第20話 前夜(2)
第一分析室に向かう廊下からは、階下にある「アリーナ」と呼ばれる巨大な円形訓練場がよく見える。
調査機器を担いだ久遠は、ガラス越しの眼下に広がる訓練場を見おろしていた。
ライトで煌々と照らされたアリーナの中央では、ディメンジョン・アーマーを身につけた城戸あかりが、大型の軍事用多足歩行ロボット相手に激しいトレーニングを続けていた。
彼女は、とても数十キロの装甲を身につけているとは思えないほどの速度で走り、高く跳躍をして的確に攻撃を与えていく。
国連軍が「ブリキのゴリラ」の愛称で呼ぶ遠隔操作式の多足歩行ロボットは、元々は外的脅威に対抗するために作られたこともあり、呑気なあだ名とは裏腹に、戦場では驚異的な戦果を上げる存在として恐れられているという。
あかりは見る間にその多足歩行ロボットを追い詰めていく。
久遠は身じろぎもせず、その動きに見入っていた。
学校で見かける制服をきっちりと着込んだ姿の彼女、C教室で朗らかに笑う彼女とは違う、もう一人の城戸あかりがそこにいた。
今となっては二世代古い、武骨とも言える分厚く重い装甲を着込んだ彼女は、光に照らされた広いアリーナを、まるで何かから解放されたかのように縦横無尽に駆け、宙を舞う。
多足歩行ロボットの胴体から伸びた金属の腕が何度振り降ろされても、彼女の身体を捉えることはできない。
あかりは強く輝く胸部装甲の前で強く拳を打ち合わせる。
次の瞬間、高く跳躍して身を翻したかと思うと、ロボットの頭部に当たるセンサーカメラに強烈な回し蹴りを喰らわせた。
多足歩行ロボットを支える六本の脚が力を失って地面に崩れ落ちる。
あかりは空中で姿勢を整えて悠々と着地すると、再び両拳を構えた。
一台が行動不能になったことを見計らったように、控えていた次の多足歩行ロボットが起動する。
あかりは構えを解くことなく、新しい目標を捉えていた。
久遠は窓から彼女の姿を言葉なく見つめている。
やがて彼は分析機器を持ち直すと、第一分析室へと足を向けた。
◇
白衣から制服に着替え、地上行きのエレベーターを待つ久遠。
第一分析室から早足で出てきた北沢主任が呼び止める。
「大鳥博士からの差し入れだ。持っていきたまえ。」
ビニール製の手提げ袋には、飲み物の缶がいくつも入っていた。
「すみません。いただきます。」
「コーヒーとかお茶はみんな売り切れで、すまんな。」
「そんなことないです。ありがとうございます。」
「明日はよろしく頼むよ。」
北沢主任はそう言って手を振ると、早足で戻っていった。
彼の背中を見送った久遠はビニール袋を覗く。
中には、まだ温かいコーンポタージュやおしるこなどの缶がいくつも入っているのが見えた。
早い時間に軽い夕食を摂ってから、彼は何も食べていないことに気が付く。
久遠はコーンポタージュの缶を手に取った。
プルタブを開けて口につけると、暖かな甘みが口の中に広がっていく。
少しだけ仕事の緊張がほぐれた気がしたが、胸の奥に宿っていた寂寥感は晴れなかった。
分析チームのアシスタントとして仕事をするのは考えていたよりもずっと楽しく、自分の能力が発揮できているとも思っていた。
UNITTEの仕事と立場を知れば知るほど、自分のしている仕事がいかに重要かということがよくわかる。
もちろん、ディメンジョン・アーマーを駆って現地で調査を行うあかり達に比べて、どこか申し訳なさというか、引け目を感じていないと言えば嘘になるだろう。
かといって、近接調査員としての自分を思い描けるかというと疑問だった。
ほんの少し前だったら、そんなことを考えもせずに、彼らのサポートに集中していたに違いなかった。
しかし、あの日見た「白い鎧」。
エリア13で白騎士と対峙した瞬間に、何かが変わってしまった。
実際に体に身につけた金属の感触、バイザー・ディスプレイ越しに見た風景、そしてまるで自分の身体とは思えないほどに軽く、速く、力強いその動きを思い出すだけで、心が騒めいてくる。
何よりも、あの時に感じた妙な懐かしさ。
それと同時に心に棲みついた、皆と共に戦うことができないことへの寂寥感。
彼には、それが一体どこから来たものなのか、そしてなぜこんなにも彼の心を騒つかせているのかわからなかった。
久遠は晴れることのない思いを振り払うかのように、小さく首を振る。
やがて地上へのエレベーターが到着し、金属の扉が静かに開いた。
足を踏み入れようとする久遠の脳裏に、ふと薄暗い旧図書室が思い浮かんだ。
(……そうだ。今日は居るのかな……。)
彼は一歩後ろに下がって扉が閉まるのを待つと、隣のレーンにあるエレベーターのボタンを押した。
C教室の下まで繋がるそのエレベーターがゆっくりと彼の階に降りてくるのを待つ間、彼は刻々と変わるランプの表示を見つめていた。
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