第3話 機械の鎧
「振り向かずに走って!」
良子が久遠に向かって叫ぶ。
彼が坂を駆け上がっていくのを確認すると、良子は金属筒を巨人に投げつけた。
金属筒から炸裂した強烈な光が辺りを真昼のように照らし出し、紫色の巨人は丸太のような腕で目を覆って苦悶の雄叫びを上げる。
良子はその姿を目の当たりにし、思わず息を呑んだ。
「
およそ4メートルはある体躯と、全身に隆起した巨大な筋肉は、まさにファンタジー作品に多く登場する巨人である"オーガー"そのものだった。
「これで少しは時間稼ぎに……。久遠君だけでも……!」
良子は額に流れる汗を拭う。
視界を失った巨人が膝をつく。
その巨大な右脚から体液が流れ出し、アスファルトを黒く染めている。
(体組織の崩壊が始まっているの……?)
良子が気を取られていたわずかな瞬間に、巨人は傍の石垣から巨大な石の塊を軽々とむしり取る。
「……しまった……!」
次の瞬間には、石塊は丸太のような右腕で勢いよく投げつけられる。
「……!」
良子は全身の血が引くような感覚に襲われ、思わず目を閉じる。
耳をつん裂くような轟音と共に、砂埃が舞い散る。
目を開けた良子の視界に入ったのは、雲に覆われた夜空だった。
一瞬何が起きたのかわからなかったが、背中に感じる硬いアスファルトの感触で、自分が仰向けに倒れていることに気がつく。
「……!」
埃と砂を被った良子の身体の上には、制服姿の男子生徒が彼女に覆いかぶさるようにして倒れていた。
「久遠くん!!」
「……先生……大丈夫ですか。」
横を見ると、良子が寸前まで立っていた場所には、道路に大穴が開いている。
彼が飛びついて彼女を倒さなければ、石塊の直撃を受けたのはアスファルトでは無く、彼女だっただろう。
「久遠くん……! なぜ逃げなかったの……!?」
「……一緒に逃げましょう、先生。」
そう呟く久遠の髪から覗く額からは、赤い血が滴っている。
「私はいいから、早く!」
久遠は彼女を抱き起こそうと力を入れる。
視界が完全に戻りきっていない巨人は、ゆっくりと立ち上がる。
低く唸り声を上げると、傍の街路灯を両手で引き抜こうと力を入れる。
「まさかあれを投げつける気なの……。久遠くん、私のことはいいから逃げて! 早く!」
「逃げません! 篠宮先生を残しては……!」
街路灯が地面から引き抜かれ、巨人は頭上に振りかざす。
その姿を見た久遠は、彼女を守ろうと抱きすくめるようにして覆いかぶさる。
その時だった。
道路脇の廃屋が、音を立てて吹き飛ぶ。
中から黒い影が飛び出したかと思うと、夜空を駆けるかのように高く舞った。
同時に、まるで巨大な槍のように街路灯が巨人から放たれる。
黒い影は身を翻すと、街路灯を手刀で両断した。
二つに分かれて叩き落とされた街路灯は、そのままアスファルトに落下して鋭い金属音を立てて転がる。
「あれは……人……? いや、ロボット!?」
久遠は思わず声を上げる。
黒い影は着地すると、仁王立ちで巨人に立ちはだかった。
月を覆っていた雲がわずかに薄れ、こぼれ落ちるような光が、その後ろ姿を照らし出す。
黒い影のように見えた姿は、全身を覆う薄灰色の金属装甲だった。
それはまるで西洋鎧を着込んだ重騎士のように見えた。
「あかり……!」
良子が呼びかける。
その声に応えるかのように、装甲に覆われた右腕が動き、小さく親指を立てる。
久遠は辺りで独特の高周波音が鳴っていることに気が付いて空を見上げた。
周囲の空にはいつの間にか数台のドローンが滞空していた。
視界を取り戻した巨人は、ゆっくりと鎧に迫ってくる。
その地響きはアスファルトに横たわる良子達の元にまで伝わってきていた。
灰色の鎧は、胸の前で金属の拳を強く打ち合わせる
ゆっくりと迫るOG型を見据えると、腰に装備された短槍を抜いて構えた。
久遠は良子を抱き起こし、視線の先にいる灰色の鎧の姿を追った。
紫色の巨人は崩壊が進んでいる右脚をものともせずに、動きを速める。
地響きのような足音が迫る。
灰色の鎧は槍を構えたままみじろぎもしない。
やがて、大きく反らせた金属の腕を振り下ろす。
一陣の風が舞ったかと思うと、金属製の短槍は巨人の腹部に深々と突き刺さった。
次の瞬間、灰色の鎧は大地を蹴り、猛然と駆け出した。
全身には、わずかに赤い光を纏っているのが見える。
灰色の鎧は、紫色の巨体を飛び越すほどに高く跳躍し、空中で身を翻して踵から足蹴りを見舞う。
金属製の脚が巨人の頭部を強く捉え、兜ごと粉々に砕いていた。
「……凄い……!」
久遠は思わず叫ぶ。
灰色の装甲は重い金属音を響かせて悠々と着地した。
「良子! それから、そこのきみ!」
張りのある綺麗な声が久遠の元に届く。
「大丈夫? 怪我はない?」
ゆっくりと歩み寄る灰色の鎧。
よく見ると、鎧のように見えた姿は、金属製の装甲で覆われたパワードスーツのように見えた。
胸部装甲は赤く塗装されており、中央にはルビーのように深い赤色の光が灯っている。
それはまさに機械の鎧としか言いようの無い姿だった。
◇
灰色の鎧は、夜間用カメラが映し出すディスプレイを拡大する。
座り込んでいる久遠と、彼に抱きかかえられている篠宮良子の姿があった。
少年は、目を大きく見開いてこちらを伺っている。
彼女は、彼が身につけているグレーの制服に目を止めた。
(……うちの学校の制服……?)
その時、彼女の耳元に装着された骨伝導スピーカーに通信が入る。
「あかり、様子はどうだい。」
「大鳥博士。緊急調査対象のバイタルサイン無し。良子と……一緒にいる男子生徒は無事です。」
「了解。うちのサポート班がそちらに向かっているので指示に従ってくれ。」
「了解です。」
「あかり、助かったよ。後で良子になんか奢ってもらいな。」
彼女は小さく微笑むと、金属製のバイザーがついたヘルメットを脱いだ。
柔らかな髪が夜風に揺れる。
雲間から覗く月の光が、彼女のシルエットを作り出す。
「女の子…?」
久遠が思わずつぶやく。
彼女が背にしている月の光は少女の顔を照らすには十分ではなかったが、肩まで伸ばした髪と、機械の鎧が作り出すそのシルエットは、暗がりの中でも美しく、神々しいとさえ思えた。
遠くにサイレンの音が響いている。
「篠宮先生。」
声をかけた久遠の言葉が止まる。
良子の唇は一文字にきつく結ばれて、その瞳はわずかに逸らされていた。
暗く影が落ちたその表情は、一瞬、久遠が知る彼女のようではないように見えた。
血と砂で汚れた久遠のシャツに良子の白い手が触れる。
「ごめんね……。」
俯いたまま絞り出す彼女の言葉。
「もう二度とあんな目には合わせないと誓ったのに……。」
「篠宮先生……? 今、なんて……。」
風の音にかき消された彼女の細い声。
良子は言い直す替わりに、久遠の制服の胸にそっと額を当てた。
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