第4話 外的脅威
常闇坂での出来事から数日が経っていた。
放課後、和泉久遠は新誠学園高等学校の新校舎二階にある新図書室の貸し出しカウンターにいた。
「新図書」と生徒に呼ばれる、広く開放的な空間を持つ真新しい図書室には、無数の本棚が並んでいる。
中央に位置する半円型のカウンターには、学校支給のタブレットを携えた久遠の姿があった。
彼は現代社会史と書かれた教科書のページをめくる。
◇
十五年前。
西暦が二千年代に入って数年が経ち、人々が二十一世紀という言葉に慣れた頃、それは起きた。
突如世界中に現れた異形の姿。
人間サイズの小型のものから、見上げるような大型のものまで、形や特性は様々だったが、紫色の表皮に金属製の装甲を身につけるという共通した特徴を持っていた。
それらは生物のようでも、機械のようでもあった。
意志も慈悲もなくあらゆる命を奪うその存在は、人類の営みの外側から突如現れた「脅威」そのものだった。
人類はそれらを「外的脅威」と呼んだ。
その存在は、たったの二週間で世界のあり方を変えてしまった。
外的脅威が人類に教えたのは、単純な事実だった。
人智を越える存在が現実にありうるということ。
そしてそれらは、幾万年と続いてきた人類の歴史を、ほんの短い期間で奪い去ることができるということだ。
もうひとつ人類が知ったことがある。
人類全体を脅かす存在があれば、人々は手を取り合って立ち向かい、勝利する。
そして、人類は互いを理解しあい、より平和な世界を作り上げる。
物語によくあるその話は、前者は正しく、後者は完全に絵空事であったいうことだ。
人類は国、人種、宗教、様々な垣根を超えて協力し、世界は一丸となって外的脅威と戦った。
人々は多くの犠牲を払いながらも、一進一退の攻防を見せた。
そして外的脅威が人類を襲ってから十四日後。
世界で三十を超える都市が壊滅し、人類の〇・三パーセントが地上から消えた頃。
「外的脅威」は忽然と消えた。
文字通り「消えた」のだという。
人類はその時、確かに手を取り合いって勝利した。
しかし、その後の世界の混沌は、人類の勝利に疑義を持たせるに十分だった。
食糧、エネルギー、資材。
その全てが不足する中、それまで手を取り合い、肩を寄せ合って励ましあった人類は、ほどなく争いを繰り返すようになる。
人類の勝利から数年のうちに、外的脅威が奪った数の何十倍もに及ぶ人命が地上から消えた。
他ならぬ、人類の手によって。
そして今から六年前。
戦い、飢え、混乱、そして死。
その全てに飽きたかのように、世界は再び手を取り合う。
長く続く悪夢にうなされていた人類は、ようやく平穏を取り戻そうとしていた。
◇
久遠はタブレットの教科書アプリを閉じて、ぐっと伸びをした。
「何読んでんの。」
声をかけたのは、隣に座っている図書委員の辻野真由だった。
受付カウンターに頬杖をつき、スマートフォンの画面から目を離さない。
「現代社会史の教科書。来週、小テストあるじゃない?」
「そうだっけ。」
彼女の気の無い返事を聞きながら、久遠は再びタブレットに目を落とした。
あれから軍事関連の本をいくら読んでも、あの夜に見た鎧のような姿を持つ兵装を見つけることはできなかった。
機械が全身を覆って作業の補助を行う「アシストスーツ」は、かなり前から工事現場や介護現場などで使われているが、風のように走り、巨人に飛びかかるような動きができるとはとても想像できない。
どちらにしろ、あの夜に見た機械の鎧の正体はわからずじまいとなっていた。
久遠はタブレットをオフにすると、小さくため息をついた。
横の辻野もスマホに何やら打ち終わったらしく、大きく伸びをする。
「大丈夫なの。怪我。」
「あ、うん。包帯も取れたしね。ありがとう。」
「家具はちゃんと固定しときなよ。」
ぶっきら棒な物言いに、久遠は小さく微笑んだ。
彼は額の絆創膏に手を当てる。
一週間が経過してもわずかに痛むこの傷が、あの夜が本当にあったことだということを思い出させる。
あの後、久遠は救急車で市内の病院に運ばれ、怪我の治療を受けた。
治療後、久遠の元に一本の電話が入る。
男は、国際連合の竜崎悟と名乗った。
篠宮良子が無事で外傷も無かったことへの謝意を伝えると共に、今回の事件は内密にして欲しいと頼まれた。
翌朝には、常闇坂には「地震による崩落のため、通行禁止」と立て札が立ち、生徒達はしばらくの間大回りして学校に通うことになった。
あの時現れた巨人はもちろんのこと、散乱した肉塊や二つに両断された街路灯も、朝までには無くなっていた。
常闇坂での出来事以来、彼は篠宮良子には会っていない。
旧図書室に灯りがつくこともなく、他の図書委員からは、ここしばらく篠宮先生が学校に来ていないというようなことを聞いた。
心配に思う反面、心の何処かで、わずかにほっとしている自分がいることに気がついていた。
会えばいつものように笑いかけてくれるだろう。
ただ、会うのが今は何だか怖いとも感じていた。
今までとは何かが変わってしまうような気がする。
その「何か」の正体は、久遠自身にもわからなかった。
◇
「和泉ってさ。」
辻野の急な問いかけに、久遠の意識は常闇坂から新図書室へと戻っていく。
「何?」
「年上好き?」
「えっ!? なんで?」
辻野は、彼の慌てた反応には全く興味を示さずに続ける。
「聞いてみただけ。バイト先の女の人が彼氏できたらしいんだけど、結構年下なんだって。」
「……なんだ。」
久遠は少し間をおいて、おずおずと尋ねる。
「……女の子からすると、年下の相手とかどうなの?」
「ナシかな。」
そっけなく答える辻野に、久遠は小さくため息をつく。
「そっか……。」
辻野の目が一瞬だけ久遠の横顔を伺う。
「ま、人によるんじゃね。」
「……そうだよね。」
彼は少し微笑んで、再び教科書用のタブレットに目を移した。
新図書室に差し込む陽の光が弱くなる頃、すでに人影はまばらになっていた。
辻野は壁の時計を見ると、久遠に声をかける。
「和泉、今日も後片付け頼んでいい?」
久遠が口元に笑みを作って小さく頷く。
辻野は早めに委員の仕事を切り上げて、久遠に後を任せていくのがいつもの習慣になっていた。
「わりーね。」
「今日もスーパー寄ってくんでしょ。」
「まあね。」
彼女はそう言って立ち上がると、小さなマスコットを吊り下げたリュックを無造作に担ぐ。
ポニーテールにまとめた黒髪が小さく揺れた。
「弟ら、最近部活で頑張ってっからさ。今日の夕飯はガッツリ肉にしてやろうと思って。」
眠たげな瞳で、小さく笑みを作る辻野。
仕事で忙しい母親の替わりに、彼女が弟達の世話をしていることを、久遠は知っていた。
「じゃあ、また明日。」
久遠がそう言って手を振ると、辻野は後ろ手で一度大きく手を振り返した。
◇
辻野が図書室を去った後、一人の女子生徒が入れ替わるように入ってきた。
久遠は受付カウンターの後ろに積まれた返却本の整理を続けている。
グレーの制服をきっちりと着こなした彼女は、カウンターの中で忙しなく働く久遠の姿を立ち止まって見ていた。
(あの子が和泉久遠……)
彼女は小さくつぶやくと、奥の書棚へと向かっていく。
肩まで伸ばした柔らかな髪がさらりと揺れた。
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