第38話 一夜明けて

 大規模調査活動の終了から一夜が明けた。


UNITTE筑浦研究所のカフェテラスには、外部光取り込み用の窓から朝の光が差し込んでいる。

分析チーム主任の北沢は、長ソファーに身を沈め、すっかり冷めたコーヒーを啜りながら、タブレットに次々に表示される分析データに目を通していた。


「おはよう。」


彼の横に座った南ひろ子が北沢に声をかける。


「君か。少しは休めたのか。」

「メカ班は交代制だからね。ちょっとだけ横になったら随分楽になったよ。あんたは。」


南はマグカップに入った温かいコーヒーを北沢に手渡す。


「どうしても分析結果が気になってな。第三波、LD型、あの白い鎧……。わからんことだらけだ。研究員はみんな興奮して誰も帰りゃしないし、北米の予測チームからも問い合わせがやまない。」


彼は大きく伸びをしながらレポートのページを捲る。


「無理しないでよ。もういい年なんだからさ。」

「そう言わないでくれ。こう見えても気にしてるんだ。」


北沢は深いため息をつく。

その横顔を見ていた南は小さく微笑むと、右手を北沢の頬にそっとあてた。


「……職場ではやめたまえ。誰が見てるかわからん。」

「いいじゃないか、夫婦なんだから。」

「……子供達は。」

「ばあば達がよく寝かしつけてくれた。」


笑顔で応える南に北沢は優しげに頷くと、テーブルの下で彼女の手にそっと手を載せた。


「……君が無事で良かった。」

「あかり達、そしてみんなのおかげさ。もちろん、あんたもね。」


南ひろ子は北沢の手を、そっと握り返した。



 新誠学園高等学校 一年五組の教室。


教室の窓に差し込む朝の光を浴びながら、和泉久遠は窓際の席からぼんやりと外を眺めていた。

まだエアコンが効き始めていない教室は、少し汗ばむくらいの暑さを感じられた。


朝陽を浴びながら窓ごしの風景を眺めていると、ほんの八時間前には森に囲まれたショッピングモール建設予定地にいたということを忘れてしまいそうだ。


第一研究企画室のモニターであかり達の姿を見ていたことも。

あの白い鎧も。

夜を切り裂いて叩きつけた一撃のことも。

そして、月明かりの下で鋼の装甲越しに抱いた篠宮良子の細い身体のことも、


(篠宮先生。)


今も全身をじんわりと包むような身体の痛みと、両手にわずかに残る篠宮良子の小さな背中の感覚が、昨夜のことが夢でなかったことを教えてくれる。


 あの後。

僕達は市内の外れにある国連附属の病院で検査を受けた。

幸い誰も怪我をすること無く、検査による異常も見られなかった。


城戸さんと一真くんは、僕と同じく朝から学校にきている。

いつものことらしいけど、諏訪内さんだけは今日も色々な検査があるらしい。

大進くんからは、午後に諏訪内さんと一緒に学校に来ると連絡があった。

これもいつものことらしい。


窓の外には、雲ひとつない青空が映っている。

そういえば、今年は梅雨が明けるのが早いかもしれないとニュースで見た。


新誠学園高等学校に入学して3ヶ月。


日毎に変わっていく生活に翻弄されているうちに、いつの間にか本格的な夏が来ようとしていた。


「これからもっと暑くなるのかな。」


ふと口をつく。

窓の外の青空は言葉を返す代わりに、昨日よりも強い初夏の日差しで久遠を照らしていた。



 場所は変わって一年三組の教室。


朝のホームルームが始まる前の喧騒の中、二人の女子生徒がスマホ片手に取り留めない会話をしている。


「イオンのサーティワンでさ〜、カップルはアイス半額だって。」

「マジで? 別れんの来月にすりゃ良かった。」

「何、また別れたの。」


二人の間に割り込むように、小さなリュックを背負った柚原美咲が現れた。


「二人とも、おはよー。あー暑、暑。」


リボンタイを解き、胸元を大きく開いて手であおぐ。


「美咲。『ござる』は今日午後からだって。」

「その呼び方マジ受けんだけど。」


女子生徒が噴き出す。


「……え、そうなの。」


リュックから荷物を出す美咲の手が止まる。

手には大進から借りた化学のノートが握られていた。

もう一人の女生徒が続ける。


「諏訪内も午後からだって。」

「……諏訪内さんには別に用事ないけど。」


澄ました顔で答える柚原美咲。

女生徒二人は顔を見合わせると、お互い口元に笑みを浮かべて続ける。


「そういやあの二人、昨日は授業終わったらいそいそ帰ってたじゃん?」

「あー。」

「絶対行ったね。イオン。」

「行ったね。半額だし。」

「そんなんわからないじゃない。」


美咲が思わず口を挟む。


「月が綺麗な夜だよ?、若い男女が果たしてイオンだけで済むのやら……。」


女生徒達は肩を叩き合って笑いを堪えている。


「ばっかじゃないの。もう。満月なんて毎月来るじゃない。」


自分が揶揄われていることに気がついた美咲が口を尖らる。


「美咲ー、冗談だって。ほら、牛乳やるからさ。」


美咲は無言で牛乳パックを受け取り、ストローを挿した。


「美咲は十分デカいんだから、もうそんなん飲まなくてもいいんじゃね。」

「好きだから飲んでんの。それに、得意科目伸ばすのは当然でしょ。」

「科目かよ。」


笑う女生徒を肘でこづきながら、美咲はストローをくわえる。

武器は何でも使う主義なの。欲しいものがある時は特に。


美咲は空になっている大進の席を見た。

幼馴染だか何だか知らないけど、人はいつまでも同じ関係でいられないことくらい知ってる。

それなら自分にもチャンスはあるはずだ。

狙って、狙って、ここぞという時に攻めてやるんだ。

美咲は机の中にしまった化学のノートに、そっと触れた。

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