かに時を刻んでいた。
「蔵書の補修に、新刊図書のチェック。つい溜め込むんじゃうのは悪い癖ね。」
彼女はもう一度グッと大きく体を伸ばすと、そのまま机の天板に顔を伏せた。
「最近は久遠くんも忙しいから、図書室の仕事も頼みづらいし。」
ため息混じりの独り言を呟く。
「忙しいからだけじゃないんだけど。」
良子は首を傾け、ちらりと旧図書室の入口を見る。
木戸の窓から見える廊下は深い海の底のような暗がりに沈み、非常灯がほのかに緑色の光を落としている。
「今日はみんな楽しめたかしら。」
目を閉じると、紅茶とお菓子を囲んで他愛のない話に夢中になるあかりや静香達の姿が見えるようだった。
やがて、その姿は夕暮れの差し込むC教室で過ごす、高校時代の良子や真美達の姿に重なっていく。
「あの教室で、今はあの子達がなんてねえ……。」
良子はそう呟いて身体を起こすと、傍の鞄の奥から小さな写真を取り出した。
「今度も勝ったよ。」
両手でそっと写真を支え、小さな声で懐かしげに語りかける。
「君のおかげだね。」
彼女の細い指先が、ところどころ擦れた写真の縁をなぞる。
「……今回の成果で、ウィーン事務局の中にも検討委員会が新しく発足したし、私達の予算もちょっとだけ増額。竜崎さんも上級特別補佐官に昇進。……あの竜崎さんがだよ?」
写真を見ながら良子が微笑む。
「六年かかったけど、ようやくここまで来れたよ。少しだけ君に近づいた気がする。」
良子は再び、机の天板に静かに顔を臥せる。
目を閉じると、天高く輝く満月の夜が浮かんだ。
夜の闇を駆けるあかり達の機体。
咆哮する巨竜。
月の光を浴びて淡く輝く白い鎧。
額に感じた装甲の感触。
背中に優しく回された金属の腕。
たった二日前のことなのに、遥か遠い昔の出来事のように感じる。
「でもね。こうして近づくたびに、少しずつ遠くなっていく気もするんだ。」
写真に添えられた右手の指が小さく動く。
「あの日交わした約束に近づくたびに……君や、みんなと過ごした日々が遠くなっていく気がするの。それが寂しいんだ。
……きっと君は、笑うよね。時が経ったんだから、そんなの当たり前だろって。」
頬を伝う涙が、小さな滴となって机の天板に落ちていく。
天板に置いた両腕に頭を預けるようにして、良子は小さく呟いた。
「会いたいな、彼方……。」
闇の中に落ちていくような微睡みの中、旧校舎の長い廊下で振り向く、真新しい制服に身を包んだ少年の姿が遠く見えた。
伸ばした手は闇に溶け、やがて少年の姿も遠く霞んでいった。
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